G・W・カーヴァー伝  

奴隷から科学者になった男 

ジャネット&ジェフ 宮本訳 

 

01 南部ゲリラ兵 

 かろうじて燃えている火のそばで、荒削りの木製の箱の中に病弱な赤ん坊が寝ていた。赤ん坊の名はジョージ、母はメアリーといった。メアリーはやさしい手つきで子供の胸に軟膏を塗りこんで消化をしやすくしていた。それはときおり咳き込む喉の苦しみを緩和させるためでもあった。軟膏を塗りながら、彼女は床の藁敷きマットに寝る二歳の息子ジムが眠りにつけるよう小声で歌って聞かせた。彼女が子守唄を終えたとき、小さな奴隷小屋の扉が突然はじけるように開いた。メアリーは驚いて飛びあがった。主人の目を見ると、恐怖が浮かんでいたので、彼女はパニックに襲われた。

「ブッシュワッカー(南部ゲリラ兵)だ!」メアリーの主人、モーゼス・カーヴァーが叫んだ。彼はジムをつかんで床から起こした。「さ、わたしのあとから来なさい」

 19歳のメアリーは体を曲げてジョージをすくい上げ、一瞬動作をとめて子供を毛布にくるんだ。玄関から吹き込んでくる冷たい夜の空気から身を守っているのはこの毛布だけだった。この動作に5秒もかからなかったが、メアリーにはその5秒がなかった。小屋から抜け出す前に庭を駆け回る馬の雷のような足音と男たちのうっぷん晴らしの歓声が聞こえた。彼女は足に根が生えたかのように動けなくなった。そのとき肩幅の広い男がよろめきながら、わずかな明かりがともる小屋の入口に近づいた。

「男の子をひとりもらうぞ!」と彼は叫び、歓呼しながらライフルを掲げた手を振りまわした。

 ふたりの元気あふれる男たちが小屋の中に走りこんだ。そしてメアリーのコットンのブラウスをつかんで彼女を外に引きずり出した。メアリーはジョージを抱き寄せた。モーゼスは小屋近くの藪の後ろでひっそりとひざまずき、ジムを胸に抱き寄せた。メアリーが庭を引きずられていくところをジムは見ることがなかった。また彼女の身の毛がよだつ叫び声が聞こえないように彼は自分の体を盾にした。モーゼスは枝の間からメアリーがブッシュワッカーの馬に乗せられるのを覗き見た。メアリーは抵抗して男を蹴飛ばそうとしたが、男たちは彼女の背中を殴り、顔に平手打ちを食らわせておとなしくさせた。彼女はすすり泣くだけでもう抵抗はできなかった。

「さあ行こうぜ。おれたちは若いのをひとり手に入れたんだからな」栗色の駿馬に乗りながら男たちは高笑いした。「女が暴れ出す前にここから早く出ていこうぜ」

 小屋からメアリーを引きずりだした男たち、すなわち十人のブッシュワッカーたちは馬に乗り、手綱を引いて駆け出していった。家畜小屋につながれた狩猟犬が吠え立てた以外はすべてがひっそりとおこなわれた。静まり返ったにもかかわらず、モーゼスは数分間藪のうしろに隠れたまま、思いつめた涙が頬を伝うに任せていた。彼は若い奴隷を助けられるのなら、何でもやる覚悟だった。しかし実際はどうすることもできなかった。これは1854年、ミズーリ州南西部で起きたことである。このあたりは北部でも無法地帯として知られていた。カンサス連合とアーカンサス連合の間に隠れていたミズーリ州南西部は血の戦場となってしまった。モーゼス・カーヴァーが住んでいたニュートン郡の行政府所在地ネオショーはときどき南部連合軍の攻撃を受けた。それ以外の時期は連邦主義者が優勢で、町を治めることができた。町は混乱のさなかにあり、もし誰かが物を盗みたいと考え、人を呼び集めて実行に移したなら、だれもそれを妨げることができなかった。とくにそれが州境をまたいで行われたなら。

 ダイアモンド市に住むモーゼス・カーヴァーのような人々は困難な状況に置かれた。ミズーリ州ダイアモンド市はアーカンサス州境から40マイル(60キロ)のところに位置していた。オクラホマ州境とカンサス州境からは20マイル(30キロ)以下だった。つまり襲撃するにはもってこいの場所だった。

