バガン壁画礼賛 バガンで途方に暮れる 
<ウパーリ戒壇>(1) Upali Thein 














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 アーナンダ寺院やタッビンニュ寺院のような巨大建築に目をみはった後、ウパーリ戒壇を見たなら、そのショボさにいささかガッカリするかもしれない。ロケーションも、オールド・バガンから1・5キロほど東の町(ニャン・ウー)方面へ行った道端にあり、中途半端でどこかさえない。しかし一歩そのなかに入り、壁画を眺めたなら、感嘆の声をあげずにはいられないだろう。

 戒壇(thein、パーリ語でsima)とは、戒を授ける場所のことであり、出家して正式に僧侶となる儀礼が行われるところである。そもそもそれは個人的な行事であり、大きな建築物は必要とされないのだ。戒壇があるということは、バガン朝の時代に大乗仏教にかわり、上座部(テーラワーダ)仏教が本格的に導入されたことの証しである。戒壇では授戒儀式だけでなく、雨安居のあとの懺悔の儀式などにも使われたという。

 ウパーリは、ティーローミンロー王(在位12111234?)の時代に生きた著名な高僧の名である。名が冠せられたということは、没後すぐ、1230年代か40年代に建設されたとみるべきだろう。当時ミャンマーには数多くの戒壇が造られたはずだが、残ったのはごくわずかである。

 よく見れば、小ぶりなりにも味のある外観であることがわかる。解説書によれば、ウパーリはレンガ作りだが、木造建築を模倣したものだという。もしかすると、もともとは木像建築だったのかもしれない。たしかに建物の両端は、木柱や梁(切り妻)を模倣しているように見える。屋根全体は、はしけのような形をしていて、二列の胸壁が屋根の上に並ぶ。屋根の中央には小さなパゴダが載っている。

 バガンではよくあることだが、はじめウパーリに着いたとき、錠の持ち主が見当たらなかった。鍵がないために中を見ることができない、という事態は珍しくない。さいわい錠を持った初老の男がすぐ現れ、扉は開かれた。男は写真を撮ってもかまわないという。バガンでは、錠の持ち主はなぜかみやげもの売りを兼ねていることが多い。

壁画を見終わったあと、男は、おみやげのシルクの絵とともに、日本軍の軍票を自慢げに見せた。撮影を許可したのだから、入場料以外にこれらのおみやげを当然買うべきだ、と言わんばかりに。

このとき、10年前にここを訪ねたときも、おなじ男がおなじように軍票を売ろうとしたことを、突然思い出した。いや、デジャヴだろうか? バガンの灼熱地獄をめぐるうちに頭がおかしくなったのだろうか。

 ウパーリの壁画は、バガンの数ある壁画のなかでも私の好みの最上位にランクされる。モティーフは、ブッダの物語やジャータカ(前世物語)である。その画は、見れば見るほど精緻で、巧みに描かれていて、しかもタッチが独特である。

しかし損傷を受けている部分も目立った。1975年の地震によって壁にひびが入ったり、剥落したりしたのだという。

 壁画が描かれた時期はそれほど古くはなく、17世紀から18世紀にかけての近世とされる。しかしもともとの壁画はバガン朝時代に描かれ、その上から塗りなおしただけなのかもしれない。