彼は北の天を空間に張り、

地を何もない所に掛けられる 

ヨブ記

 

 失われた大陸や地球空洞説、シェイヴァ―・ミステリーといったテーマについて研究するとき、人はかならずつぎの二つの疑問に突き当たる。

(1)  古代、地球内部にトンネル・システムはあったか 

(2)  よく知られた「両極の穴」は実在するのか。

 最初の疑問に対する答えは確信を持った「イエス」である。

 つぎの質問に対しては、慎重になりながらの「たぶん、ノー」である。

 

地球空洞説に関する初期の著作 

 地球内部は空洞であり、言ってみれば巨大なドーナツのような形をして、北極と南極に入り口がある、といった見方はずいぶん昔からあった。少なくとも数百年の歴史を持っている。

 地下のトンネルはとほうもなくたくさんある、とプラトンは書いている。それらは広いものもあれば、狭いものもあり、地球内部を埋め尽くしている。しかし地球がうつろであり、入り口が両極のどちらかにあるだろうと最初に述べたのは、ハレー彗星の発見者として有名なエドムンド・ハレー卿(16561742)だった。

 ハレーは、天界に属するすべてのものはうつろであると信じ、ロンドン王室協会のメンバーの聴衆を前にしてつぎのように語っている。

「地球の500フィートの厚さの皮層の下はうつろで、何もない」

 ハレーのすぐあとに登場したのはスイスの数学者レオナルド・ユーラー(17071783)だった。彼は「数学的にみれば地球は空洞でなければならない」と述べている。高等数学の基礎を築いたユーラーは「地球内部の中央には太陽があり、それが輝かしい地下文明に日光を供給している」とも述べている。

 地球が空洞であることを証明するための遠征隊をはじめて結成しようとしたのはエキセントリックなアメリカ人、ジョン・クリーヴス・シムズ(17791829)である。米国で組織されたばかりの軍隊の隊長だったシムズは、1812年の戦争で英雄となった。地球は入れ子状態の球体から成っているというのが彼の信念だった。彼はまた両極に穴があり、そこを入り口として空洞に入れると信じていた。

 シムズの情熱はオハイオの億万長者ジェイムズ・マクブライドを動かした。彼も遠征隊を派遣して地球の空洞について調べるべきだと確信するにいたった。ケンタッキー選出のリチャード・M・ジョンソン(18371841年のヴァン・ビューレン政権下の副大統領)のコネを利用し、地球内部の土地を米国領にするために議会の予算から遠征隊の費用を出すべきだと請願した。しかし得票数56対46で請願は却下された。

 それでもシムズはひるまなかった。彼は遠征隊派遣の運動をつづけ、講演をしたり、ものを書いたりして、地球内部を探るための費用を捻出しようとした。彼の主張によれば、両極の穴は4千マイル(6400キロ)四方もあり、ワシントンDCから北極へ向かう遠征隊は規模が相当大きなものになる必要があった。彼らは北極の入り口から地球の空洞に入るはずだった。入り口で彼らは地球内部の人々と接触することになる。そして「新しい交易と商業」が開始されるだろう。

 ワシントンDCにシムズもその創設にかかわったスミソニアン協会が発足したのはこの時期だった。遠征隊が地球内部から持ち帰った人工物を展示するためにスミソニアン協会がつくられるというのが彼の考えだった。しかし彼は1829年に死亡したため、北極に行き、地球内部に入るという野望が実現することはなかった。スミソニアン協会はほかの目的のために利用されることになった。このシムズの人生の長さにわたる探求に目をつけ、SF作品に仕立てたのがエドガー・アラン・ポーだった。『アーサー・ゴードン・ピムの物語』は1838年に出版された。 

 シムズ自身は地球空洞説に関する理論について書くことはなかったが、息子はのちに父親の講演を一巻にまとめている。それは理論を信じる人々を勇気づけることになった。ほとんどの科学者にとってこの理論はばかげていて、物理的にありえないことではあったが、深く信じる人々もいた。

 SF作家たちもこの地球空洞説を作品に取り入れた。もっとも有名なのはフランスの作家ジュール・ヴェルヌが著した『地底旅行』(1864)だろう。

 1871年、『虚ろな地球、あるいは世界の扇動家、平和主義者』と題されたウィリアム・F・ライオン著の奇妙な本が出版された。この著書には空洞の地球、極地の穴、重力、火山の理論、その他通常の説明では理解困難なことなどについての章を含んでいた。これらのタイトルはつぎのとおり。

「広々とした北極の海」「火成理論」「地震による電磁気の産物」「重力、従属する力」「世界を建設したのはだれか」など。

 もうひとつの奇妙な本、ウィリアム・F・ウォレンの『パラダイス発見』は1885年に刊行された。ウォレンは、注意深く研究した結果、人類の揺籃の地は北極であるという結論にいたったと主張した。原始的なエデンはかつて北極にあり、すべての文明がそこから生まれたと彼は信じた。『パラダイス発見』は地球空洞説や地球内部にエデンがあることを主張しているわけではないが、その影響を受けて中空世界や北極の穴の存在を証明しようとする本が増加したのはまぎれもない事実である。

 もうひとつの書、1895年に出版された『ノーム(小妖精)の中で』は、熱狂的な地球空洞説支持者やリチャード・シェイヴァ―に影響を与えたかもしれない。フランツ・ハートマンが書いたこの書は、アイルランド人がノーム(小妖精)や妖精、ドラゴン、ゴブリンなどが住む地下世界を訪ねるという物語である。

 1896年にもうひとつ奇妙な本、ジョン・ウーリー・ロイドが著したJ・オーガスタス・ナップのイラストが挿入された『エティドルパ』(エティドルパはアフロディテをさかさに読んだもの)が出版される。神秘世界に加入しようとしているフリーメーソンの男が、地球の空洞にむかって旅をする驚くべき物語である。主人公のレウェリン・ドルーリーはケンタッキーで、顔のない人型の妖怪――テレパシーでコミュニケーションできる――にさらわれ、洞窟の奥深くに連れていかれる。ふたりは地球内部の中央に輝く太陽に達する。ここでドルーリーは空中浮揚の仕方を教わる。

 もうひとつの本は1901年に出版されたフランク・サヴィルの『大いなる南の壁を越えて』である。サヴィルの小説は地球の空洞への入り口がある南極へ向かう旅の絵入り物語である。この小説はKNT(あきらかにテンプル騎士団のこと)のジョン・ドレンコート卿の真実の物語と銘打ったフィクションだった。彼が率いる一団が乗った船は南極の巨大な氷の間を突き抜けて、地球内部の海に達する。彼らはそこで古代の寺院を発見する。彼らは南極の巨大な氷壁につぶされそうになるが、かろうじて難を逃れた。