 実際、モーゼス・カーヴァーの240エーカーの農場はそれ以前に三度、襲撃者、あるいはブッシュワッカーに襲われていた。彼らはカーヴァーの隠し財産に目をつけていた。ドイツ人の血を引いている彼はとても頑固で、財産のありかをしゃべろうとしなかった。しかし頑固さの代価を払うことになってしまった。彼らは彼の両親指をしばり、クルミの木につるした。それが功を奏さないと知ると、彼らは暖炉から赤く熱した炭を取り出し、彼の脚の裏に押し付けたのである。それでもモーゼスは口を割ろうとしなかった。フラストレーションがたまったまま彼らは農場を去っていったが、喉をかききられなかったのはせめてもの幸いだった。彼の対処によって、足を引きずりながらも、また田を耕したあと一、二時間たって足に痛みを覚えたが、とにかく歩けるようになった、しかし取り引きはやってみる価値があるとモーゼスには思われた。彼は足を引きずりも歩くことができた。ブッシュワッカーたちは彼を残して去っていった。しかし夕方以降はどうなるかわからなかった。

「ママはどこに行ったの?」モーゼの胸から頭を離してついにジムは聞いた。

「それがわからないんだ、ジム。でももう隠れてなくていいと思う」彼はそう答え、男の子の手を取って藪から出た。

 モーゼスとジムは奴隷小屋の窓にぶら下がっているランプの光がたまっているところに姿を現した。モーゼスの妻スーザンも、隠れていた家畜小屋の後ろから、這って角を回ったところから、夫や奴隷、ふたりの子供たちに何が起きたかを見ていた。

「ああ、モーゼス」彼女は夫の姿を認めると、あえぎながら言った。ジムが夫のそばにいるのを見て、彼女は激しく言った。「メアリーは連れて行かれたの?」

「そうなんだ」夫はふさいだ感じで言った。「小さなジョージもね」

 それを聞いてスーザン・カーヴァーは激しく嗚咽した。「どうしてそんなことが……、どうしてそんな残酷なことができるの? 赤ん坊のジョージはとても弱くて、この寒さでは一晩だってもたないわ。メアリーも、ああ、いとしいメアリーも……ああ、神様、彼らはメアリーに何をしたの?」彼女は嗚咽の間に問うのだった。

 モーゼスは何も答えなかった。いまだ吹き荒れている南北戦争は、「尊敬すべき」白人にひどく残酷な行為をさせるということを彼は知っていた。すべてが終わって物事がもとの状態に戻ることを彼は願ってやまなかった。しかし戦争は三年もつづき、それが終わる兆しは見えなかった。

 当然のごとく、カーヴァー家の人々はその晩ずっと眠ることができなかった。スーザンは眠ったジムをかかえたままロッキングチェアに坐っていた。そしてメアリーの糸車を見るたびに胸がうずき、むせび泣きしそうになった。その間も、心配のあまり血の気が失せた顔のモーゼスはリビングルームをうろつきまわり、心の中でメアリーと赤ん坊のジョージを――生きていればだが、望み薄だった――救出するプランを何度も練り直した。最初の光線が農場を照りだしていくとき、ようやく落ち着きが戻ってきた。夫が馬に乗って隣人のジョン・ベントリーを探しにいったとき、スーザンは扉をしっかり閉じて中で待つことにした。

 ジョン・ベントリーは(北部)連合軍の斥候だった。彼はブッシュワッカーの動きについてこの地域でだれよりもたくさんのことを知っていた。とくにどのグループが夜間カーヴァー家の農場を襲ったかについての情報を持っていた。この地域でどのブッシュワッカーが活動的であるかに通じていた。カーヴァー家を襲撃したのには理由があった。州境に近かったのである。メアリーのような健康的な若い奴隷を売ってお金を得るのは、いとも簡単だった。

 結局モーゼスはジョン・ベントリーと取引を行った。もしジョンがメアリーを見つけ、彼女を奪い返したら、報酬として40エーカーの原生林とペイサーという名の競走馬を与えようというものだった。合計すると1100ドルもの価値があった。モーゼスが六年前にメアリーのために隣人に払ったのよりも400ドルも多くなる計算だ。この取引はばかげているとジョンには思われた。連合軍優勢で戦争が終わろうとしているのはたしかだった。そしてその結果すべての奴隷は解放されることになるだろう。そうするとなぜモーゼスは彼女を救済するために1100ドルも費やすのだろうか。モーゼスにとってお金の問題ではなかった。それは誠実さの問題だった。

