東方の三博士はペルシアかインドからやってきた
誕生したばかりのイエスに会いに来た東方の三博士は、インドとイスラエルの深い関係の秘密を解く鍵となるのではないかとケルステンは考えた。このエピソードが記されるのは、「マタイ福音書」第2章の1から12節だけである。
東のほうで星を見た博士たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」を探しにイスラエルにやってくる。ヘロデ王は不安を感じ、博士たちを呼んでベツレヘムにつかわせる。
彼らがベツレヘムに向かうと東方で見た星が幼な子のいる所の上にとまった。彼らはその家を訪ね、イエスと会い、母マリアに挨拶し、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
そして「夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道を通って自分の国に帰って行った」。
このあとに「ユダヤ人の王」の誕生を恐れたヘロデ王は、すべての2歳以下の嬰児殺しを命じ、イエスの家族はエジプトに難を逃れる。
東方の三博士は有名だが、じつはどこにも3人とは書いていない。メルキオール、バルタザール、カスパ−ルという名前が与えられたのもずっと下って9世紀になってからのことだった。
博士、賢者などと訳されるギリシア語のマーゴイは、ペルシア語のマグスからきている。複数形はマギであり、マジシャンの語源となった。もともとはカルデア、つまりペルシアの聖職者を指す言葉だった。彼らは占星術を得意としていたので、星に従ってイエスを探し出そうとしたのである。しかしケルステンはペルシアでなく、インドの可能性もあると考えた。東方の三博士がイエスを探し出す場面は、たしかにチベットのダライラマの輪廻転生探しとよく似ていた。チベットはインドではないが、仏教を通じてインドの古い習慣がチベットで実行されたのではないかと考えたのだ。
ダライラマ13世崩御の後、転生ラマ探しのプロジェクトが作られた。彼らは占星術をもとに転生ラマ誕生の地の方向、地方を絞っていく。旅僧の一団に扮した転生ラマ探しチームは、青海省のタクツェ村を訪ね、有力候補の赤ん坊、のちのダライラマ14世と会うのである。
この場面はたしかに東方三博士がダビデの血をひくイエスのもとを訪ねたときと雰囲気がそっくりだ。しかしそもそもダライラマの転生ラマ制度がはじまったのはダライラマ3世ソナム・ギャンツォ(1543−1588)のときであり、その範となったカルマパの転生ラマ制度も14世紀後半にはじまったものにすぎない。幼な子イエス探しを直接インドや仏教と結びつけるのは無理があるようだ。とはいえ東方の三博士(マギ)がゾロアスター教の聖職者である可能性は十分にあり、ヒンドゥー教のバラモンの可能性もまた残されているといえるだろう。
⇒ つぎ