第1章 9 ニワトリの厄払い 

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 応劭(151?-203?)の『風俗通義』「祀典」の「雄鶏」の条にはつぎのように書かれる。「鶏、死を防ぎ、悪を除くことを主とする」。応劭が古代以来の民衆の感情、すなわち雄鶏に対する神秘的な観念を言おうとしている。古代の方士は鶏を「霊物」とみなし、鶏を用いて迫ってくる魑魅魍魎や悪の勢力を追い払うことができると信じている。古代には、鶏に関する辟邪呪術にさまざまな形式があるが、ここではニワトリ厄払い呪術としてまとめよう。

 当時は(時間を測る)測定器がなかったので、雄鶏や鶏鳴と人々の生活は密接な関係にあった。墨子はこういった。「夜に鶴や鶏が鳴くと、天下は震えあがった」。戦国時代の秦の『関法』の規定によれば、ニワトリが鳴くのをもって確実に城門を開けたという。

 『周礼』によれば、時を知らせる官吏を「鶏人」と呼んだ。かなり長い間、そう呼ばれていたという。人間はこのように鶏鳴に依存してきたが、雄鶏がおかにして暁の時を知ることができるようになったかわからず、ただ神意と関係がある神秘的な生き物とみなすようになったのである。

 古い占い書である『春秋運斗枢』によれば、ニワトリは上天玉衡星の化身だという。『荊楚歳時記』の杜公瞻が脚注に引く『括地図』に言う、「桃都山に大桃樹あり。湾曲して三千里、上に金鶏あり、日が照るとすなわち鳴く」と。このような一種の霊鳥、あるいは神物を、方士らは気軽に扱うわけにはいかない。

 ニワトリが辟邪霊物とされるもうひとつの重要な原因は、「雄鶏の一声、天下を明るくする(天下白)」である。光明の使者、あるいは前駆として、雄鶏は暗闇の中で活動する魑魅魍魎の息の根を止める。それによって魑魅魍魎の天敵、あるいは克星とみなされる。「魑魅魍魎は鶏鳴を恐れる」という観念がつぎの二つの神話に反映しているのはあきらかである。

 『古今図書集成』巻三十六に引く『青州府誌』に言う、山東博興東北の嫌城(俗称。今の賢城)の石姓の老女が夜間に妖怪が語るのを聞いた。「城を築いて居民を囲い、鶏鳴前にみなこれを食べつくせ」と。石氏はその言葉を聞いておおいに恐れ、箕を用いて鶏鳴を作り出した。するとニワトリがいっせいに鳴きだし、妖怪は恐れて逃げ出した。民はみな感激し、石氏が人々の命を救ったとして、祠を建てて祀った。

 袁枚『子不語』巻八に見いだされる「鬼、鶏鳴を聞いて縮む」という鬼も物語がある。司馬穣は夜、ロウソクの明かりのもと横になったまま読書をしていると、二匹の鬼が門から入ってきた。まさに人と鬼が対峙していたとき、「鶏鳴が一声響き渡った。すると二匹の鬼は縮まって一尺になってしまった。それはロウソクの明かりではっきりと見えた。鶏鳴が三度、四度響くと、鬼は三度、四度縮んだ。どんどん縮み、どんどん小さくなり、紗の帽子も両翅(はね)もついには地に没してしまった」。

 この二つの物語は後期のものだが、鬼が鶏鳴を恐れるという観念が古くからあったことを示している。古代においてはニワトリは光明を象徴していた。鬼を制圧するという観念および理論化が物語によって表現されている。「ニワトリは陽を積むとされ、南方の象である。火陽精物、炎上し、ゆえに陽から鶏鳴が出る、類相感である」。この推論を見ると、鬼は陰類に属し、ニワトリは陽物である。陽は陰をよく制す。ゆえにニワトリは鬼を制することができる。

 秦の時代以来、ニワトリは厄払いの儀礼のなかでもっともよく用いられるいけにえの動物である。甲骨文、金文の「彝」字は、ニワトリが二つの翅(はね)ごと縛られ、人の手が「奉祭」しているさまを表わす。もともとの意味は祭献(祭り、献じること)、禳祝(払い、祈ること)と関係があり、のちに青銅器の祭器の通称となった。

