アガルタ 

10 好ましい再結束と新しい知古 

 

 昼なのか夜なのかわからなかったが、ナンシーはずっとあくびをしながら家へ向かった。エリーはマヌルのひざの上だった。家に着くと、ぼくはおばあちゃん、マヌルとともに散歩に出ることにした。マヌルがどこに住んでいるかはわからなかった。あなたが彼を必要とするなら、彼はそこにいた。ナンシーは眠そうに「おやすみなさい」と言い、うとうとしている娘を寝室に運んだ。

 道路というものがなかったので、自分自身の歩道を見つけなければならなかった。ここに来てまもなくぼくはテロスでいかに歩くか、いかにホバーするか学んだ。ホバークラフトに乗ることもできたが、自分自身で地面から数インチほどホバーする(浮く)こともできた。爽快な気分だった。おばあちゃんはまだ浮くことができなかったので、ぼくらは腕を取り合って草の上を歩いた。マヌルはほんの少し先をホバーしながら進んでいた。そのとき突然マヌルが止まった。音楽と陽気な歌声が流れてきた。そして愛らしくてしなやかな踊り子のカップルが現れたのである。

「ゴージャスだわ!」そう言ったのは、いうまでもなくおばあちゃんだった。「なんて素敵なダンス・ステップ」

「望みとあらば、自由に参加してください」マヌルは言った。「疲れたときは、あの木のかたわらで会いましょう」

 彼は旋回するダンスの輪の中に消えていった。ぼくとおばあちゃんは彼のかかとのあとを追った。このダンスを言葉で定義するのはむつかしかった。だれもが音楽とは無関係に動いているようでありながら、調和があり、総合的なプランがあるように思われた。

「あら、こんにちは!」背後から聞こえてきた声は、すぐに認識できた。待ち望んでいた声だ。わが美しき友人、シシーリャがぼくの手を取り、ダンスへと誘った。

「ずいぶんと久しぶりだね」ぼくの精一杯のセリフだ。

「ここに時間というものは存在しないわ」彼女はほほえみながら言った。「ここではいつも<いま>だけがあるの。わたしたちすべてが物事をポジティブに考え、愉悦と愛に身を捧げるなら、<いま>はつづくわ。地上であなたはjoie de vivre(生きる喜び)を失っていた。愛を何か世俗的なもの、不道徳なものに変えていた。わたしたちは働くのが好き。リラックスするのが好き。互いを助けるのが好き。美しい森の中を散歩するのが好き。愛する人々と会うのが好きなの」

 彼女はぼくの手を離すと、ぶつかりあうダンサーたちの中に消えていった。ぼくは大声で彼女を呼び、ベールと乱れる髪越しに彼女の姿を探そうとしたが、見つからなかった。そのかわりにマヌルと出くわした。彼はぼくを大木まで連れていった。そこに坐って男の人と話をしていたのはおばあちゃんだった。男の人はぼくたちのまわりの人々よりも年上に見えた。

「この人はわりと最近来たばかりだ。地上の時間でいえば来てから二か月しかたっていない」マヌルはくわしく話した。「ここに来たばかりの人々とは、会合を持つようにしているんだ。そのことについてエミリーに説明できるよ」

「で、ぼくも参加したほうがいいの?」ぼくはたずねた。

「いや」驚いたことにマヌルはそう即答した。「きみは違うルートでやってきたわけだし、私とアーニエルがきみの面倒を見てきた。きみにはほかのプランがあるんだ」

「そのプランの中にシシーリャが含まれているとうれしいんだけど」ぼくはつぶやくように言った。「彼女とはまた会えるだろうか」。マヌルはニヤリと笑ったが、何も言わなかった。ぼくたちは木のたもとでおばあちゃんと彼女の新しい友だちに追いついた。

「こちらはレックスよ」おばあちゃんがそう言うと、彼女の横にいた男は軽くお辞儀をした。「まあ、じっさい、名前はアレクサンダーなんだけどね」。彼はとても背が高く、ふさふさした白髪の持ち主で、六十代のように見えた。茶色い瞳は親しみやすさと感受性の高さを表していた。そのほほえみからは並びのいい白い歯がこぼれた。肌の色はインディアン(ネイティブアメリカン)のような茶色だった。凛々しい鼻はまさに彼がネイティブアメリカンであることを示していた。

「あなたがたがここまで来たような長旅をしたことはありません」よどみのない英語で彼は言った。「ペルーの自宅でアガルタについて聞いたとき、そこへ行かなければならないということがわかったのです。でも行くのは簡単なことではありませんでした。このすてきな新来の方にお話しましたとおり、まるで隔離されているかのように感じられます。わたしは広範囲にわたって見聞きしてきました。この美しい国のことをもう少しお見せしたいと存じます」

「私たちは会ったことがあります」マヌルは差し出された男の手を取りながら言った。「思うに、新来の人々はレックス、あなたと話をしたがっているよ」

「新来のなかに夫を亡くした女性と子供の親子がいると聞きました」とレックス。「彼らはどこですか?」

 ぼくは古代インディアンのやりかたで挨拶をした。おなじやりかたで彼は挨拶を返した。そしてぼくたちは握手をした。「彼らとはあした会えますよ」とぼくはこたえた。「質問攻めにあうと思うので、準備をお願いします」

