霊的ヴィクトル・ユーゴー
かく語りき
アジアを揺るがしたスーパー・カルト、カオダイ教の霊言
宮本神酒男
バイク・タクシー、犬を轢く
カオダイ教といえばバイク・タクシーの運転手グエンのことを思い出す。空港だったか街中だったか記憶がはっきりしないが、ホーチミンのどこかで客引きをしていた彼と出会い、即座に気に入って数日間ガイドを頼むことにしたのである。年齢は50を超えていたが、あとでアルバムをみせてもらうと、若い頃は気取ってサングラスをかけたているのがかっこよく、いまも大御所の老俳優のような風格を漂わせていた。彼はしかし、ベトナム戦争のころ米軍のもとで働いていたため、戦後は共産党政権下で8年間も監獄暮らしを余儀なくされた。
バイク・タクシーなので、当然グエンがバイクを運転し、客の私は後部座席にまたがる。あるときどこか近郊の観光地へ行った帰り、日はとっぷり暮れ、街灯の少ない暗い国道をホーチミンに向かって走っていた。と、突然シェパード犬が暗闇に浮かんだ。あっと叫ぶまもなく、バイクは犬に鈍く当たり、よろめいたが、体勢をもどして走行をつづけた。よろめいたとき動物の毛がタイヤに巻き込まれるいやな感触があった。後ろのほうで犬が哀しそうにキュンキュン声をあげていた。
「なぜよけなかったかって言いたいんだろう?」振り向かないでグエンは言った。
「あの犬、かわいそうだ。死んじゃうでしょう」
「でもよけたら、こちらが死んでいたところだ。おれの友人は飛び出した犬をよけ、街路樹に激突して死んでしまったよ」
友人の話はあまりに瞬時に出てきたので、うそくさいと思った。グエンのこの機転の速さはベトナム戦争中に培われたものにちがいない。
タイニン省のカオダイ教総本山を訪ねることになったのは、グエンのおかげだった。もっとも、総本山のインパクトが強烈で観光客を驚かせるのはまちがいなく、グエンの十八番コースだったのだろう。
おとなしいアメリカ人
総本山はグレアム・グリーンが『おとなしいアメリカ人』のなかで形容した「東洋のウォルト・ディズニー」がぴったりの派手な、そしてキッチュな建物だった。タイニン省に入るとカオダイ教の教会堂が目立って増えてくる。
「(街道を進むと)やがて、カオダイ教の教会堂が、どの村でも客人たちの注意をひくようになる。浅黄色とピンクの漆喰建築と、ドアの上の神の大きな一つ目」。
農夫が水牛の背にまたがっているような、のんびりとした田園風景のなかに、カオダイ教総本山が出現する。グリーンは「もしこの大寺院が二十年間でなく五世紀も前から存在したとすれば、人々の足跡や風雨の浸蝕によって一種のありがたみを帯びるようになっただろうか」と皮肉まじりの感想を述べている。それから半世紀がすぎたが、いまだに大宗教の荘厳さを獲得するにはいたっていない。
それもそのはず、カオダイ教はあくまでも新興宗教なのである。1950年代半ば、カオダイ教は勢いとあやしさをあわせ持ったカルトだった。グリーンによれば「2万5千人を擁する私設軍隊、古自動車の排気筒を利用して造った臼砲の装備、彼等は平常はフランス軍と同盟しているが、危ういと思えばいつでも中立を決め込む」という。当時、カオダイ教は支配者であるフランス軍や独立運動を起こしたベトミンと対等に戦いうる大きな勢力だったのである。
グリーンはカオダイ教の教皇の執事につぎのように言わせている。
彼(執事)は巻煙草の灰を撒き散らしながらドアまで送って来た。
「神はあなたのお仕事を祝福されます」彼は見えすいたお世辞を言った。「神は真実を愛することをお忘れなさるな」
