37のナッ神 ビルマの精霊崇拝
リチャード・カーナック・テンプル 訳:宮本神酒男
第8章 37のナッ神
われわれはようやく、37のナッ神そのものについて吟味することのできる地点にやってきた。どのようにしてそれらはビルマ人のイマジネーションのなかに存在するようになったのか、そして現在どのような形をしているのか、理解していきたい。
37のナッ神の序列は、ひとつの例外を除くと、物故した英雄の亡霊の序列と軌を一にする。例外というのは、この序列の長であるタジャ・ナッである。それは古代インドのバラモン教に起源をたどることができる。
いまわかることは、タジャ・ナッを除く37のナッ神すべてが死んだ英雄の亡霊であるだけでなく、直接的にしろ、直接的でないにしろ、王室に属するか、それと関係していることである。現在一般に流布している物語は、はるか昔に亡くなった人々とかならずしも結びつく必要はなかった。彼らが生きたのは13世紀から17世紀頃であり、一部はこの200年以内に生きた人物のことである。物語のひとつは初期のポルトガル人定住者によく知られ、彼らが書き残した文にしばしば登場した。このことについて、現代ビルマが到達した文明の段階だと、あえて指摘する必要はないだろう。私はそれぞれのナッ神が持つそれ自身の信仰形態について述べたい。適切な儀礼や祭礼、そしてそれを行うための適切な場所と時間はナッ神ごとに決まっているのである。
だれもが37のナッ神を知り、だれもがもっともらしく語るが、それについて詳しく述べられた本を彼らが読むことはない。私にとっても、日常的に話されるそれらの話題はつかみがたく、絵や写真も入手するのは困難である。なんとか伝説の概要を聞きだし、またビルマ人がティーク材から彫って作った神像の一揃えを得ることができた。神像はユニークなものである。ただしそれらは1895年にコペンハーゲンに運ばれ、いまもそこに置かれていると聞いている。
いまその私が所有している神像から描いたイラストをもとに、さまざまなビルマ人や研究者の情報を補いつつ、説明していこうと考えている。トー・セイン・コーのような信頼のおける権威を引用しながら、私はつぎのように特記する。
「原則的にナッ神の像は一般に木製で、洗練されたものではなく、ある種人間的な表情を浮かべている。37の支配者(ナッ神)はバガンのシュウェジゴン・パゴダの近くに注意深く保管されている」
私が持つサンプルは、しかしながら、喜ばしいことにすばらしい土着の芸術作品である。
つぎに挙げるのは、民間に流布するナッ神のリストが載った本である。
(1)マハーギータ・メダニジャン(Mahagita
Medanigyan) p117−179 37のナッ神に関する論考 リストはp118に掲載 木刻の表紙にNo. 10ナッ神のアウンズワマジ・ナッ p179にタジャ・ナッ ラングーンで出版(1891)
(2)ビルマ語の装丁本 『37のナッ神』
以下は未装丁本。
(3)簡易な注釈が付されたリスト A
(4)注釈がより多いリスト B
(5)簡易な注釈が付されたリスト C
(6)それぞれに注釈が付されたリスト D
(7)断片的な注釈が付されたリスト。No.
22から31も含む E
以下はデッサン集。
(8)パラバイク(現地の紙の本)に、丁寧に描かれた色彩デッサン集。名前も記述もなし。ファクシミリ
(9)鉛筆画による37のナッ神。名前と記述、注釈も少し
(10)すばらしい鉛筆画による37のナッ神 それぞれに名前と注釈あり 縮小版
(11)鉛筆による37のナッ神の素描 名前入り
もっと詳しいリストが存在する可能性がある。というのもトー・セイン・コーによればナッ神信仰者のための『37のナッ神頌』という本があるからだ。この本のタイトルは(1)とおなじ「マハーギータ・メダニジャン」である。
手元にある有用なデータを解析することによってわかったのは、さまざまな独立したソースから集めたものであるにもかかわらず、ナッ神の名前も、その順序もほぼおなじであることだった。つまり真正の(オーセンティックな)リストが存在するのだ。
こうしたことから私は1253ビルマ年(西暦1891年)にラングーンで印刷された「マハーギータ・メダニジャン」(木刻の表紙。No10のアウンズワマジを含む)がもっともオーセンティックなのではないかと考えている。
図像の番号に関して言えば、ここに与えられた数字の通りである。それは批判的なビルマ人によっても受け入れられているものである。さて、オーセンティックなリストはつぎのようになる。
