尊者、清朝の都でまたも正体を見破られる

 その年の秋八月、数名の随行と格格を連れて尊者は京の王宮を訪ねた。各寺院の仏像を拝し、巡礼するさまは三十三天神がまちがって地上の皇宮に降り立ったかのような感があった。

 ある夜尊者は神通力で予知を得て、ンガワン・ドゥントゥブとシャル・ベンデにつぎのようにおっしゃった。

「今夜おまえたち二人は寝ないように。ここに座布団を敷いて座っていてください」。

 尊者の言いつけを守って二人は座して待っていた。夜半過ぎ、アロイ(A lo yi 阿老爺)と従者がやってきて、王様気取りで上座に座り、言った。

「我々はそなたに話をするためやってきた。そなたの素性は知っています。選ぶ道はふたつにひとつ。すみやかにご返答いただきたい」。

「どういったご用件なのでしょうか」。

「上人! 素性はわかっておるのですぞ。我は帝に奏上いたした、そなたが玉座にふたたび登られてはいかがかと。玉璽のラマ(天子の承認を得たラマ)が没した今、空位は避けたい。そなたに同意していただきたい」。

「この件は容易ならぬこと、遊行僧であり住処も一定しない私ごときには、荷が重過ぎます。俗世間を離れた身には輝かしい位はふさわしくない」。

「ただ帝が宣するだけのこと」とアロイは不満げな様子を表わす。「上人がどこへ行こうと(同意さえすれば)かまわないのです」。

このひとことで尊者は気持ちをたかぶらせ、
「帝と貴下が私の身をとらえようとも、私の心をとらえることはできません」。

アロイはにやりと笑い、近づいて一礼した。
「上人! そなたは品行方正であられるが、ほかの場所でそんな言い方はおやめください。もしよろしくないなら、明日あさってにでもここを離れてください。活仏デモ・フトクトゥは私の師でした。活仏が(辺鄙な)ザユルに追いやられたとき、寿命は残りわずかでした。活仏がザユルに向けて旅立つとき、一函の経文と宝瓶を私に託しました。活仏はおっしゃいました。私が去ったあと、ひとりの法力のある僧が来るだろう。その僧とはツァンヤン・ギャツォそのひとである。僧と会ったら、私にかわってこれらを渡してほしい。これが私の意図するところである、と」。

アロイは尊者に『蓮華遺教』と宝瓶を手渡し、言った。「できれば何日かここに滞在していただきたい。機会があればまたお目にかかりたいのです」と言って、その夜、去っていった。

翌日、アロイの言ったことを思い出し、外出は控えた。アロイは深夜近くにやってきて、いろいろな教えを請うた。約一ヶ月のあいだにはエプ・ゴンポ・キャブ(E phu mgon po skyab)やトゥパカン・フトクトゥ(おそらくトゥカン・フトクトゥ Thu’u bkvan hu thog thu)が訪ねてきて教えたり、学んだりした。ただしその内容まではつまびらかでない。



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