アガルタ 

1 地底人に救われる 

 永遠への逃走か、あるいは永遠からの逃走か? こんなことを考えながら、私は瞑想から覚めた。

 私はウトウトしていたのかもしれないし、目覚めていたのかもしれない。ときとして夢と現実を区別するのはむつかしいものだ。じっさい、夢の中で現実を体験することもできる。そこでは触ることのできないものを触ることだってできる。私にとってそれは奇妙な旅だった。また私にとってそれは現実となったものだった。もちろんあなたは私の話を疑うことができる、それが真実だと証明されるまでは。いまのところ、それは証明されていない……。

 金髪で、生き生きした青い目、形のいい口の、標準的な肉付きの背の高い青年――つまりハンサムな若者――が、瞑想しているときにあらわれた。彼は話し始めた。わが頭の中で彼の語ることばすべてを理解することができた。これは驚くべきことだ。 

「やあ、マリアナ」彼は言った。「ぼくの名はティモシー。みんなぼくのことをティムと呼んでいる。苗字はブルック。アメリカ、シアトル出身の移住者だ。地球内部に移住して、もうだいぶ時間がたった。どう言ったところで最初は信用してくれないだろうけど、そのうち信じてくれると思う。知ってもらうのがぼくのミッションだ。そろそろ地球の表面の人たちに、ぼくたちの存在を知ってもらいたいからね。

さあ、ではこれからぼくの物語を話すとしよう」

 

 ぼくの父は船の船長だった。船は小さな貨物船で、シアトルとカナダのバンクーバーのあいだの海岸沿いで交易活動をおこなっていた。いささか自分の意思に反していたのだけど、ぼくは船乗りとして育った。母はぼくには海に行ってほしくなかったようだ。心配しなくてはならないのは、父だけで十分っていつも言ってた。

 母はスウェーデン人で、父は英国人の血筋だった。だからぼくはバイリンガルに育った。20世紀半ばに父は航海中に母と出会ったという。それからぼくが誕生し、しばらくして妹が生まれた。この妹も両親ももうこの世にいない……。

ぼくが19のとき船が難破し、父も船員たちも海の藻屑になってしまった。ぼくが海に出ないようにと母は涙ながらに訴えたのだけれど、父が相棒として選んだのはぼくだった。高校に行かずにぼくは海に出たのだ。父は頑固な人間だったけれど、まっすぐなところがあり、そんな父がぼくは好きだった。

 とんでもなくひどい嵐だった。波は家の高さほどもあった。ぼくらの小さな船は嵐にも耐えてきたのだけれど、こんどの嵐は火山級だった。船は岩だらけで、接岸不能の海岸に近づいた。できうるかぎり海岸近くに錨を下ろすべきと父が判断し、ぼくらは舵を握って陸地の方向をめざした。しかし船の積み荷の木材が重すぎたらしい。渦巻からのがれることができず、手袋みたいに船は持ち上げられてしまった。そして近くの崖に投げ出されてしまった。ひどい勢いで崖に激突したのを覚えている。いかめしい父の顔がぼくの顔に接近した。

「愛してるよ、わが息子」父は涙を浮かべて叫んだ。「もしこの嵐を乗り切ることができたら、二度とおまえを海に出させることはしないからな」

 これが最期の言葉となった。船は木っ端微塵になり、ぼくは海に投げ出された。冷たい海の中で、漂う木材にしがみついた。ぼくは意識を失っていたのだと思う。父の姿は見えなくなり、4人の船員も行方知れずとなった。

 突然、だれかがいるのを感じた。ぼくを乗せたボートは水の上を静かに進んでいた。ぼくは死んだのだろうか。船底に横たわっていたぼくは、肘を使ってなんとか立ち上がろうとしたが、すぐにくずおれてしまった。と、長い金髪の、輪郭のはっきりしたにこやかな顔が近づいてきた。はじめは男か女かもわからなかったが、しだいに男であることがわかってきた。

