スンダル・シンのキリスト教
サドゥー・スンダル・シン(1889-1929)を『イエス・キリストのインド修行伝説』のなかに置くと、そのサフラン色の衣をまとった行者(サドゥー)の姿とあいまって、あやしげな存在に映るかもしれない。しかし彼は土着化したキリスト教ではなく、インドで布教活動をおこなっていた英米のキリスト教の影響を強く受けていた。そして自らインドの伝統を受け継いでサドゥーの姿をとり、インド、ネパール、チベットで、宣教師として神の福音を説いて回ったのである。
彼がキリスト教に接するきっかけとなったのは、パンジャブ州に作られた長老派教会の学校に通ったことだった。両親からすれば、息子がミッション・スクールに通うことで欧米の先進文化を知り、最先端の教育を受けることができるはずで、キリスト教に改宗するはずはなかった。なぜならここはシク教の地域のど真ん中であり、家庭もシク教に対する信仰があつかったからである。
息子がキリスト教を捨てようとしないことに激怒した父親は彼を毒殺しようとする。日本では考えられないことだが、たとえば娘が異教徒の男と恋に落ちたときなど、家庭内で処分するようなことがいまでも起きているのである。
一命をとりとめた彼は、かえってキリスト教への信仰をあつくしていく。彼は、おそらく英領インドにあっては活動しやすいと思ったのだろうか、長老派教会ではなく、英国国教会の教会で洗礼を受けている。彼はすぐに家族を捨てたわけではなかった。父親に神の教えを説いて、キリスト教に改宗させようとしたのである。もちろん父親がシク教からキリスト教に改宗するはずはなかったが、父親も最後は息子に理解を示すようになっていく。
スンダル・シンはチベットで布教しているときに行方不明になっている。彼は聖なるカイラス山(カン・リンポチェ)の近くで井戸に落とされたことがあった。いまどれだけの井戸がこの地域にあるかわからないが、カイラス山から西へ50キロ行ったところのメンシという村の私が泊まった宿の庭には5、6mの深い井戸があった。乾燥した地域なので、通常よりも相当深く掘らねば水は出てこないのだろう。彼は仏教徒のチベット人によってこのような井戸(厳密には使用されなくなった井戸)に落とされたり、襲撃されたりしたのかもしれない。
雲南北西部からチベット自治区東南にかけてチベット人のカトリック教徒の地域があるが、ここでも百年以上前、布教活動をしていたスイス人宣教師が仏教僧らに襲撃されて命を落としている。また西チベットの荒野を歩けば、野生動物に襲われる危険性が高い。私も西チベットで、夜じゅうひとりで歩き回ったことがあるが、野犬の群れかオオカミと遭遇したのではないかと人々を心配させてしまった。病気になったかもしれないし、悪天候のなかで体調をくずしたのかもしれない。スンダル・シンに何が起こったかはわからないが、殉教者になったのはまちがいない。多くのチベット人を改宗させたとは思えないが、殉教者となったいま、その声と熱意は現在の、そして将来の人々の胸に響き続けるだろう。