 『周礼』中、「鶏人」は、時を知らせる役目を持つとしている。鶏人のほかの重要な職責は、祭祀、禳祝、衅礼(しんれい。釁礼。いけにえの血を祭物に塗る儀礼)である。周代の礼制や規定を見ると、宗廟や居室を建てるとき、ニワトリの血で正門や夹室(宗廟内の遠い祖先のための部屋)に鶏血を塗らなければならない。当時の衅礼の一種である。

 前秦や魯国の郊祀礼の中には禳祝呪術があり、祝官が赤い雄鶏を持ち、「この翰(かん)音、赤羽によって、魯侯の咎を取り除け」と祈祷し願った。翰音は、夜明けを告げる雄鶏の悠長で高らかに響き渡る鳴き声を表わし、赤羽はニワトリのいけにえの際立った羽の色を表わす。魯国人は雄鶏が国主の災難を駆除すると考え、神霊に対し雄鶏を献上する。ニワトリのいけにえは、他のいけにえでは代替できない力を持っていると彼らは信じていた。彼らの見方によれば、雄鶏は神霊に捧げるだけでなく、悪しきものを除くことができた。

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 雄鶏によって鬼を制圧できると信じられていた。一方で雄鶏を捧げて鬼神を祀った。この二つは論理的には矛盾している。しかし古代の方士はこの種の矛盾を矛盾とみなさなかった。攻撃的な巫術と祈り求める祭祀は、古代においてはしばしば溶け合って一体化したのである。巫術をおこなう者にとっては、両者が結合しても何ら不都合ではないと考えた。古代の儀礼で使用する雄鶏は、神をたてまつる と同時に鬼を駆逐する二重の役割を持っていた。巫術には不思議な効果がある。巫術に意識を支配された人は、論理的に見えるものの中に矛盾があるとは認識できないのだ。

 南朝の道士陶弘景の『真誥』に言う。「学道のために山中にあるとき、白鶏と白犬を飼う。よく邪霊を避けることができるからである」。白鶏辟邪法は道士が民間巫術を根拠になすものである。これは典型的なニワトリの祓いの呪術である。

 古代の方士はつねにニワトリを疾風のような霊物として召喚した。『淮南万畢術』に一つの秘法が記されている。「疾風にニワトリの羽を焚かせる」。古書にいわく「五の酉(とり)の日、白鶏左翅を焼いて灰を上げ、風がいたる」。五酉日とは、六十甲子中の五つの酉日、すなわち癸(き)酉、乙酉、丁酉、己酉、辛酉である。ニワトリの羽によって風を招く呪術の起源がもっとも古い。

 『周易』「説卦」の解釈によれば、八卦の中の巽が風を表わし、またニワトリを表わし、戦国時代の占い師はニワトリと風が関連していると考えている。ニワトリと風は同類に属し、互いに感応することができる。ニワトリを焚き、疾風を招く呪術はここから来たのである。

 商代の甲骨文のなかで、風の概念は鳳凰の鳳の字で表示される。のちの神話伝説となった鳳鳥(おおとり)は晋人が「その形鶏に似る」と述べていることから、もともと尾が長くて大型のめったに見かけない山鶏を指していたのだろう。商代の人は鳳を借りて風とし、文字上のことを除き、ニワトリと大鳳の間には神秘的な関係があるとみなしていたのだろう。もしその通りなら、ニワトリと鳳の同類互換的な関係はさらに古いと言えるだろう。

 ニワトリ厄払い呪術は古代の民俗に多大な影響を与えてきた。上述のように桃木、ヨシの縄、ニワトリ、虎(の画)は古代春節で常用された霊物だった。戦国時代の民間にはすでに「家にはニワトリを掛け、その上にはヨシの縄をぶらさげる」ことによって百鬼を駆逐した。後漢人鄧平は、年の終わりの臘祭(十二月の祭り)に「ニワトリを殺して、もって刑徳(刑罰と恩賞)を謝す」のは必須であると認識していた。まさに殺したばかりの雄鶏を門にかけ、牝鶏を家にかけた。これによって陰陽の調和が取れて、風雨をコントロールすることができた。

