チベットで瀕死の人を救う 

 インド人やヨーロッパ人からよくチベットのミッションに同行したいという申し出があったが、スンダルはいつも断っていた。しかし1917年春は4人(印、欧各2人)の同行を許可した。彼らはデラドゥンを出発し、ムスリーに到達した。スンダルは春のウォーキングを楽しんだ。しかし4人のうちの2人にとっては厳しい登山であったようで、ムスリーではやくも脱落した。残った学校教師のアレクサンダー・ジャドソンとハンセン病病院の牧師でクエーカー教徒のモハン・ラルとともにスンダルはムスリーを出発した。しかし高度が高くなり、雪が降るようになると彼らもまた進めなくなった。スンダルは彼らをムスリーに送り届け、それからふたたび出発した。

 彼は途中でいっしょになったチベット人と旅をつづけた。彼らは海抜5千メートルを超える氷で覆われた峠を越えた。峠の向こうには危険な岩棚があり、一歩一歩慎重に進んでいくと、足元のずっと下のほうの雪だまりの上に人の体があった。スンダルはチベット人の毛衣の端を引っ張り、唸るような風に向かって叫んだ。

「見ろ、人が落ちているぞ! 救出せねば」

 チベット人は乗り気でなかった。死にかけている人を村に運んでいったなら、こちらのほうが遭難してしまうかもしれない。しかしスンダルは祈りの言葉を唱えると、ひとり敢然と人の落ちている谷底のほうへ降りて行った。

 スンダルは横たわる人を背負い、雪が舞うなか、ゆっくりと、だがしっかりと村へ向かって歩み始めた。

 激しく降っていた雪がぱたりとやむと、視界が開けた。すこし先に石の家が見えた。これで安全が確保される。スンダルは安堵の溜息をついた。しかし喜びは瞬時にショックに変わった。道のわきに、いっしょに旅をしてきたチベット人の変わり果てた姿があったからだ。村まで叫び声が届くようなところにまで来ていたのに。スンダルは、救出した男と自分の体が触れることで熱を生じ、そのぬくもりによって助かったのだと気づいた。もし男を助けなかったら、スンダルも路傍で凍え死んでいたことだろう。

 スンダルが男を救出したというニュースはまたたくまに広がった。多くの人が彼の話に耳を傾けた。もっとも、大半の人は依然として彼に敵意をむきだしにしていたが。あるときは村人に押し倒されて岩の角に当たって顔と手を切ったことがあった。血を流しながらも、彼は賛美歌を歌い続けた。そして祈りを唱え、「村のだれにも祝福あれ! よき収穫がありますように!」という言葉を残してつぎの村へ向かった。

 


⇒ つぎ