チベットへ行ったもうひとりのサドゥー・シン

 スンダルはサトレジ川に沿って北上し、チベットをめざした。チベットといっても現在のインド領スピティ地方のことである。言語はチベット語西部方言であり、スピティの文化も民族もチベットといってさしつかえない。

 比較的大きな町であるランプル(スンダルの生地と同名だが異なる町)を出発し、キナウル渓谷をさかのぼってプーという村に達した。ここにはふたりのモラヴィア教会の宣教師が滞在していた。彼らが紹介してくれた通訳タルニェド・アリを連れていよいよチベット(スピティ)の領域に入っていった。

 この地域では宣教師は歓迎されず、スンダルらは毎日外で寝るはめになった。キワル(おそらくキー・ゴンパの上方のキッバル村)の川で水浴していると、棍棒をもった村人たちが叫びながら走ってきて、彼らに危害を加えようとした。スンダルらはなんとか抜け出して、落胆し、疲れ切って山道を登って行った。道端に荒れ果てた小屋があったので、そこに入って息をついだ。

 しばらくすると地元のノルブというチベット人が入ってきた。空き小屋というわけではなく、通過する人が使える共同小屋なのだった。スンダルが「私はサドゥー・スンダル・シンと申します」というと、ノルブは目を輝かせた。

「サドゥー・シンはあなたが二人目です。彼はクリスチャンの聖者でした」

 これにはスンダルが驚かされる番だった。シン姓ということはもともとシーク教徒だったはずで、しかも珍しいクリスチャン・サドゥーとは。

「彼の名はカルタル・シンです。富裕な地主の一人息子として生まれました。彼はどうしても心の平安を得ることができず、悶々とした日々を送っていました。そんなときキリスト教と出会ったのです。父親は信仰を捨てるよう促しましたが、息子は拒絶しました。ついにカルタルは家から追い出されてしまったのです。

 彼はサフロン色の衣を着て、ターバンをかぶり、サドゥーになりました。彼はチベットに惹かれ、この地方にやってきたのですが、人々は歓迎しませんでした。人々は彼をからかったり追い回したりしました。

 この地域の寺の住持はカルタルの活動に業を煮やし、捕えて裁判にかけることを命じました。カルタルに有罪判決が言い渡され、罰としてヤクの生皮に身を包まされました。このまま太陽のもとに放置しておくと、乾燥して皮が縮み、ゆっくりと彼のからだをしめあげていくのです。仏教徒はただそのさまを見るだけで、殺すのはあくまでもヤクの生皮なのです。三日間、群衆は彼が死に行くのを眺めていました。骨が折れる音を彼らは聞きました。

 カルタルはこう言いました。ああ、神よ。あなたの手に私の魂をゆだねます。なぜならそれはあなたのものですから。そうしてカルタルは息絶えました」

 ノルブは一息ついた。

「話はこれで終わりません。寺の住持にはおつきの者がいました。彼はカルタルがもっていた聖書が気になり、家に持って帰って読んでみたのです。カルタルが死に面してなぜあんなにも勇敢であったか、知りたかったのです。彼は聖書から学んだことを人にも話して聞かせるようになりました。そして最後には自分たちのことをクリスチャンと呼ぶようになったのです」

「それでどうなったんですか」

「もちろん住持のラマは怒りました。カルタルの死はキリスト教への警告でもあったのです。しかしそれは逆に作用することになりました。新しい宗教を広げたのが自分のおつきの者だと知ったラマはさらに怒りました。ラマは彼をとらえ、鞭で叩き、ごみ捨て場に投げ込みました。これで彼は死んだだろうとラマは思いました。

 でも死ななかったのです。不思議な力がわき出てきて、彼は瀕死の重傷を負っていたものの、ごみ捨て場から這い出たのです。彼はケガから回復したあと、各地を福音を説いて回る許可を得ることができました」

「驚くべき話です。その男に会うことができるでしょうか。いま彼はどこにいるのでしょうか」

「思ったより近くにいますよ」とノルブは言った。「私がその男なのです」

 そう言ってノルブはすりきれた聖書を目の前に置いた。

「これがカルタルの聖書です。扉には彼の詩が記されています」

 


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