宝の象

 某月八日、見晴るかすかぎりクシャ草が茂る人のいない平原を、虫のような小さな存在である私はひとりで進んだ。遠くに雪山のようなものが動いているのが見えた。私は伝説に語られる「山々でさえ動き、旅をする」とはこのことではないかと思った。

 近づくに従い、それがある種の動物であることがわかった。徐々に、全身が白く、口から六本の牙がはえた象であることがわかってきた。それは見つめることができないほど美しかった。またそれからは、妙なる香りが立ちのぼっていた。背中からは五色の光を放たれていた。象は鼻でクシャ草を巻き上げ、食べては進み、こちらに近づいてきた。これぞ仏典中に釈尊が福徳を成したと述べられた宝の象ではなかろうか。

 釈尊の功徳について思いをめぐらし、厭離の心が芽生えてきた。涙があふれ、礼拝し、象を長い間つくづくと眺めた。また象のまわりを回って、仔細に眺めた。一周すると、象は巨大な糞を落とし、悠然と去っていった。

 このあと私はチベットの方向へ帰路を取った。何日か歩くと大きな都市に着いた。その頃にはインドの言葉もできるようになっていたので、きれいな服を着て、物腰も立派な老婦人に象に会ったことを話した。彼女が言うには、「八、九十歳の老人たちによれば、大象は百年に一度しかインドに現れないとのこと。そんな象にお会いになったのは何という福縁でしょうか。私たちだって聞いたことはあるものの、じかに見たことなどありません。この象は釈尊が俗にあらせられた頃、国家七宝のひとつ、白象宝だったのです」。 



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