ブッダの目は青かった
ブッダがアーリア系かモンゴロイドを含む非アーリア系か、長い間論争の的となってきた。釈迦族はそもそもサカ族(=塞族? =スキタイ人?)と同一なのか、彼らもアーリア系なのか、どうもはっきりしない。
仏典によればブッダの目は青いという。ということはアーリア系と考えるべきではなかろうか。「ディーガ・ニカーヤ」(長部)経典には、ブッダの三十二相が記されているが、そのうちの一相は「真青眼相」、すなわち「まことに青い目」なのである。
もちろんこの三十二相はブッダをリアルに描くというより、ブッダのあるべき理想的な姿なのであり、文字をそのまま受け取ることはできない。たとえば「頂髻相」というのはいわゆる肉髻(にくけい)のことで、頭の髻(もとどり)のように見える部分は髪を束ねたものではなく、肉が隆起したものである。だからもしナイフで髻を切ってしまったら、出血してたいへんなことになってしまう。その他文字通りの姿であったなら、指のあいだに水かきがあり、ペニスが体内に隠れていなければならない。
とはいえ釈迦族はともかく、すくなくとも初期の仏典を編纂した人々は、青い目をもつ人々か、青い目を持って生まれてくる可能性があった人々ということである。
スザンヌ・オルソンによると(おそらくイサベル・ヒル・エルダーの考えだろう)サキャ(釈迦)は聖書のイサクの末裔を意味するという。エルダーは『イスラエル人(びと)ブッダ』のなかで、最初のブッダはサクソンにほかならないと述べている。サクソンはヤコブの子、ヤック(Jakku)としても知られる。またエゼキエルの父、レビのアロン族のブジとも同一だと主張する。彼女にいわせれば、ブジ(Buji)はブディ(Buddhi)の変化した形である。彼女はまたユダヤ教と仏教は獅子、三叉鉾、車輪などのモティーフを共有している点を強調する。
こうした主張は正直なところ、理解できる範囲を超えてしまっている。イサベル・ヒル・エルダーはトンデモ系の著者であり、そのトンデモ理論を導入してしまったために、スザンヌ・オルソンの著書の信憑性を損ねる結果になってしまったと思う。
ただブッダが、われわれが思う以上に西方よりの可能性は十分にあるだろう。『仏教メソポタミア起源説』の邦訳もあるラナジット・パルは、『反ジョーンズ主義の世界の歴史』のなかで、ブッダが生まれたカピラヴァストゥはネパールではなく、アフガニスタンのヘラトであると述べている。ジョーンズ主義(Jonesian)とはインド・ヨーロッパ語族を発見した言語学者ウィリアム・ジョーンズが提示した世界観で、いまだにアカデミズムの主流をなしているが、それとまったく異なる世界観を提出する研究者のひとりがラナジット・パルなのだった。たしかにこれで初期のブッダの像がギリシアやローマの彫刻と似ている理由がわかってくる。
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