イスラム原理主義者との討論         宮本神酒男 

 グラーム・アフマドは逃げも隠れもしなかった。というよりも自分に自信があり、ディベート好きなのか、討論は大歓迎だった。

 1891年11月、イスラム教聖職者の家でムハンマド・フサインとの討論会が開催された。ディベートは12日間つづいた。ディベートといっても、それぞれが主張を書き、そのつど聴衆に向かって読み上げ、交換するという形式を取った。

 聴衆は一日あたり300人から500人ほどで、二つの地元の新聞の編集者たちの姿もあった。文が読み上げられるとき、からかいや罵声が飛び交い、声が聞き取りづらかったという。

 アフマドは挑戦的だった。

「私をペテン師と呼び、自分たちを正しく敬虔深いと考える人々よ、あなたがたは私に関して思い違いをしていることを悟るだろう。コーランにも『能力にあった仕事をせよ』と書かれてあるように、私もそうするつもりだ」

 聴衆の一部は懐に小石を隠していたという。彼らは機会があればアフマドに石を投げつけようと考えていたのだ。討論会が行われた家の回りには棒やナイフを持った群衆に取り囲まれたという。滞在した家の周囲も群衆に取り囲まれたので、安全のため外出を控えなければならなかった。

 

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