(0)アリマタヤのヨセフとはだれなのか 

 伝説によれば、少年時代のイエスをブリタニアに連れてきたのはアリマタヤのヨセフだという。重要であることはまちがいないのに、それほど知られていないこの人物が聖書にどのように書かれているか、あらためて見直そう。

 マタイ伝には「夕方になってから、アリマタヤの金持ちで、ヨセフという名の人が来た。彼もまたイエスの弟子であった。この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引き取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入り口に大きい石をころがしておいて、帰った」(2757~)と書かれている。

 マルコ伝を読むと、もう少し具体的な情報を得ることができる。

「さて、すでに夕方になったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトのところへ行き、イエスのからだの引き取りかたを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。そこで、ヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入り口に石をころがしておいた」(1542~)

 ルカ伝もまたちがったニュアンスでおなじ内容のことを書いている。

「ここにヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引き取りかたを願い出て、それをとりおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた」(2350~)

 ヨハネ伝では、兵卒がイエスのからだを槍で突くと、わきから「血と水が流れ出た」というエピソードを述べたあと、アリマタヤのヨセフの話に移る。

「そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。イエスが十字架にかけられた所には、ひとつの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた」(1938~)

 これらの記述からわかることは、アリマタヤのヨセフはたいへんな金持ちであり、サンヘドリン(ローマ帝国支配下のユダヤの議会と裁判所を兼ねたような宗教的、政治的組織)の議員でもあった。財を成した有力な政治家だったのだ。ピラトに会うことができたのは、彼が実力者であったからにほかならない。いくら善良で正しい人であるといっても、財力がなければ、反体制活動をおこなったという理由で処刑された人物の遺体の引き取りを願い出るようなリスクは犯せないだろう。

 遺体を引き取ったのは、彼が遺族の代表だったからだという解釈もできる。一説には母マリアの叔父、すなわちイエスにとっての大叔父だという。遺族であるなら、死刑囚の遺体を引き取っても、この死者が作り出した宗教組織の信者であることを隠し通すことができたはずだ。

 話をもう少し前の時点に巻き戻そう。サンヘドリンにおいて全員がイエスと敵対していたわけではなかった。むしろメンバー72人のうち40人が、つまり過半数がイエスの訴訟の却下を支持した。ここで巻き返しをはかったのが、大祭司カイアファをはじめとするサドカイ派の人々だった。カイファはイエスが提督ピラトの前で裁判を受けるべきだと主張したのである。 

 上述の聖書における引用箇所(マルコ伝1543やルカ伝2353)において、アリマタヤのヨセフはノビリス・デクリオ(NOBILIS DECURIO)と呼ばれている。これはローマ帝国支配下における金属採掘の担当大臣であったことを示している。そしてこのデクリオという役職はブリタニアにもあったという。

 ローマ時代、採掘される金属のなかでも錫は格別に重要だった。武器や武具に必要な合金を作るのに、錫は不可欠な金属だったのである。そして錫のおもな産地は(ローマ時代以前から)ブリタニアのコーンウォールだった。

 錫の採掘や交易に中心的な役割をはたしたのはユダヤ人だった。それはコーンウォールに残るボジュヤン(ユダヤ人の場所)、トレジュワス(ユダヤ人の村)といった地名に痕跡が残っているという。

 しかしユダヤ人がコーンウォールにやってきたのはまちがいないとしても、アリマタヤのヨセフが来たという証拠はないのではないか。そういった反論が聞こえてきそうだが、コーンウォールあたりには昔から彼にまつわる古謡がいくつも伝わっている。

ヨセフは錫の男、ヨセフは錫交易にいそしんでいる 

 タルムードによれば、アリマタヤのヨセフは上述のように母マリアの叔父である。ユダヤの法に照らせば、処刑された犯罪者の遺体を引き取るのは、もっとも近い親族の男の役目だった。ヨセフがイエスの大叔父であるなら、後継ぎ候補のひとりであるイエスがつれられて地中海を渡り、マルセイユ経由でブリタニアのコーンウォールへ行ったとしても、それほどおかしなことではないだろう。