真の肖像画 

アブドゥル・ガニー・シャイフ  宮本神酒男訳

 

 老人はマニ車を回しつつ、マントラを唱えながら、十字路に立っていた。朝早い時間だった。反対側のホテルから出てきたアメリカ人ツーリストが老人を見ると、さっとカメラを取り出してそちらへ向けた。

「ルピー、ルピー」と思いとどまらせるようにやせこけた手を振りながら叫んだ。ツーリストは財布から1ルピー札を2枚取り出して老人の手の中に滑り込ませ、さまざまな角度から写真を撮り続けた。

「古代ラダックの生きた化石だな。文化を代表しているってとこだ」とツーリストはちょうど駆けつけた地元のガイドに言った。

「チベットには立ち入ることができないからね。だからおれたちはラダックにやってきてチベット文化や仏教を体験するんだけど、ここの若い連中ときたらみなジーンズはいて、ジャケット着ている。もう何年かしたらここの文化もなくなっちまうだろう。アメリカのインディアンの文化とおなじ運命をたどりそうだ」

 ヘミス僧院行きのバスに乗って席に着いても、アメリカ人は独白をつづけた。

「だけどおれたちの政府はインディアン文化を守るために相当の出費をしている。あんたらもおなじようなことをする必要があるんじゃないかね」

 日光が十字路に射してカーペットのような模様を作り出した。それは信じがたいほど美しい光景だった。さまざまな国からやってきたツーリスト・グループが近くのホテルからあふれだしてきた。老人を見ると彼らも反射的にカメラに手を伸ばした。老人は手を振りつづけ、「ルピー、ルピー」と叫んだ。グループのリーダーが10ルピー札を老人に渡すと、すぐさまミノルタやヤシカ、キャノン、フジカ、ロリフレックス、ゼシコン、ゼニスがいっせいにシャッター音を鳴らした。老人はまるでプレス記者やカメラマンに囲まれた重要人物か国際VIPのようだった。

 老人がラダックの伝統衣装を身にまとっていたにもかかわらず、囲んでいる人々の目が釘付けになったのは、その顔つきや物腰だった。とはいっても、長くて幅広の飾り帯から垂れ下がる金属細工のスプーンや皮革製の針入れ、火打石や大きな錠前は古風で趣があった。耳にはトルコ石のイヤリングがつけられ、首には灰色の数珠がかけられていた。老人の鼻の上には壊れたメガネのフレームが白い糸でくくりつけられてのっていた。顔は老人らしくしわくちゃで、右足を引きずって歩いた。全体を眺めると、どこかびくびくしているように見えた。

 ずっと以前に地元の写真家が撮った老人のスナップショットは、外国人ツーリストに何百枚も売れた。それに触発された写真家もスナップショットを撮り、その写真からカラーのポストカードを刷った。このポストカードもまたよく売れた。ツーリストはポストカードの裏にさまざまな物語を書き記した。ある人はどのようにすごしているかを書いた。旅の様子を事細かく記す人もいた。ボーイフレンドはこのきれいなポストカードを使ってガールフレンドに甘い言葉を綴った。いくつの家に届いたか、そこまでにどんな旅をしたかは神のみぞ知るである。

 毎年の夏、スリナガル・レー間のハイウェイがオープンし、ツーリストがどっとラダックに押し寄せると、老人は具現化した。道路が閉鎖されてツーリストの波がとまると、老人もレーを離れた。冬の間彼がどこで過ごしているのかだれも知らなかった。

 観光業界はトラベル・エージェンシーやビジネスにより多くの競争を生み出した。しかし彼のユニークなスタイルに需要がなくなることはなかった。彼が現れる十字路はナムギェル・ツェモ、すなわち勝利の頂へ通ずる坂道の途中にあった。この頂にはタシ・ナムギェル王が16世紀、侵略してきたトルキスタンの軍隊を破った記念に建てた、レーでもっとも高所にある寺院が鎮座していた。午後になり、老人が立ってマニ車を回しはじめると、彼のまわりでカメラのシャッター音がカシャカシャと鳴り始めた。太陽が西の山々に消える頃になると、ツーリストの波が途切れ、彼は大き目のオーバーのポケットをまさぐった。彼は国際色豊かな札束を取り出して二度数え、それをぼろぼろの財布にはさみこみ、内ポケットにしまいこんだ。そして彼はいいほうの足でもう片方を引きずりながら、坂道を下りていった。