(主人公)「どういう真実をですか」
「カオダイ教の教えでは、すべての真実は融合されます。真実は愛であります」
軍隊を持った新興宗教
たしかに新興宗教独特のあやしい感じが漂っていたのだろう。ただ私にいわせれば、おなじことをキリスト教の神父や牧師が言ったとしても、それほど違和感がないのだが。
当時の信者の数は全人口の8分の1に達したといわれ、ベトナム戦争後武力によって弾圧されたものの、1985年頃復活し、現在は国内に自称800万人、国外に3万人の信者を擁するという。(実際は300万人足らずといったところだろう)
それにしても宗教団体が2万5千人の私設軍隊を持つというのは尋常ではない。カオダイ教が政権奪取し、宗教国家を樹立する可能性がなかったとは言い切れないのである。いや、タイニン省はなかばカオダイの独立国家といってもよかった。名を出すのははばかられるが、日本の某宗教団体が何万人もの軍隊を持ったら、こういうふうに軍事的、政治的な力をもつのではなかろうか。
私は後日、ホーチミンのカオダイ教会堂で元カオダイ教軍のトップ(将軍と呼ぶべきだろうか)と会う機会があった。第一印象は、学校の校長先生のような人、だった。穏やかな目をもつ知的で、立派な体躯の持ち主の白髪の老紳士だった。一昔前の韓国のノ・テウ大統領に似ていた。
――この人が泣く子も黙るカオダイ軍の将軍だったなんて。
彼はやはりベトナム戦争後投獄され、10年間刑務所に入っていたという。刑務所暮らしがひとを変えたという面もあったのか、あるいは宗教のなせるわざだろうか、その風貌から猛々しさは消え、ただ慈愛のみが残っていた。
カオダイ教総本山
大教会堂正面の天眼を見ながら(あるいは見られながら)私はなかに入った。入るのになぜか男は右から、女は左からという規則があった。右の階段を上がって建物内部の両側の二階部分に出る。すでに何人かの西洋人観光客が来ていた。建物内部は巨大な空間になっていて、赤、青、黄、白のアオザイを着た信者たちがフロアの上に碁石のように並んで坐っていた。12時の礼拝までにはもうすこし時間があった。カオダイ教の礼拝の時間は午前6時、12時、午後6時、12時の4回と決まっていたのだ。
礼拝までの時間を利用して、何人かの信者らが観光客にカオダイ教の解説をしていた。これも外来者への一種のサービスなのだろう。私のところにやってきたのは、三十代のしっとりした雰囲気の美しい人だった。育ちのよさ、知性が彼女の存在全体から醸し出されていて、私は年甲斐もなく胸をときめかせた。
「英語、あまりできなくてごめんなさい。フランス語ならもうすこしうまくしゃべれるのだけど」
と、かみしめるようにしゃべる彼女をいとおしく思った。いや、もちろん、と私は自身にいましめを与える。
――これだって、新興宗教のハニートラップかもしれないぞ。
総本山のなかでは淫らな考えなど浮かべてはいけなかった。「テイニンの空気は倫理的すぎて息もつけない」という『おとなしいアメリカ人』の一節がぴったりだった。楽園に生まれたカオダイ教
どこまでも伸びる白浜、椰子の林、青い空と青い海……。観光パンフレットが「この世の楽園」と謳うリゾート地、タイランド湾のベトナム領フ・クオック島。
1920年、この美しい島に知事として赴任していたゴ・ミン・チュウ(あるいはゴ・ヴァン・チュウ 1878−1932)のもとに突然「最高の存在」つまり神が顕現した。彼はヤハウェもアッラーもツァラトゥストラもタオも、みなこの「最高の存在」と同一であるということを理解する。上述のように、グレアム・グリーンの小説のなかでカオダイ教の執事が「真理」ということばを使うが、つまり神とは宇宙の真理なのである。