 ボートは壁画が描かれた、照明がよく施されたトンネルに入った。ほどなくして桟橋に着いた。金髪の男と黒髪の男に助けられて、ぼくは陸(おか)に立つことができた。

「ここはどこ? お父さんは? 船員たちは? 木材は下ろしたの?」質問が洪水のように出てきた。

「あなたのお父さんを助けることはできなかった。ほかの船員たちも、船も、助けられなかった。あなたは木材にしがみついていたので、救うことができた。木材があなたの命を救ったんだ。ひどい嵐だったので、われわれは難破船が出るのではないかと目を光らせていた。もうだいじょうぶ、あなたはここ地球の内部にいる。歓迎したい」男は流ちょうな英語でそう言った。

「わたしはマヌル・ゼルパ。しばらく体を休めてもらおうと、わたしたちの世界に来てもらったんだ」

 子供のころからぼくは年取った船乗りたちからさまざまな話を聞いてきた。このうちのひとつは、地球の内側にあるもうひとつの世界の話だった。ぼくはその話に魅了されてしまったものだ。もちろん話を鵜呑みにしたわけではなく、船乗りたちの作り話だろうと考えていた。しかしいまぼくは地球の真ん中にいる。年取った船乗りたちが話したとおりだったのだ。夢を見ているのではないかと、ぼくは自分の肌をつねった。こんなことありえない――けど、本当だった。

「いつシアトルに戻れるんでしょうか」

「あとでだれかといっしょに戻るのがいいよ。それより、まわりを見て! 固い大地の上を踏んでいるんだから」

 トンネルか岩の穴から出てきたとき、日光がどこか奇妙なことにはすぐ気がついた。夏のような風景のなかで、それは奇妙な光を発していた。シアトルを出たときは、風が強く、小雨が降っていて、11月の朝らしく暗かった。地面には落ち葉が積もっていて、空は灰色だった。

 ここは空気が澄み、柔和な陽光が降り注いでいた。輝かしい花々が小道に沿って咲いていた。どこにも緑の木々と茂みがあった。カナダの森の美しい朝のようだった。子供のころ、父や叔父たちと何度もこのような森ですごしたことがあった。しかしここは木々がまばらで、どうしてだか明るく、よりたくさんの花々が咲いていた。

「あなたが泊まる予定の村にわれわれは向かっている」金髪の救済者(セイバー)は笑みを浮かべながらそう言った。文字通り彼は救世主(セイバー)だ。

「お、お礼を述べなければなりません」ぼくは声をつまらせながら言った。「命の恩人です。ただ、混乱しているのです。地球の内部にいるのですね、大地の下に。行く村には農地があるのですか」

「ことばを費やすより、着いたらわかりますよ」マヌルはわかりやすく言った。「わたしはいままでたくさんの人々を救ってきました。この山々の外側に降りてきた船は、あなたの船だけではありません。でも危険な海はその外側の海だけなのです。海は地球の外側に所属します。いっぽうここは静かで常夏なのです」

 このことに慣れていかなければならないようだ。

 いままで見たことのない美しい風景のなかをわれわれは歩いた。そして高くて丸い建物がいくつも建っている村に着いた。建物は妖しいほどに輝いていた。おそらく建物を造る石のせいだろう。贅沢なほど茂った木々からは鳥のさえずりが聞こえてきた。そこにはリスがはしゃぎまわり、草むらの後ろにはウサギがこっそりと跳んでいた。この風景は地球の外側とそっくりだったが、どこかとてもちがっていた。あまりにも完璧すぎて、映画の世界のようだった。

 家々に囲まれた小さなマーケット広場の中央には井戸があった。われわれは家のひとつに入った。アーチ状の屋根を持つホールは、窓が床から天井まである半円形の部屋へとつながっていた。部屋の中の家具はモダンだった――心地よい、美しいデザインの椅子やテーブルなどである。それらも地表の家具とはどこかちがっていた。すべてが光り輝いていた。あたかも家具そのものや壁が生きているかのようだった。それにこの部屋には屋根がなかった! 屋根の頂の部分はあいていて、樹木の枝葉のあいまからやわらかい陽光がそそいでいた。