 カーヴァー家はメアリーを買ったとはいえ、原則的に奴隷制には反対で、つねに奴隷廃止論者を支持していた。戦争が近づくに従い土地で働く若者が足りなくなっていた。カーヴァー家は彼ら自身の子供をこれ以上作ることができなかったので、農場での働き手が必要だった。絶望に駆られて彼らはメアリーを買ったのだった。彼らのメアリーの扱いはひどくなく、何年にもわたってともに戦争の試練を乗り切ってきたので、彼らはひとつの家族同然になった。メアリーが奪われた今、モーゼスは彼女を見つけ、取り戻すために持てる力のすべてを使わねばならないと考えた。

 数日間、モーゼスとスーザンはジョン・ベントリーの帰りを待ちながら、気が気でなかった。彼らはふたりとも、あるいは互いに、一日一日日が経つごとにメアリーが見つかる可能性が減っていくことを認めざるを得なかった。そしてついに五日後、ジョンが馬に乗って中庭に入ってきた。馬を家畜小屋の前の柱につなぐと、スーザンは駆け寄って彼を出迎えた。しかし彼がひとりであることに気がついたとき、彼女は落胆した。メアリーはいっしょではなかったのだ。

 ジョンはつば広の帽子を少し傾けた。「奥さん、申し訳ない」と彼は言った。「できるだけいろんなところを回ってみたんですが……。何日もかけて丘を上がり、谷を下り、探してみたのですが、メアリーは見つかりませんでした」

 モーゼスが豚の飼育棟から現れたとき、スーザンはエプロンで涙をぬぐっていた。「やっぱりだめか?」彼は妻の涙を見ると、感情を押し殺してたずねた。

「まあ、あなたがたがどう考えるかですけど」ジョンは鞍の後ろに布の包みを結わえた革のベルトを引っ張りながら言った。「ここに持ってきたものをご覧ください」包みを馬から下ろしながら彼は言った。

 モーゼスとスーザンは近づいてジョンが驚くほど丁寧に包みを開けていくのを眺めた。

「おお神様!」スーザンは布の包みの中をのぞいて思わず叫んだ。「ジョージだわ!」

「生者より死者のほうが多い昨今ですが」ジョンは包みをスーザンに渡しながら言った。「でも母は見つからなかったとしても、子供だけでも取り返せればとお思いのはずです。子供のためにしてあげることはたくさんあるでしょう」

「どうやって見つけたんですか?」モーゼスはたずねた。

「わたしはカンサス州側に数マイル入っていろいろと尋ねてまわったのです。そしたら炭のように黒い、やせこけた小さな赤ん坊の話を聞いたのです。ある農家の前で略奪者の手からこぼれ落ちたようなんです。調べにそこにいったら、彼らは喜んでわたしに赤ん坊を渡してくれました。そんなに長くは生きられないと考えたようです。わたしは赤ん坊を受け取り、包みにくるんだ赤ん坊を何度も見ました。ちゃんと息をしていました。そしてミルクをもらって、赤ん坊に呑ませたのです。そしたら元気になったんですよ!」

「だけど農民はメアリーについて何か言わなかったのですか」モーゼスはたずねました。

「いや。彼らはブッシュワッカーなんか見たことないっていうんです。信じがたかったけれど、彼らの口は固かったんです。赤ん坊を取り戻せただけでもラッキーだったと考えています」

「まあ、ともかく、お入りください。何か食べていってください」とモーゼスはジョンを招き入れた。

 スーザンはすでに家の中に入り、ジョージを包みから出して、暖炉の近くに寝床を作ろうとしていた。

「なんだかとても息苦しそうだわ」彼女は柔らかい口調で言った。「ジョージは連れ去られる前から体が悪かったもの。馬に乗せられて、寒い空気に当たって、余計に悪くなったみたい。もう一晩越せるかどうかわからないわ」

「どうしてそう言えるんだい」モーゼスは妻の肩にそっと手を置きながら言った。「赤ん坊を死の世界から連れ戻せる人がいるなら、それは君なのだから」

 スーザンはうなずいた。「やってみるわ。メアリーが戻ってきたら、わたしがジョージのためにやったことを話してみたいから」彼女は話ながら泣いてしまいそうになったが、唇を閉めて我慢した。落ち着きを取り戻した彼女はふたたびジョージに注意を戻した。彼女はジョージを救わねばならなかった。彼女は死の淵から彼を取り戻して精一杯介抱した。彼女はメアリーにすまない気持ちを持っていたのだ。

  

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