顕現から一週間後、ハンモックで休んでいたゴ・ミン・チュウの前に突然巨大な目玉が出現した。それは後光に包まれた太陽のようだった。彼は驚いて目を閉じるが、それでも目玉の光を感じた。次第に彼は恐怖をさえ覚えるようになったが、目玉をカオダイの象徴とせよという神の啓示ではないかと考えるようになった。
「もしこの目玉があなたを崇拝するシンボルであるなら、その証に消えてください」
とゴ・ミン・チュウが念じると、それはさっと消えた。これとおなじことが二日後にも起き、彼はようやく「聖なる目」がカオダイの象徴であることを確信した。それは個人の、あるいは宇宙意識の、聖なる千里眼の目なのである。
ゴ・ミン・チュウは1924年、任期を終え、サイゴンにもどってくる。彼はフ・クオック島で得た啓示をもとに、興味をもった人々にたいしカオダイの哲学や修練法を教えるようになった。
翌1925年半ば、ゴ・ミン・チュウの知らないところで、サイゴンの小役人であるカオ・チュイン・ク、ファム・コン・タック、カオ・ホアイ・サンの三人が降霊術を実践していた。呼び出されたひとつの精霊がとくにその美徳と知識において秀でていた。精霊は自身をAAA(ベトナム語のアルファベットの最初の文字)だと紹介した。
この三人はある日AAAのメッセージを伝えているとき、クの友人であるカトリック教徒がこの精霊が本物であるかどうか試そうと提案した。つまりイエスの聖画と十字架をテーブルの上に置く。もし精霊が悪魔か悪霊であるなら、これらに恐れをいだき、やってこないだろうというわけだ。クは同意し、聖ペトロの名のもとにメッセージをよみあげた。
「われ西天の天国の門を守り、すべての人類に道を広める者なり。あらゆるひとはわれらの主を認めん」
降霊会はつづいた。そしてAAAのアドバイスによって、ゴクコ、すなわち「くちばしのようなペンと籠」といわれる「お筆先」の方法にかえた。
1925年のクリスマス・イブの日、AAAはついに自身が「最高の存在」であること、そしてカオダイという名で道を説くようになることを明かした。彼は宣言した。
この日を楽しめ。それは道を教えるためにわれが西へやってきた記念すべき日である。この家は祝福で満ちるだろう。さらにあなたたちは奇跡を目にすることになり、信仰心をより篤くすることになるだろう。しばらくのあいだわれはAAAというシンボルを用いてきた。あなたたちはわが指導のもと信仰の基礎を築くことになろう。
その日よりカオダイ教は組織化された宗教団体となったのだ。
同じ頃まったく別のところで、コーチシナ植民地政府の役人であったレ・ヴァン・トゥルンがたまたま降霊会の場にいあわせた。その夜、唐代の詩人李太白(李白)の霊があらわれ、トゥルンが李鉄拐(足の不自由な物乞いの身体を借りて現世に蘇ったことで知られる仙人。道教八仙の一)の転生であることを明らかにした。トゥルンについた霊はその宗教的ミッションを受け入れた。彼はアヘン中毒患者だったが、その日から症状が消え、吸引しなくてもすむようになった。またアルコールや肉も絶つことができた。
のちのカオダイの命によってクとタックはトゥルンを招いた。カオダイのグループはク、タック、サン、デュウ、ドク、ハウにトゥルンが加わり、さらに成長した。