 三国時代、魏人はつねに正月一日と臘祭の日の早朝に「ニワトリを殺し、門戸に掛ける」習慣があった。議郎董勲はこの風習と秦の「十二月に家の中から疫病を駆逐し、門戸にいけにえのニワトリに血を塗り付ける」風習には共通点がたくさんあった。魏明帝はかつて禳礼を修め、ニワトリの犠牲をもって禳衅(釁)に供えるとした。

 晋代になると、宮中や百寺門にヨシの干し草、桃枝、いけにえのニワトリを置いた。それは悪気を祓うためだった。ずっとこれは官府で行われた習慣だった。劉宋朝(南朝)では正月に桃枝やいけにえの雄鶏を置いた。のちに「諸郡県もこれにならい、この習俗がずっと残っていた」。

 

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 南朝の頃、門にかけられていたいけにえのニワトリがしだいに画のニワトリに取って代わられた。『荊楚歳時記』が記す、「画鶏を貼るか、五色の切紙を作るか、土鶏をこしらえるか」は、当時の元旦の様子が描かれている。この五彩鶏は現代の村々で見られる剪紙(切紙)の先駆的な存在である。画鶏や切り絵の五彩鶏を貼り、土鶏を置く目的は、百鬼を駆逐することである。これらの巫術的意味合いをいけにえのニワトリと比較すると、あきらかにインパクトは弱まっている。一部の著作家は画鶏の厭勝効能を神格化し画鶏と「重明鳥」の間に関係があるかのように述べている。

 前秦人王嘉は言う。唐堯(古代堯)の時代に、「秪支(ていし)国という国が重明という鳥を献上した。双晴ともいう。目に二つの瞳があるという。そのさまはニワトリに似て、声は鳳のよう、時に羽毛が下落し、一対の肉翅で天空を飛翔する。虎や豹、狼といった猛獣を追い払い、妖魔どもを近づけなかった。一年で戻ってくることもあれば、数年帰らないこともあった。人々は門戸を掃き清めて、重明が来るのを待った。それがやってこないと、人々は木を刻み、鉄を鋳造し、重明鳥と似たものを作り、門戸の間に置いて、妖魔を中に入れなかった。毎年元旦になると人々は木や鉄からニワトリを作り、あるいは画を描き、窓の上にかけた」。

 

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 ニワトリ厄払い呪術は古代の医術に大きな影響を与えた。古代医術方士は好んでニワトリの頭、体、血、羽毛を薬に入れたのである。こうした医術は少なからず巫術から転化したものだった。

 陰陽五行学説の解釈によれば、ニワトリは東方の牲(いけにえ)であり、東方は陽に属すので、ニワトリも陽に属す。ニワトリの頭や体は陽気が集まる(萃)ところであり、「東方鶏頭」は妖魔が起こす祟りなどの陰類の病気にとくに効果があると考えられる。

 漢代の人は「東方鶏頭は蠱(こ)を治す」と信じていた。また十二月には東門にいけにえの白いニワトリの頭をかけ、「法薬」とする習慣があった。こうしたことから、東門鶏頭は医術家が常用する辟邪薬物となった。

 李時珍『本草綱目』巻四八の「鶏」の項に「鶏頭」があり、東門上の優良なるもの、すなわち鶏頭を用いて、鬼(悪霊)を殺し、蠱病を治し、悪を祓い、疫病を辟けた。李時珍はまたこの習俗の本源を追っている。「かつては正月元旦に雄鶏をいけにえにし、門戸にかけて祭った。考えてみればニワトリは陽精であり、雄鶏は陽の体を持ち、頭は陽の会(集まるところ)である。東門は陽の方向である。純陽が純陰に勝つのは義である」。

