偉大なる精神の導師である彼は、

じつに至上の悟りの顕現である。

教育や修練という修羅場は彼には必要なかった。

前世の善いカルマの縁起によって覚醒し

弟子たちに適宜な例を示すため

彼は偉大な学者タミ・テゲを含む

シャンシュンとチベットの八人の学者から

教えの精髄を受け取った。

 

彼は九人のインドの学者の前に跪く。

その知性を解き放ち

サンスクリットの文法、論理、典籍、文化を学んだ。

彼はタントラの秘密の行動を会得し

それゆえヴィルワパを成就した者として知られるようになった。

 

彼はタジク(ペルシア)の地へ旅をした。

そこで「天空の色」という名の

偉大なる僧シンギ・セムパ(Shin gyi sem pa)のもと

顕教と密教の無限の教えを授かった。

また偉大なる「ユンドゥン(スワスティカ)の明晰な智慧」から

外部の密教と顕教の伝承を、

そして智慧と修行の教えを授かった。

 

華麗なる息子と呼ばれたンガツァ・キョルポ(Nga tsa kyol po)のもと

降魔マントラの大寺院にて

壮大で神秘的な結合と解放のなか深遠な教えを授かった。

彼は「ユンドゥンの不変の王」と呼ばれる。

 

偉大なる成就者「千のタントラの大魔術師」から

彼は憤怒の魔術と奇跡的な迅速の旅を学び

二十一の言語の翻訳官になるべく修練した。

ウッディヤーナの八つの墓場で

彼は精神的な八つの階級の戦士、すなわちギン(ging)であると表明し

神々や人食い鬼に誓いをたて、金剛供養を催した。

 

シャンシュンの西南で

彼は論理と経典の討論で五百の外道の師と弟子たちを論破した。

彼は相手方の哲学の矛盾点をつき、仏陀の教えの根本を築き上げた。

そして「歌の収集者、獅子の話者」として知られるようになる。

 

シャンシュン中央部のンガリ三部で

彼は大寺院「純粋なる修行」寺を建立した。

このとき彼は仏陀の教えの勝利の旗を立てた。

彼は「奇跡的な智慧」を持つ者として知られるようになった。

 

シャンシュン外部、チベットの4地域を支配する者にとって

彼は国家に擁護された精神的な導師であった。

彼はインドへ七度行き

ペルシア内部も五度訪れた。

 

彼は永遠の生活において瞑想法を会得した、

すべての神々や魔物に誓いを立てさせた。

将来の百の悟りを開いた者たちを祝福し

彼の教えにカルマでつながる将来の者たちを予言した。

 


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