ドンユとドンドゥプの物語
サンリン国(Zangs gling)という平和な国があった。国王トプキラ(sTob
kyi lha)は仏法にしたがった善政を敷き、王妃クンサンマ(Kun bzang ma)もまた信仰心が篤かったので、国民に愛されていた。ただ子宝に恵まれず、跡継ぎがないのが唯一の問題だった。
家臣のすすめもあり、国王トプキラはコーシャ島(Ko sha)へ行き、子宝を授かるよう祈祷した。夢の中でコーシャの守護神は、ふたりの子どもを授かる、ひとりはアヴァロキテーシュヴァラ(観音)の生まれ変わり、もうひとりはマンジュシュリ(文殊)の生まれ変わりだろう、と告げた。
予言通り、最初の子どもが生まれた。その子は生まれるや、「オーム・マニ・ペーメ・フーム」という真言を唱えた。その子はドンドゥプ(Don grub)と名づけられた。
ドンドゥプが五歳のとき、母親である王妃クンサンマが死んだ。国王は悲嘆に暮れたが、ほどなく平民からペマチェン(Padma can)を王妃として迎え入れた。ペマチェンとの間に生まれたのがドンユ(Don yod)だった。ドンドゥプとドンユは腹違いだが、仲のいい兄弟だった。
新しい王妃ペマチェンは、卑しい身分の母親から生まれたドンユではなく、高貴な母親から生まれたドンドゥプが王位を継ぐべきだという声を耳にした。そこでペマチェンは自分の子を跡継ぎにするため、策略を練った。
ペマチェンは病気を患い、寝込むふりをした。心配した国王にたいし、「私が病気なのは、ドンドゥプが悪魔の生まれ変わりだからです。前の王妃につづいて私にものろいがかけられたのです」と言った。王妃を愛するあまり、国王はその言葉を鵜呑みにしてしまった。しかしわが子を殺めることはできないので、荒野に追放することにしたのである。
ドンドゥプは父親の命に従うことにしたが、ドンユは受け入れがたく、また兄と別れることができなかったので、ともに行くことに決めた。馬、象、そしてすこしばかりの食べ物を持ってふたりは出発した。
旅は苦難がつづき、食料も底をついたので、象や馬を手放さなければならなかった。そうして得た食料もなくなり、ドンユは見るからにやせ衰えていき、ついには死んでしまったのである。ドンドゥプは弟の死体のまわりに囲いを作って動物に食われるのを防ぎ、泣く泣く旅をつづけた。
この様子を天上から見ていた神々は不憫に思い、ドンユを蘇らせることに決めた。ドンユの魂は肉体に戻った。
一方ドンドゥプは歩き続け、隠棲生活を送っているひとりの老僧と出会った。老僧はドンユが生きていること、将来兄弟は再会するが、まだ先の話であることなどを予言した。
その頃ユリン国(Yul gling)では度重なる自然災害に頭を痛めていた。占星術師によると、災害を防ぐためには、竜の年に生まれた者をナーガに捧げなければならないという。
老僧の隠棲所の近くの村で、ドンドゥプは子どもたちとゲームを楽しんでいた。ドンドゥプはゲームでは負けることがなかったが、それは「竜の年に生まれたから」と語っていた。その噂は広まり、官吏に捕まり、ユリン国の宮廷に連れて行かれた。
ドンドゥプを一目見て王の娘は恋に落ちてしまった。王自身もドンドゥプに好意を持ったが、家臣たちは早くナーガの生け贄にするよう促した。
王女は片時もドンドゥプのそばを離れたくなかったので、湖までいっしょに行った。しかしうとうとしている隙にドンドゥプは湖に飛び込んだ。ドンドゥプはナーガの宮殿に到着し、何ヶ月もそこに滞在し、仏法の教えを説いた。帰るときにはナーガ王自身が送ったほどだった。ドンドゥプは老僧の隠棲所にもどり、旧交を温めた。
ドンドゥプを捧げたあと、ユリン国には平穏の日々が訪れていた。あるとき国王は老僧を宮廷に招いた。ドンドゥプは変装して老僧とともに宮廷にやってきたが、すぐに国王に見抜かれてしまった。ドンドゥプがサンリン国の王子であることを明かすと、ユリン国王は娘との結婚を許し、王位を譲ったあと、出家して、仏法に励んだ。
国王になったドンドゥプは森の中を散歩しているとき、木から果実を取っているドンユに会った。ふたりは再会を喜び、宮廷にもどった。宮廷では家臣のティシュー(Tri shu)の反乱にあったが、撃退し、慈悲の心でもって家臣にふたたび登用した。
のち兄弟はサンリン国にもどった。国王は年老いていたが、健在だった。ドンユは王位を継ぎ、ドンドゥプはユリン国に帰っていった。兄弟はそれぞれの国を仏教の慈悲でもってその後もずっと治めていったという。