13章 イエスのヨーガ(3) 

ヨガナンダと「イッサ文書」 

 パラマハンサ・ヨガナンダはノトヴィッチの『イッサ(イエス)の知られざる生涯』(本論考の第1章参照)を読んだことがあるだけでなく、その影響を強く受けていた。

 イエスに関する驚くべき記録が生地イスラエルではなく、はるか東の彼が何年もすごした地に残されていました。その無限の価値を持つ記録はチベットの僧院に秘蔵されていたのです。そこには宇宙の魂を体現するイスラエルから来た聖イッサのことが描かれていました。彼は14歳から28歳までの間、インドやヒマラヤですごし、聖者や僧、パンディットたちにメッセージを伝え、それから生地に戻ったというのです。(ヨガナンダ『イエスのヨーガ』)

 ノトヴィッチのいわゆる「イッサ文書」はすでに述べたように、現代のわれわれからすると偽書臭がぷんぷんと漂ってくる文書である。工作活動なのか(ノトヴィッチにはロシアのスパイ疑惑がつきまとう)、おカネもうけなのか、名声欲なのか判然としないが、彼自身が文書を捏造したという可能性は十分にある。しかし僧院で文書を見たという証言も複数あることから、他者の作った偽書を「発見」したのかもしれない。

 ヨガナンダにとっては「イッサ文書」が偽書であろうとなかろうと、真理を追究するという点においては大差がなかった。もしそれが偽書であったとしても、イエスが追い求めていた真理とインドの地で探し求められてきた真理が同一であったことに変わりはないからだ。

 インドは宗教の母なる国です。その文明はエジプトの伝説的な文明よりもはるかに古いのです。もしこれらについて研究したなら、インドの古典がエジプトの死者の書や新旧の聖書にどれだけ影響を与えたか知ることになるでしょう。それというのも、はるか古代からインドは宗教の専門家だったからです。(ヨガナンダ『イエスのヨーガ』)

 ヴェーダ学の権威であるデーヴィド・フローリーの主張と同様のことをヨガナンダは言っている。すなわちもっとも古く物質文明を築いたのはエジプトだが、精神文明を築いたのはインドだとする仮説だ。イエスはインドの高い精神文明を学ぶために、商人の隊商に加わってインドにやってきた。イエスの説く哲学にインドの精神性が感じられるのは当然のことなのだ。

 ノトヴィッチが発見した文書はインドにいた頃から私が温めてきた持論、すなわちインドのリシ(仙人、聖賢)は赤子のイエスを訪ねた賢者と関係があるのではないか、またイエスがインドへ行ったのは彼らの祝福を受けるためであり、それが世界のための使命であったのではないか、という見方を補強するものでした。(ヨガナンダ『イエスのヨーガ』)

 イエスはインドに行ったことによっていわばインド化したわけではないとヨガナンダは言う。むしろいま考えられているイエスは西欧化したイエスなのではないかと彼は主張しているのだ。

 キリストは世界からまちがった解釈をされてきました。彼のもっとも基本的な教えさえ俗化されてきたのです。その秘教的な深みは忘れ去られました。ドグマや偏見、偏狭な理解によって磔刑に処せられたのです。虐殺の戦争が行われ、(神ではなく)人の作ったキリスト教教義の権威によって、人々は魔女や異端として火あぶりにされました。

 無知の手からいかにして永遠の教えを救うことができるでしょうか。われわれはイエスが東洋のキリスト、すなわち普遍的な神との合一の真理を会得したヨーガ行者であり、神の声と権威を持った救世主として語り、行動する者であることを知らなくてはなりません。彼はあまりにも西欧化されすぎてしまいました。(ヨガナンダ『イエスのヨーガ』)



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