1925年末には、カオダイの命によって彼らはゴ・ミン・チュウと会うことになる。降霊会のとき、カオダイは全人類のために信仰が確立されるべきだとのべた。その教えに感銘を受けた彼らは与えられた使命を重大に受け止め、身を捧げ、粉にして働き、神のヒエラルキーを確立した。カオダイ教はこうして大きな教団となり、その組織はカトリックに似ていた。
教皇を頂点とするカオダイ教の位階
頂点に立つのは教皇(ギャオ・トン)。その下に儒教、仏教、道教を担当する三人の立法枢機卿(チュオン・ファップ)。またそれぞれに三人の枢機卿(ダウ・ス)。その下に36人の大司教(フォイ・ス)。その下に72人の司教(ギャオ・ス)。教育担当。その下に3千人の祭司(ギャオ・フウ)。儀礼を司り、信仰を広める役目をもつ。その下に多数の助祭(レ・サン)。チュク・ヴィエクのなかから美徳ある者が選ばれる。村の亜聖職者(チュック・ヴィエック)もまた、主要亜聖職者(チャン・トリ・ス)も、その助手(フォ・トリ・ス)も多数だった。立法亜聖職者(トン・ス)は村の事柄を担当する。精通者(ティン・ド)はいわば一般信者のことである。
カオダイ教成立と弾圧
まもなくゴ・ミン・チュウは教皇(ギャオ・トン)の職を辞する。おそらく彼は組織の長にたつことに抵抗感があり、エソテリック(秘教的)な実践をおこないたかったのだろう。カオダイの命によってトゥルンが教皇の地位に就いた。
1926年9月28日、カオダイ教の正式発足が宣言された。彼らはエクソテリック、すなわち開放的な実践を中心にすえた。それによって人類をひとつにし、地上に平和をもたらそうというのだ。もしだれもが真実の愛を他人に示し、正義があるならば、暴力は滅し、平和がやってくるだろうという。
この新興宗教は燎原の火のごとく民衆のあいだに広がっていった。それと同時にフランスの植民地主義者は脅威を感じたのである。躍進するカオダイ教を抑えるために、フランスはあらゆる手段を講じた。それから50年間、フランスだけでなくベトミン(ベトナム独立同盟)もカオダイ教を抑圧しつづけた。
そして1975年、ベトナム戦争に勝利した共産党政権によってカオダイ教は完膚なきまでに打ちのめされる。カンボジアのカオダイ教徒もクメール・ルージュ(ポルポト派)の虐殺に巻き込まれたという。一方で大量に難民が発生したことにより、カオダイ教が世界に広がるという皮肉な結果をもたらしたのである。
神様がいっぱい
私は単調に進む礼拝に飽き、抜け出して大教会堂の周辺を見て廻った。きわめて印象的でよく知られているのが「三人の聖人」の絵である。ボードの左から「Dieu et Humanite, Amour et Justice」と書いているのはヴィクトル・ユーゴー、右から「博愛公平」と書いているのは詩人、教育家のグエン・ビン・キエム(白雲居士 1491−1585)。ユーゴーの後ろにいるのが孫逸仙(孫文)。
彼らを含め70を超える聖人、あるいは聖霊の多さがカオダイ教の出色の部分だといえる。わかるかぎりの名前をあげよう。
モーゼ、イエス、孔子、老子、ソクラテス、ジュリウス・シーザー、関羽、李白、ムハンマド、シェークスピア、ジャンヌ・ダルク、ナポレオン、トマス・ジェファーソン、デカルト、パスツール、ユーゴー、トルストイ、レーニン、孫文、ウィリアム・チャーチル……。
チャーチルまでもが聖霊というのはおそれいるが、じつはそれ以後は新規の聖霊がない。霊を召喚する媒体がすでになくなってしまっているからだ。これらの聖霊のなかでとくに重要なのが『レ・ミゼラブル』などの小説で知られるヴィクトル・ユーゴーである。
なぜユーゴーなのか?