 道の行き止まりに小さな食堂があり、老人はそのなかに消えていった。彼は食堂のなかのラグにどっかと座っていたのだ。女がやってきて老人を歓迎し、彼の前の色彩が施されたテーブルの上にコップを置いた。老人は女主人のなじみの客だった。

 チャン(大麦酒)を何杯も飲むうちに彼は空中を浮遊しはじめ、大声でしゃべりだした。女はコップに何度も酒をそそいだ。15杯か16杯飲んだところでそそごうとする女を制止した。そしてポケットから財布を出すと、10ルピー札を2枚女に渡そうとした。彼女は3ルピーのお釣りを手渡し、気をつけてしまうようにと言った。ほどなくして老人の手にはマニ車が握られていた。女はそれを取り上げ、棚の上に置いた。

 暗闇がやってきて、彼は帰路に着く。橋を渡ろうとする盲目の男のように、一日のうちに集まった施し物を持ってふらつきながら家をめざした。

 

 アジアの交易の中心地だったころの古いラダックを撮影するとかで、ハリウッド映画のクルーがレーにやってきたことがあった。撮影チームはその老人に出演を依頼した。はじめ彼は躊躇していたが、1時間あたり200ルピーというギャラが支払われると聞いて喜んで引き受けることにした。たった1時間分でさえそんな大金が得られるなどと夢にも見たことがなかった。

 レーのメインバザールの後方のマニカン地区にある古い寺が撮影場所に選ばれた。バザールの一方の端でトルキスタンの交易商人がラダックの行商人と取引をしている間に、もう一方の端で女たちが野菜を売っているという設定だった。そこへ迷い込んだロバや牛が気ままに動き回り、老人は籠を背負い、マニ車を手に持ってチョルテン、つまり仏教徒が死者のために建てた聖骨塔のまわりをめぐった。

 撮影現場を見るために、チョルテンのまわりには群衆が集まっていた。周囲の屋根の上も美しいハリウッド女優を一目見ようという見物人でいっぱいになっていた。警察は群衆をコントロールするのは不可能だとなかばあきらめているようだった。カメらやその他の機器類をセットするだけでも1時間かかった。この準備の間、老人は熱い太陽のもとで待たなければならなかった。

 リハーサルがおこなわれたあと、カメラが回り始めた。

「静かに! レディ!」と声が発せられた。アシスタントが老人に向ってキュー・サインを出すと、老人は歩を進めた。老人は大きな籠を背負い、片手にマニ車、もう一方の手に数珠を持って、チョルテンのまわりを歩き始めた。

「カット!」

 近くの屋根の上から撮影を見ていたモダンな恰好をした青年がカメラのフレームのなかに入ってしまったのだ。

 老人はもとの位置にもどった。キューが出て、もう一度歩き始めた。カメラが回ったものの、チョルテンのまわりの半分も歩いていないところでストップがかかった。またも昔の場面で現代のものが映りこんでしまったのだ。屋根の上の見物人が前に押し出されないようにふたりの警察官が行かされた。

 太陽は激しく輝いていた。ふたたび監督の号令が轟いた。

「カット!」

 すっかり衰弱して、腰が重くなった老人は汗の風呂に入っているかのようだった。こんなきつい体験をしたことはなかった。こんなに勤勉に働いたことはなかった。かつて日本のテレビが来て彼を数ショット撮ったことがあった。そのときは静かに海面を走る帆船のようにうまくいった。彼は籠を捨てて、どこかへ走って逃げたいと思った。しかし1時間200ルピーの報酬が彼を拘束していた。

 撮影チーム全員が仕事に集中していた。カットはすでに6回叫ばれていた。

「さあラストショットだ」と7回目のカットを監督は叫んだ。

 撮影チームのメンバーはふたたび活気づき、みな走り回っているように見えた。撮影が開始されると、あらたに何人かが屋根の上に送られ、見物人が前にずれ動くのを防いだ。

「静かに!」とまた監督の号令。

「10、8、4、3、2……」キューにあわせて老人はまたマニ車と数珠を持ち、一歩踏み出した。足取りは重く、極端に遅くなっていた。彼はチョルテンの周囲を歩き始めた。半分回ったところで彼の足は痙攣をはじめ、よろめいて倒れると、そのまま二度と立ち上がることはなかった。

 老人が写ったポストカードはいまでもレーの多くのショップで売られている。ツーリストたちはそれを熱狂的に買い求めているのだ。 

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