 マヌルはソファに座るようしぐさで示した。ソファの横にはガラスが入っていない窓があり、その窓から驚くべき景色が見えた。テーブルにカップを置いたあと、このにこやかな金髪の青年は姿を消した。その際、すぐに戻ってくるが、その前に飲み物を飲むようにとうながした。

 さっそくカップの飲み物を味わってみた。それはほんのり蜜の味付けがされた淡いワインのようですばらしかった。最初の一口で、火の矢に射抜かれたかのような衝撃が体に走った。頭がシャキッとした。なんてこった! 酔っぱらってしまうかもしれないぞ。しかし飲み干したあとも、酔っぱらうことはなかった。むしろ明澄なる思考と大いなる幸福感を体験していた。

 マヌルが戻ってきたとき、ひとりではなかった。もうひとりは2メートルを超える長身の男だった。ヒゲをきれいにそり、やわらかな顔をした、つややかなブラウンの長髪を持った青年である。若々しい顔には大きな美しい目がしつらえられてあったが、時間を超越して長く生きてきたのではないかと感じた。ぼくは行儀よく立ってお辞儀をしたのだけれど、彼はにこにこと笑って軽くハグしてきた。

「ティモシー、地下のワンダーランドへようこそ」と彼は言った。「どうやってここに来たか、私はよく知っている。さて、ここがどこであるか、教えるとしよう」

「あなたは賢明なるマスターですか」ぼくはさえぎって聞いた。「地球内部に存在するそういった人々の話を聞いたことがあります」男は心から笑った。

「若者よ、どこにだって知恵というものはあるものだよ」と彼はこたえた。「自分を賢いと信じる者は愚か者だ。愚かさはつねに知恵をまちがった方向に導くもの。もし知恵を求めているのなら、まわりを注意深く見ればよい。自然には知恵があふれている。地表の人々はそれを破壊するのに忙しいようだが」

「それで、あなたはどなたなのですか」いつになく執拗にぼくは聞いた。

「私の名はダリエル。まだそれ以上のことを知る必要はない。私はここの9人の評議会メンバーのひとりだ。われわれはあなたを歓迎する。もう数日間、地表からのゲストとして滞在してくれたらと思うのだが」

 ぼくはもう一度お辞儀をして、招待を喜んで受け入れた。招待を無下に断るべきではないだろう。

「そのあとに家に戻れるようとりはからってもらえますか」ぼくはたずねた。「ほかの人たちとともに海に遭難したと母は思っているでしょうから」

「もちろん家に戻れるよう手助けするつもりだ、もしその時点で家に戻りたいと願っているなら」ダリエルは鋭い目でじっとぼくを見た。「われわれはだれをも無理にとめるようなことはしない。しかしほとんどの人は帰ろうとしないのだ。帰った人々は、その後、われわれのことを話しても、だれにも信じてもらえない。

 ここは生活するのに快適な場所だ。われわれはお金をめぐって争うようなことはない。必要なのは互いに思いやることなのだ。われわれは地表のことと、そこに住む人々のことをつねに注意している。かれらの考える発展が災いをもたらすだけであることを知っている。ここではすべてがもっと気楽だ。あなたもこの世界が好きになるだろう」

 ダリエルは前かがみになり、ぼくの両手を握った。彼がぼくの目をじっと見据えると、なんとも言い難い内なるやすらぎに満たされるのだった。ぼくは依然として父のことを深く嘆き、母とちび、つまり妹と会いたくてしようがなかった。しかし、瞬時のうちに悲嘆と思慕の度合いは減り、この特殊な国についてもっと学びたいと考えるようになったのである。あたかも天使の羽根で撫でられ、幸福と平安につつまれたかのようだった。遠くから、やさしい音楽が流れてきた。それは現代の地表の音楽とは似つかず、モーツァルトか昔の大作曲家の曲のようだった。

「まず手始めに、数日間、マヌルが境界地方を案内してくれるだろう。最初に訪ねるのはテロスだ。もし地表の住人がこの世界に落ちてきたなら、行きつく場所はこのテロスということになる。

 ティモシー、私はあなたの友人である。もし質問があったり、なにかの助けが必要であったりするなら、私を呼んでほしい。時が来れば、私たちはまた会うことになるだろう」