ユーゴーといえば波乱の人生を送り、色恋沙汰も多かったという印象があるが、カオダイ教が評価するのは彼が人道主義者であった点だろう。
もちろん評価委員会がユーゴーをはじめとする聖霊を選出したのではなく、ファム・コン・タックらの前に降りてきたかどうかが問題なのだ。1930年、ユーゴーの霊が降りてきて、タックと対談した記録が残っている。幸福の科学などでいう「霊言」と近い現象ではなかろうか。最近では坂本龍馬が降りてきて大川隆法の口を借りて語っているが、現在の龍馬ブームのように、当時ユーゴー・ブームのようなものがあったのかもしれない。
ユーゴーとファム・コン・タックの霊的対談については文末を見ていただきたい。
教皇邸外観三一教としてのカオダイ教
私はカオダイ教の幹部の案内でタイニン総本山の敷地内に建つ主のいない教皇邸に入ることができた。そこには方向によって見えるものが違うトリック・アートのようなついたてがあった。角度によってイエス、ブッダ、教皇(おそらくファム・コン・タック)に見えるのである。これにどれほどの真剣みがあるのかわからなかったが(軽いユーモアなのかもしれない)、くしくも、三一教のことを連想してしまった。
カオダイ教は中国の民間宗教である三一教の影響をまちがいなく受けている。前述のカオダイ教の位階をみれば一目瞭然、教皇の下は儒教、仏教、道教の三部門に分かれているのだから。
ゴ・ミン・チュウは言う、「世界のすべての宗教はひとつに帰する」と。仏教も道教も儒教もキリスト教ももとをたどればひとつだというのだ。この四教を数えるなら四一教ということになるが、イスラム教やユダヤ教、はてはニューエイジの宗教までも含めれば、多一教とでもよぶべきかもしれない。
中国の三一教、あるいはその系統の宗教はおもに仏教、道教、儒教の三宗教の融合をかかげる。たとえば三一教の創始者林兆恩(1517−1598)は、
「儒教、道教、仏教の道はどれもひとつの源につながっていて、本質はおなじである」と繰り返し述べている。
林兆恩は福建省の出身である。福建人はこの数百年海外に流出しつづけ、それにともなって三一教は台湾、シンガポール、マレーシアなどに広がっていったという。とくに台湾にはいまも夏教竜堂、尚陽書院など三一教系の寺院が残っているという。福建華僑が多く、中国文化の影響を強く受けてきたベトナムに三一教が入ってきても、なんら不思議がないのだ。ゴ・ミン・チュウは育つ過程で中国の民間宗教に興味を持っていたといわれるので、影響を受けたことはまちがいない。
前述のように、カオダイ教の位階の説明のなかに「その下に72人の司教(ギャオ・ス)。教育担当。その下に3千人の祭司(ギャオ・フウ)」という箇所がある。いっぽう林兆恩のことばのなかに「孔子の弟子3千人のなかに賢人は72人しかいない」(出典は『呂氏春秋』)というくだりがある。この数字の一致は偶然ではないだろう。
その出自はともかくとして、つまるところ、あらゆる宗教の本源はひとつで、それは存在の最高神であり、彼らはそれをカオダイ(高台)と名づけたのである。もっとも、アッラーはカオダイですよ、といわれても、イスラム教徒が賛同するとはとうてい思えないのだが。
このように考えると、一見神様がたくさんいて鍋になんでもかんでも入れたゴチャマゼ宗教のようにみえるが、じつは一本の筋が通った宗教なのである。
ファム・コン・タックとヴィクトル・ユーゴーとの霊的対話は1930年におこなわれた。これが現実的にどのようにおこなわれたか、興味深い。自問自答するように、醒めたタックが憑依状態の自身に問いかけたのか。あるいはタックがユーゴーの憑依しただれかに問いかけたのか。いずれにしてもコックリさん方式の霊の招き方ではこれほどしゃべることはできないだろう。憑依して神と接する宗教家としては、私はラーマクリシュナを想起する。偉大なる宗教者はしばしばシャーマン的なのである。
<霊的ヴィクトル・ユーゴーとの対話>
Q「いつになったら地上はより高いステージに達することができるのでしょうか」
A「霊魂の進化のプロセスを理解してもらうために、わたしはわかりやすいよう霊魂のことばを用いることにしよう。おまえたちは進歩するためには煉獄を通らねばならぬ。
たとえ祝福された者でも、悟りを得るまでには長い道のりを要するのだ。高位の霊の性質を理解するためには、人は進化しておなじ高みに達しなければならない。低からぬ霊でさえまず理解の第一歩からはじめなければならない。ブッダでさえ物事の仮説からはじめたのだ。
わたしの言うすべてのことを理解しろとはいわない。私の言うことは霊の立場から述べたものなのである。
聖なるもののなかでも聖なるものについて考えよ。それはこの宇宙にかつて生を受けたものである。物質的世界を通って彼は死すべき存在、賢者になった。そして努力して神の領域にまで達した。
