骨折のエピソードはカルトの書からの借り物だった 
                                                  宮本神酒男 

 のちに、多方面からイッサ文書はノトヴィッチ自身が作った偽書ではないかと疑われ、批判された。また、ヘミス僧院で文書を見せてもらうきっかけとなったノトヴィッチの骨折は、あまりにもタイミングがよすぎて、本当にあったこととは思えないと多くの人から言われることになった。
 しかしホルガー・ケルステンは、骨折の証拠はないものの、レーで歯の治療を受けたという証拠、すなわち外国人医師による診断書を見つけ出した。ノトヴィッチがラダックに来たこと、そしてヘミス僧院を訪ねたことはまちがいなさそうである。

 足を骨折したことがきっかけとなり、秘密の文書を目にするというエピソードは、どうやら神智学協会を創立したブラヴァツキー夫人の『ベールをとったイシス』(1877)
のエピソードを拝借したもののようだ。
 ある旅人(学者)が正教会の聖地であるギリシアのアトス山を訪れたさいのこと、汽船からボートに乗り移るとき、落下して足を骨折してしまった。
 彼は修道士たちから手厚い看護を受ける。回復期には修道士たちに贈り物やお金をプレゼントし、彼らの信頼を勝ち得た。こうして彼らの宝庫に収められていた貴重な文物を見る許可をもらう。そのなかにはオリゲンの引用からしか知ることのできない1世紀に書かれたケルススの『真理の言葉』の原本も含まれていたのだ。彼は二週間、そこに滞在し、古文書を見ることができた。しかしのちにもっと見ようとして告げられたのは「宝庫の鍵を紛失した」という返事だった。原本が本当にあったかどうか、わからなくなってしまったのだ。

私がすでに引用したように、ケルススの『真理の言葉』(2世紀)には、イエスの本当の父親はローマ人兵士だという秘密(?)を明かすなど、キリスト教徒にとって都合の悪い情報がたくさん含まれているはずなのだ。
 ノトヴィッチはたんに剽窃したわけではなく、「イッサ文書はケルススの文書と同様に重要で画期的である」というメッセージをこめているのだろう。また同時にこのエピソードを付け足して、ヘミス僧院に長居する理由を作り出したのである。

 ノトヴィッチの仏教観もまた、神智学協会のシネットの著書『秘教的仏教』(1883)の影響を受けているかもしれない。オカルティズムは当時、思想のあたらしい潮流となろうとしていた。ノトヴィッチの仏教はチベット仏教ではなく、オカルト仏教であった。

 このように考えると、イッサ文書やそれに関わるノトヴィッチの文章は偽造であり、おそらくヨーロッパに移動したあと書いたものだろうと結論せざるをえない。
 ところが捏造とばかり言えない証言がつぎつぎと出てくるのである。たとえばラーマクリシュナの高弟、アベーダナンダのような信頼のおける人物がおなじ文書を見たというのだ。いったいどういうことなのだろうか。

 
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