1 タジャ・ナッ
2 マハーギリ・ナッ
3 ナマドージ・ナッ
4 シュエ・ナベ・ナッ
5 トンバン・ラ・ナッ
6 タウン・ウグ・ミンガウン・ナッ
7 ミンタラ・ナッ
8 タンドーガン・ナッ
9 シュエ・ノーラタ・ナッ
10 アウンズワマジ・ナッ
11 ンガジシン・ナッ
12 アウンビンレ・シンビュシン・ナッ
13 タウンマジ・ナッ
14 マウン・ミンシン・ナッ
15 シンドー・ナッ
16 ニャウン・ジン・ナッ
17 タビン・シュエディ・ナッ
18 ミンエ・アウンディン・ナッ
19 シュエ・シッピン・ナッ
20 メドー・シュエサガ・ナッ
21 マウン・ポ・トゥ・ナッ
22 ユン・バイン・ナッ
23 マウン・ミンビュ・ナッ
24 マンダレー・ボードー・ナッ
25 シュエビン・ナウンドー・ナッ
26 シュエビン・ニドー・ナッ
27 ミンタ・マウン・シン・ナッ
28 ティビュサウン・ナッ
29 ティブサウン・メドー・ナッ
30 バインマシン・ミンガウン・ナッ
31 ミン・シトゥ・ナッ
32 ミン・チョーズワ・ナッ
33 ミャウペッ・シンマ・ナッ
34 アナウ・ミバヤ・ナッ
35 シンゴン・ナッ
36 シンワ・ナッ
ビルマ上部ガゼティア(地名集)の第1部2巻p17にはこれとおなじリストが掲げられているが、若干の違いも見られる。
1(1)2(2)3(3)4(4)5(6)6(5)7(26)8(27)9(7)10(8)
11(9)12(10)13(11)14(12)15(13)16(14)17(28)18(29)19(30)20(31)
21(15)22(16)23(17)24(20)25(18)26(19)27(21)28(22)29(23)30(24)
31(25)32(37)33(32)34(33)35(34)36(35)37(36) *()内はビルマ上部ガゼティア
この真正(オーセンティック)リストに入るためには、卓越した存在であるか、屈強な人格の持ち主であるか、生涯の間に英雄的な行為をおこなっているか、そうでなければ突然の、残酷な、驚くべき死を迎えているか、非業の、身の毛のよだつ運命の犠牲者かが求められる。そうしたことは、東洋の歴史では珍しくないように、ビルマ人の間でもしばしば見受けられるのだ。
なぜナッ神の数が正統なものとして37に固定されているのかは、興味深い問題である。疑いなくそれは、古代インド仏教や現在のビルマ仏教のタヴァティムサ(サンスクリットでトラーヤストリムシャ、ビルマ語でタワデンタ)天を象徴している。パーリ語のタヴァティムサは「三十三に属するもの」という意味であり、33はサクラからはじまる超常的な存在の序列である。その長サクラはタジャのことであり、37神のナッ神の長がタジャであるのとおなじなのである。違った見方をすれば、仏教の天界の長は時に応じて神格が変わるという古いインドの観念を誤解していたのかもしれない。そうすると33天のそれぞれがタジャであり、37のナッ神の長もタジャのひとつというふうに捉えられたのかもしれない。
私が「ナッ神の物語がごく自然に集まったもの」と呼んだように、あとであきらかにしたいが、37のナッ神の序列は、ビルマ人がインド仏教の伝統的な名称を身近な範囲内の場所に適合させようとした態度と精神によって生まれた古い37のナッ神の序列から作られたものである。真正(オーセンティックな)リストに関しては、物語を以下のようにグループ分けしたい。
グループ1 2〜5 13から14 37
グループ2 16 24〜30 36
グループ3 7〜12 19〜20 ・・・
31〜32 34 35
グループ4 6 8 17 33 ・・・
グループ5 15 18 22〜23 ・・・
例外的なナッ神 1(タジャ) ・・・ 21
この考え方によれば、37のナッ神は4つほど過剰ということになる。
まず35、36、37は特別なエピソードを持たない女性である。あきらかにあとで付け加えられたものである。そして21は他のエピソードと関連性を持たない。
つぎに、グループ5は16世紀から17世紀頃に生きたと思われる人物のナッ神の物語である。すると彼らは近代になって作られたか、あるいはその特徴が変えられたかということになる。いずれにしてもそれらは37という数字を合わせるために付加されたものかもしれない。
あるいは最後の4つ、34から37は全員女性であり、37という数字のために付加されたと考えるべきかもしれない。