そしていくつもの生をへて、霊魂のパワーを蓄えながら、ついに創造の神秘の領域にまで達したのである。
最終的には知恵と科学のマスターとなる。それは最良の霊をひきつけ、忠誠を誓わせるだろう。そして最良の霊たちがすでに通った無限の境界をともに越えていってくれるだろう」
Q「創造主は自身の天国を持っているのでしょうか」
A「そのとおりだ。われわれはみな自身の魂の領域のなかにいる。その領域は自身の魂の力の産物なのだ。
それぞれのカルマの程度に応じた人々がわれわれのそばにいて、周辺に住みつくかもしれない。彼らは自己満足のために生きていて、信用するにたりない。
このように自身を肩に背負うと、悪の心を持ち込み、われわれの生活はけがれてしまうだろう。このときとばかり悪魔が現れる。われわれはしかし真実を見て、理解しなければならない。
悪魔の存在もまた神のプランのひとつなのであるから。
嫉妬やねたみ、きまぐれなどによって不浄さがいさかいを起こすだろう。
おや、ホ・ファップ(タックのこと)よ、おまえの手が痙攣しているぞ。つづきは明日にしよう」
Q「失礼ですが、すべてが主によってもたらされるなら、どうしてこの世界に不完全というものが存在するのでしょうか」
A「不完全なもの? どんなものを指すのかね」
Q「悪意とか役に立たないものとか。人間、動物、植物すべてにありますよね。どう考えてもそれらがいいとは思えません」
A「この世に悪意とか役立たずというものはないのだ。生きていくためには、みな栄養を摂取しなければならない。よき主はこどもたちを熱烈に愛していらっしゃる。その大いなる愛によって彼らは手段を手に入れるのだ。
彼らの進歩のために主は苦悩をお造りになったのだ。
同時に彼らは防御するための手段も手にする。おまえはこの世で本当に信心深いひとを見たことがあるだろうか。
悪意のある人だって彼らには役に立っているのさ。
偉大なる聖人たちもどうやって歴史書に書かれるような彼らになったのか?
弱い者と強い者が争ったときも、不屈の精神を持った者のほうが勝利をおさめてきた。対極の二者の戦いはいつも理想と賢い理解を導いてきた。
われらの世界は比較の世界なのだ。悪意も役立たずも、能力なのである。
この地球上にわれわれはみな場所をもっている。すべての世界、すべての生命は教室のようなものだ。
宇宙はわれわれの魂の学校であり、学校に通って学ばなければならない。単位を落とした者はまた通って学習し、授業を受けなければならない。
すべての魂は永遠の書を読みたいと思う。その書は、永遠の生を教える知恵をもっているのだ。
ゴールまではまだまだやることが多く時間と労力を要するだろう。物質世界から神聖なる清浄世界への道は永遠へ通じているのだ。
結果は本当の自分を理解することである。意識を通して、いかなる存在になるか知ることである。
性格の違いには理由がある。それは比較のための方法である。学習において大いなる忍耐が必要とされる。
魂を態度によってより分けるべきだ。
人間と神に近づいた者は分けなければならない。人類を高みにあげるために、これらの人々からよい人を選んで仕事を与えるべきだ。
啓蒙されていない人々を教えるためにあらゆる手立てを講じなければならない。
もし彼らのなかに欠点を見出したとしても、そのことで責めてはいけない。
彼らの魂の進化のことのみ考えよ。
慈悲をもってつねに人を愛せよ。
愛と永遠。つねにこのふたつのことばを肝に銘じよ。
カオダイでないカオダイこそ真のカオダイである
これらのことばを聞いて、ヴィクトル・ユーゴーが語っていると考える人はほとんどいないだろう。信者からすれば、生前のユーゴーよりも霊的ユーゴーのほうがより真実に近いのかもしれないが。グリーンが批判的に「この宗教にまつわるすべてのカラクリのうんざりするような厭らしさ」というのは、こういった面かもしれない。
しかしカオダイ教の本質はとてもシンプルなものだ。それを説明するのに、謎かけが用いられる。
燃灯仏はわたしである。
シャカムニはわたしである。
老子はわたしである。
ではカオダイとはだれなのか。
このわたしとは、カオダイのことである。カオダイとは、いわば宇宙の真理であり神のことである。
これよりもっと謎めいているのが、
ユニバーサルな宗教であるために
カオダイ教総本山の中庭に風通しのよい無料のオープン・レストランがある。私はベトナム料理が大好きなのだけど、このレストランの素朴な菜食も遠い共通祖先の遺伝子に訴えかけるようなおいしさがあった。
「とくにこの肉が……」といいかけて私はことばを呑みこんだ。ここは菜食レストランのはず。なぜ竜田揚げがあるのだ?