「質問には慣れています」と彼はこたえた。「わたしはいわば古代の伝統を保持したペルーの小さな村の酋長みたいなものですから」

「そのことについてはもっと語ってほしいですね」おばあちゃんの手を取りながらぼくは元気に言った。「もしぼくの家への道を見つけることができるのなら、十分な睡眠のあと会いましょう」

 彼はうなずいた。そしてぼくはマヌルにしばしの別れを告げた。翌日、友人たちと家を出たあと、ふたたび会うことになるだろう。

 彼の協力によって、ぼくの知らないエリアの風光明媚ツアーのプランをたてた。この旅行プランにナンシーもさぞ喜んでくれるだろうと期待した。しかし喜ぶどころか彼女は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべ、涙の痕跡もあった。彼女はソファに深く沈み、となりに坐るようぼくにうながした。エリーは庭で遊んでいた。

「あの子を学校に入れないといけないわ」ナンシーは不平をこぼした。「一日中家であの子の面倒を見るわけにはいかないわ。ほかのことができなくなってしまうもの」

「かかりっきりになることはないよ」なぐさめるようにぼくは言った。「ここには学校というものがそもそもないんだよ。両親が望むなら、子どもたちはライブラリーで教育を受けることだってできる。読み書きやその他役に立つことを学べる。でもそれは地上の教育とも違うんだ。もし子どもたちが学びたくないなら、教師たちは両親と相談してほかのものを選べる。たとえば絵画、工芸、歌唱、物語など。でもまずライブラリーの教師と話してみるべきだ。それから娘を紹介するといい」

 ナンシーは泣きはじめ、それから両手を伸ばしてぼくを抱きしめた。彼女はぼくのひざの上に体をのせてきたので、ぼくはこの不品行な接近から逃れるために立ち上がらなければならなかった。

「わたしのこと、好いてくれるんだと思ってた」彼女はぐずりながら言った。「この見知らぬ土地でいっしょにやっていくんだと思ってた……」

 幸いというか、ナンシーをさえぎったのは、同年代の女の子と駆けてもどってきたエリーだった。「ママ、友だちができたの! 英語もしゃべれるよ! ウェンディっていうの。ピーターパンに出てくる女の子みたいでしょ? ウェンディは妖精と話すことができるの。ふたりでいるととても楽しいんだから!」一息でこれだけのことを言って、エリーはぼくに抱きついてきた。

「エリー、わたしたち、ここに長くいることはないわ」ナンシーの声は凍っていた。「いい学校がないの。それにたくさんのことがなつかしいわ。この国は好きじゃないもの。シアトルの家に帰りたい。わたしたちの家はシアトルに残したあの家よ。売りに出したわけじゃないんだからね。長く離れすぎてしまったわね」

「でもママ、ティムおじさんは新しいパパでしょ! ここに住んでいるわけだし」エリーは涙ぐんでそう言った。そしてぶかしげにぼくを見た。

「わかるかい」エリーの手を取ってぼくは言った。「時間は地上とここではおなじじゃないんだ。ぼくたちはここに一年近くいるんだ」

「マヌルと話せるかしら」ナンシーの声は憤怒と嫌悪に満ちていた。彼女はぼくの拒否を真剣に受け止めていた。でもぼくは彼女と恋に落ちたわけではなかった。彼女はぼくの親友と結婚したよき友だちだった。ぼくは彼女から助けを求められたので、助けたにすぎなかった。ティッチも彼女のことが好きだったが、これは一種のボーナスのようなものだった。ぼくの気持ちは愛と呼べるものではなかった。

「旅行から戻ってきたら、きみが思うようにすればいい」とぼくは示唆した。「おばあちゃんと友だちのレックスはもうすぐやってくるよ。風景はほんとうにすばらしいんだから」

「もう十分に見たわ!」ナンシーは叫んだ。「わたし、もう、外に出ていかないから」

 エリーといっしょに来た女の子が窓際にしずかに立っていた。「こちらに来ていい?」女の子は沈黙のあとそう言った。ぼくは彼女の前で腰をかがめた。

「もちろん、どうぞ」ぼくは言った。「きみの名前は?」

「あたしはウェンディ。英国から来たの」少女は答えた。

 ウェンディは腰にまで達する長い、ダークブラウンの髪の、大きなブラウンの目をもつかわいい女の子だった。ほほえんだときには、両頬にえくぼが浮き上がった。

「あたしはママが死んだとき、パパといっしょにここに来たの。パパはここで働いているよ。ここにどれくらいいるのか、わからない。だってここには時間がないっていうんだもの。でもそんなに長くはないと思う」

 感情を爆発させたあと、ナンシーは部屋から出ていった。彼女は紅茶とコーヒーのかわりに飲むドリンクのための四つのコップとトレイを持って戻ってきた。彼女は感情をしずめることができたようである。

「ツアーに参加しようと思っているの」彼女は言った。「エリーはすごく行きたがっているわ。わたしもおなじ気持ちよ。ここにいたってすることないし」

 こうして驚くべき旅がはじまった。


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