上部ビルマ・ガゼティアによると、余剰のナッ神はマハーギリ・ナッ(2番)の妻、妹、従姉妹(3、4、37)とシュエビン・ナウンドー(25番)の弟(26番)である。しかしこういったことはもちろん推論にすぎず、理論以上のものではない。
トー・セイン・コーはこれらをビルマの「土着の神々の体系(パンテオン)」と呼んでいる。「それは34のナッ神(タジャと33の神?)から成り、37という固定された数字にするために、供え物が献じられるとき、37の頌(しょう)から成る「賛歌本」(あきらかにマハーギータ・メダニジャンのこと)が歌われた。(いくつかのナッ神には複数の頌が捧げられた)
厳密に言えば、これらの頌は短い伝記を描いた韻文であり、憑依された霊媒(ナッカドー)によって歌われる。歌の内容はモラルをうたったものであり、君主に対する反逆や反乱、暗殺などの罪を聴衆に問いかけるのである。ナッ神が王室の一員である場合は、家系図を簡潔に述べることになる。
トー・セイン・コーはまた34のナッ神をつぎのように分類する。
6人の古代の英雄とヒロイン
14人の王族
12人の官吏(大臣)
1人 ビルマ北東のシャン州とパラウン州に住む茶の漬物の商人
1人 雌の白象(あきらかにンガジシンのこと)
上部ビルマ・ガゼティアは37のナッ神を「20の王族、16の貧しき者、1人の商人」に分類している。
私は英領インド政府に保管されている、しかるべき筋から提供されたテクストをもとに、議論をしめくくりたいと思う。それはわが「真正リスト」をバックアップするものであり、このテーマに光を当ててくれるものである。
このテクストは東インド会社の総督ジェームズ・ウェア・ホッグ卿を通じて、さまざまな時期に収集され、図書館に保管された「ビルマの素描、碑銘など。1849年、ウィンフォード卿」二世)によって提供」と題された、分厚く束ねられたものである。
このコレクションは1824年の第一次ビルマ戦争のあと、1826年と1832年の間、またその後、興味を持っただれかによって作られたものである。
それは第一に、クロスの上に貼られた、おもに現地の画家によって描かれたビルマに関連する84枚の素描のフォリオ本である。
第二に、ビルマ語と、ラテン語・ビルマ語・英語の2種の言語体系で記された現地の製作による26枚のフォリオである。この巻はインクの搾り汁のような題字にはじまり、パゴダの建築に関する説明、ブッダの足跡(セットー・ヤボン)といった内容がつづく(11枚)。つぎにインド式の天文学的図形(10枚)。陸上と水上の宮廷の行列の描写(9枚)。ビルマ人の理想的な地上、天上、地獄、その住人、惑星図(12枚。より重要)。それからときには興味深く、ときには粗野な37のナッ神を含む一連のナッ神の絵図(33枚)。最後にビルマ下部の風景のリトグラフ(9枚)。
このコレクションにはH・H・ウィルソン教授が鉛筆や万年筆で注釈を書き入れている。彼は司書として宮廷に手紙を書いている。
目下のところテクストのなかで興味深く価値があるのは、諸世界の住人の絵である。二つのセットはともに詳しく、そのなかにナッ神の絵図も含まれる。諸世界と住人は下層から高層まで、上昇する階層のなかに描かれる。それは動物界にはじまり、霊界、堕天使界、地獄、人間世界、そしてチャトゥマハラジカ、タヴァティムサ、マハーブラフマへとつづく天国、またその向こうの形のない存在、アルパブータが住む32の住まいの順に描かれている。
ナッ神のシリーズには2つのセットがある。両者とも37のナッ神が描かれている。最初のシリーズは私の「真正リスト」とほぼおなじである。ただし私の29、30、31、32がこちらでは31、32、30、29になっている。ンガジジン・ナッ(11番)は説明的な形で何度も現れている。これは私の「真正リスト」の正確さを強烈に補佐しているといえよう。
もうひとつのシリーズも37を数えるが、これは真正とは言い難い。それは4つのバルー、すなわちヴァルマ・ナッ・ミン、タド・ミンゾー、コ・テン・シン(チン族の最高判事)などが混入されているからだ。とはいえ、そのなかにいくつかの重要なナッ神が、説明的な物語とともに挿入されている。
またテクスト中のナッ神の絵のなかに、37のナッ神のさまざまな価値のあるバリエーションが散りばめられているのだ。そのなかでも興味深いバリエーションは、ほかのナッ神の素描と同様、この論考のなかで紹介していきたい。