「それはバナナだ」とグエン。台湾の素食や日本の精進料理では肉のかわりに豆腐を使うことがあるが、ここではバナナを使って竜田揚げのような味を出しているのだ。
菜食主義を含めた(一般の信者は完全な菜食主義者である必要はない)6か条のカオダイ教信者の心がけというのがある。
1)自分自身、家族、社会、国、生命、自然に対し、務めをはたせ。
2)善行をなし、悪行を避けよ。
3)自然、植物、動物、人類に対し親切を心がけよ。生あるものの不必要な破壊を避けよ。それらは宇宙の真理の魂であり、自然のサイクルの一部である。
4)5つの戒を守れ。殺すな、盗むな、不貞を犯すな、飲酒をするな、ことばの咎を犯すな。
5)すくなくとも月に10日は菜食主義を実践せよ。これが人のからだと精神を浄化する唯一の方法である。生あるものを殺すのを避け、愛を増長させよ。
6)最高神への帰依と崇拝の儀式に参加せよ。朝6時、正午、夕方6時、深夜12時の四回、儀式に参加できる。すくなくとも一日一回、家庭内での儀式をおこなうといい。
メディテーション
ゴ・ミン・チュウはカオダイの最高神から霊的メッセージを受け取った。それによるとカオダイ教の禅定(ティエン・ディン)は、精(ティン)と気(キ)と神(タン)を統制することによって達成される。これは道教の修行法、とくに内丹(精神的錬金術とでもいおうか)と同一である。
カオダイ教は一般の信者にたいしては日々20分から30分程度のメディテーションを奨励している。無理な修行を強制しなかったことが信者数を伸ばした第一の要因だったといえるだろう。
カオダイ教のメディテーションはつぎのとおり。
1)背筋と首筋をのばして坐る。目は半分あけ、下を見て、焦点をあわせない。あごの力を抜き、口は閉じ、舌の先を軽く歯の裏、口内の上蓋にあてる。
2)ゆっくりと息を吸う。胸の中心の火の部分に吸気を通し、へその高さの丹田にまで送りこむ。
3)2秒間息をとめ、吸気のエネルギーを中央脈管の基部、すなわちチャクラの根本にある「陰」の中心へ送る。
4)息を吐きながら、呼気のエネルギーを中央脈管から頭頂の「陽」の中心へと送る。呼吸によって水の原理が火の原理と出会い、第三の目を開かせる。
ホーチミンのカオダイ教会堂
私はタイニン省のカオダイ教総本山へ行った翌日、ホーチミン市内の教会堂を訪ねた。前者には少なからぬ観光客が押し寄せるが、後者に足を向けるのは信者かコアなカオダイ教ファンということになるだろう。
白髪の紳士がカオダイ軍隊の将軍と聞いて驚いたのはここだった。
テーブルの上に古く分厚い訪問客記入帳があった。なんとなくめくっていると、世界中の名前が記入されていたが、Oomotoという名が目にとまった。大本教の人々がグループで来訪していたのである。大本教とカオダイ教は似ているというほど似ているわけではないが、互いにシンパシーのようなものを感じているようである。
大本教は1892年、国常立大神が出口なおのもとに降臨したときにはじまった。カオダイ教より30年近く年長ということになる。神の意思はお筆先によって示されたというから、この点ではカオダイ教とよく似ているのだ。出口王仁三郎(なおの娘婿)には諸霊が降臨した。創立期の主要メンバーに霊が降りて語るという点では両宗教は一致しているといえるだろう。
どういう経緯があったのか忘れたが、私が独身であると知ったからか、幹部の人が信者リストをめくりながら、「これはどうだ、あれはどうだ」と名前をピックアップして信者との結婚をすすめ始めたのである。写真もなく、名前と年齢と住所だけ示されたところで、私は返答のしようがない。
