バガン壁画礼賛 バガンで途方に暮れる 
<シュエズィゴン寺院> Shwezigon Paya




The Buddha Kakusandha











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 その後のミャンマーの全パゴダの基本となった、バガンでもっともシンプルで、もっとも美しいパゴダ(パヤー)は、Jeyyabhumi(勝利の地)にその名が由来するシュエズィゴンである。

 バガン朝絶頂期を築いたアノーヤター王(10441077)がこのパヤーを築いたという。もっとも、王が薨去したときは台座の3層しかできていなかった。

 言い伝えによると、このパヤーには聖なる仏歯、鎖骨、額の骨が収められているという。仏歯はスリランカの王から贈られたものであり、額の骨はピェイ近くのタエキッタヤから得たものである。年代記によると、アノーヤター王は聖なる額の骨が入った箱を宝石で飾った白象の上に載せ、荘厳なるお辞儀をした。そして王は言った。

「聖遺物が憩いたい場所に白象よ、跪け」

 白象が跪いた場所こそシュエズィゴン・パヤーが建てられた場所だった。(その後すこし移動したという)

 パヤー建設事業は息子のチャンシッタ王に引き継がれた。あるとき国師のシン・アラハンはパヤー完成を急ぐよう促した。チャンシッタ王は建議を受け入れて、民を総動員し、わずか7か月と7日で完成させたという。


「ちっちゃ!」と叫んでしまった。これが王室公認の37のナッ神とは。

 私の今回の訪問の目的は、37のナッ神像を見ることだった。マンダレー周辺をはじめ、各地でナッ神を見てきたのに、もっとも権威があるシュエズィゴンのナッ神像を見たことがなかったからだ。ここには19世紀に王室が公認した37のナッ神が祀られているはずである。

 もっとも、ナッ神像を見るたびに思うのだが、威厳とか神々しさのようなものは微塵も感じられず、いつも失望させられてしまうのだ。しかしいつも見るセルロイドの人形のような、あるいはマネキンのようなナッ神像と違って、多少なりとも凄さを感じることができるのではないかと胸を躍らせたのだが、実際に見てみると、やはりどこか安っぽさを感じた。

 おそらくナッ神像が仏像よりも立派になってはいけないという心理が働いているのだろう。仏像を拝むように、ナッ神像を拝むことは許されないのだ。しかしたとえ見かけは「ちゃっちく」ても、スピリチュアルに信仰することはできるはずである。


参道はみやげもの屋商店街となっていた。