ナンサ・ウーブム

 ギャンツェのペクル・ナンバ(Phad khur Nang ba)家族のクンサン・デチェン(Kun bzang bde chen)と妻ニャンツァ・セドン(Myang tsha gsal sgron)は子宝に恵まれなかった。しかし毎日ターラ女神に祈り、行いも正しかったので、願いが叶い、子を授かった。名をナンサ・ウーブム(sNang sa o’d ’bum)といった。

 ナンサはとても賢くて美しい女性に育ち、世の男どもを夢中にさせた。だが彼女自身は世事に興味をもたず、むしろ仏法に身を捧げたいと思うのだった。

 ネーニン祭(gNas snying)のとき、悪逆無道な領主ダチェン(sGra chen)の息子ダクパ・サムドゥプ(Grags pa bsam grub)がナンサを見初めた。

 ナンサは嫁に行きたいとは思わなかったが、両親が望んだので、結婚の申し出に同意した。両親からすれば、断った場合、どういう事態になるか想像するだけでも恐ろしかったのだ。

 結婚後まもなくして子どもが生まれた。周囲のだれもが喜んだが、ナンサにとってはまた輪廻のしがらみが増えただけだった。

 ナンサは日々、畑仕事の労働者に食事を届けていた。ある日、労働者たちが昼食を食べているとき、カイラス山巡礼を終えて戻ってくる修行者の一団があった。彼らはナンサに食べ物を恵んでくれないかと頼んだ。ナンサは夫の姉妹尼僧ニェモを恐れて躊躇しつつも、ザンパ(麦焦がし)を施した。ヨーガ行者はミラレパの高弟レチュンパだった。

 その光景を見たニェモはダクパ・ギェルツェン(サムドゥプ)に、ナンサが施しものをしただけでなく、ヨーガ行者と関係を持ったかもしれないと告げた。ダクパはナンサを激しく叩いた。何ヶ月もの間、ナンサは起き上がることができなかった。

ある日窓から外を眺めると、ひとりの乞食が今生のむなしさを歌っているのが見えた。ナンサは乞食にだれか高僧を知っていないかと尋ねた。乞食はセラ・イェルン寺のシャキャ・ギャルツェンの名を教えた。ナンサはそのお礼にトルコ石とズィ(縞瑪瑙)を与えた。

そのことを知った領主ダチェンは烈火のごとく怒り、またも激しく叩くと、ナンサはついに息絶えてしまった。ナンサの遺体は遠く離れた陸の上に運ばれ、占星術にしたがって一週間放置された。

 ナンサの魂は地獄の裁判を受けた。死の王ヤマは「すべてを見通す鏡」を見て、ナンサの行いが正しく、ナンサが衆生を助けるダーキニーの生まれ変わりであることがわかった。ヤマはナンサの魂を肉体に戻した。

 ナンサが生き返ると、人々はみな驚愕した。ナンサが自分はデーロク(死からの蘇り)であると打ち明けると、夫や父(領主)、妹(ニェモ)らは許しを請い、家に帰ってくるよう請うた。ナンサは仏門に入るので、家には戻らないと告げた。しかし幼いわが子に懇願され、その子がおとなになるのを見届けるまでは家を出ないことに決めた。

 ある日、ナンサはひそかにシャキャ・ギャルツェンの寺を訪ねた。シャキャ・ギャルツェンはナンサが本気であるかどうか試そうと、入門を断った。仏門に入ることができなければ命を絶つことも辞さないとナンサが言うと、高僧はその決意が半端でないことを知った。

 夫と家族はナンサがいなくなったことに気づき、激怒した。高僧シャキャ・ギャルツェンのもとにいることを知ると、武装した家臣らを派遣し、寺との間で抗争が勃発した。たくさんの僧侶が殺された。深い瞑想に入っていたナンサは騒乱に気づき、夫や家族に戦いをやめるよう懇願した。しかし彼らはナンサと高僧のあいだによからぬ関係があるのではないかと疑った。そして彼らは高僧を殺してしまった。

 しかし高僧は奇跡的にも空高く舞い上がり、抗争中に死んだ僧侶の魂も復活させた。夫や夫の父はようやく高僧やナンサが悟りを開いた尊い存在であることに気づき、仏法に帰依することにした。ナンサはターラ女神の生まれ変わりであり、衆生を救うためにこの世に現れたことを彼らはようやく知ったのだった。