とくに幹部の「オススメ」だったのが、メコン・デルタ地帯のカントー市に住む31歳の教師だった。彼女はきれいであたまがよく、性格がとてもよいそうだが、会ってみないことには何もいえない。
「あ、そうだ」と突然幹部は言った。「おーい」とだれかを呼ぶ。
そこには作業服をペンキまみれにして一心に壁を塗っている若い女性がいた。そのときはじめて私は彼女の存在に気がついた。作業している人というのは意識にはいってこないものだ。
呼ばれて振り向いた彼女が信じられないほど美しく、壁のクリーム色のように輝いていた。
「こっちへおいで」と幹部。
彼女は恥ずかしそうに襟を直してやってくる。
「この子はとてもいい子なんだ」と幹部は誇らしげに言った。
彼女の家、というよりお屋敷はタイニン省の総本山のすぐ近くにあった。敷地面積は200エーカーもあるという。地主であるとともに、カオダイ教の有力な檀家なのだった。そしておじいさんはカナダに住んでいるという……。
これをどう読み解けばいいのだろうか。ベトナム戦争が終わったとき、カオダイ教は弾圧されたはずだし、檀家の土地は召し上げられたのではないだろうか。しかし現に広大な敷地が残されている。またカナダのおじいさんというのも、謎だ。ボートピープルではないのだろうか。じつはこれらの謎はいまだに解けていない。
酔いつぶれた夜
わがカオダイ信仰計画は思いがけないことで頓挫してしまう。
ホーチミン市内の教会堂からグエンのバイクの後部に乗って私は市の中心部にもどってきた。グエンの家は路地の奥のこぢんまりとした住宅だったが、一階部分をカラオケバーに改造していた。
はじめグエンの病気がちの奥さんや娘、またフランス在住の親戚の少年などと食事をしながら団欒のひとときを楽しんでいた。グエンの娘は「目に入れても痛くない」ということばがぴったりの、触ったら壊れてしまいそうな可憐な花のようなかわいらしい二十歳の女の子だった。
それから私とグエンはバーに移動し、やってきた元北ベトナムの警官とともに酒を飲み始めた。
「もともと敵同士だったんだ、おれたちは」とグエン。「それが見ろよ、いまこうしていっしょに飲めるんだぜ」
元北ベトナムの警官はベトナム戦争映画に出てくる兵士や警官そのものの顔立ちをしていて、私は妙にうれしくなった。
それから話してはグラスを口にし、酒を飲んでは話をするといったありさまで、かつて経験ないほど大量に飲んだ。ぐでんぐでんに酔っ払い、どうやって梯子をのぼって(そう、階段というより梯子だった)二階のベッドに横になったか記憶にない。私は爆睡していた。
夜中。なにかが這い回っている。なにかが膝、太ももを這い回っている。指だ。それもゴツゴツとした指。それがパンツのなかに……。
「うわっ」
私は反射的に跳ね起きた。やわらかい指だったらどうなっていたかわからないが、それは野太い指だった。指がパンツに侵入してわが秘部をむんずとつかんだのだ。
翌日も私はグエンのバイク・タクシーに乗ってどこか観光地へ向かった。道を走りながらグエンは振り向かないまま、「昨夜はわるかった」と言った。
「いつものくせで、女房かと思ったんだ」
奥さんはたしか病気がちでそういう夜の床はなかったはず。8年間のムショ暮らしのとき、その味を覚えたのではないかと私は想像した。
しかしこのことでカオダイ教を掘り下げる意欲が萎えてしまったのも事実である。私は幹部から日本におけるカオダイ教の実態を調べるよう頼まれていたが、当時私は香港に住んでいたこともあり、なかなかうまくいかなかった。なんとなく後味の悪いまま、いまにいたっている。