 『風俗通義』がかつて述べたように、漢代の人は治療の一つとして「鬼刺」をおこなった。それは殺した雄鶏を患者のみぞおちに置くというものである。この治療法はのちに神秘的色彩を濃くしていった。晋代の小説『志怪録』にはつぎのような場面がある。

 方士の夏侯弘は江陵で、一匹の矛を持った大鬼が何匹かの小鬼を連れて大通りを猛然と歩いているのを見た。彼は一匹の小鬼をとらえて聞いた。
「大鬼は手に矛を持っているが、何のためだ?」
「人を殺すんだよ。人のおなかの真ん中に矛を刺す。その人はすぐ死ぬのさ」
「救う方法はあるのか」
「黒鶏をおなかのあたりに貼り付けるといい。すぐにすっかりよくなるよ」
 このあと夏侯弘は人々に「鬼法」を伝授し、多くの病人を救った。小説の最後につぎのように記されている。のちに「中悪」「中邪」(悪鬼や邪鬼によって起こされる卒中のような病気だろう)を患う者たちは「黒鶏を用いて症状を弱めた」。これはすなわち夏侯弘が遺した鬼法である。

 黒鶏を胸に貼り付ける方法以外にも、方士は雄鶏を食べることで同様の効果が得られると考えている。葛洪の『肘後方』には流行病を避けるために「冬至の日に赤い雄鶏を塩浸けにし、立春の日に煮て食べつくす。他人に分けてはならない」。ひとりで一羽の塩浸けのニワトリを食べ、はじめて疫病を防ぐことができる。ここに巫術の原理を理解する秘法がある。

 古代の医術家はニワトリの血、なかんずく鳥冠(とさか)の血が治療効果があるとみなしてきた。『肘後方』は多くの種類の鶏冠をもちいて突然死(を起こす病)を治療すると記す。

 たとえば「鬼撃卒死」を起こす病を治すのはつぎの方法である。黒鶏の血を病人の口の中に滴らせる。それを飲み込ませると、このニワトリを裂き、患者の心臓の下に置く。ニワトリの体が冷めたらニワトリは道端に捨てる。

 「中悪寝死」(寝たままの卒中を起こす病)を治す方法はつぎのとおり。雄鶏の鶏冠の血を患者の顔に塗る。しばらくしてふたたび塗る。同時に患者の体のまわりに灰土を撒く。

 猝然死(突然死を起こす病)を治すのは言語にできない方法である。鶏冠の血と真珠をあわせて小豆大のまんじゅうをつくる。それを3、4個、患者の口の中に入れる。

 首吊り(を起こす病)を治す方法はつぎにとおり。首を吊ったばかりの患者にはまだみぞおちに暖かみが残っている。首吊りの縄を切ってはいけない。鶏冠の血を死者の口の中に滴らせる。そうして心神を安定させる。首吊りが男性であれば雄鶏を、女性であれば牝鶏を使う。こういったことはどれも巫術と関係している。

 一部の医術家は想像力が豊富で、雄鶏の鶏冠の血は女性の陰内の出血を治すと考えた。「女性の交わりが理に反していて、出血したとき、雄鶏の鶏冠の血を塗る」。

 李時珍は解釈し、解説する。「三年(三歳)の老雄鶏の鶏冠の血を用いる。陽気が充溢しているのである。(……)鶏冠は筋の間を血が流れる場所であり、ニワトリの精髄である。もとより天の者は向上するものである。丹(紅)は陽の中の陽であり、中悪(卒中)や驚愕病などを治す」。法術家の先験的で、神秘的な言い方である。古代にはやった巫術では鶏血を使って治療するが、鶏冠血でなければならないということはない。『千金方』巻二五には、首吊り死(を起こす病)には、鶏血を喉の下に塗ることで治すという簡単な方法が記される。

 古代シャーマンの手にあっては、鶏毛はまた不思議な効用を持つ。ある医学書に言う。「庚辰(かのえ・たつ)の日、ニワトリと犬の毛を門の外でわずかに燃やし、煙を出す。これで疫病を避けることができる」。

 夏侯弘が疫病を治した故事に関して、真の性質を見いだすのはむつかしくない。古代の医術家は言う、「ニワトリの羽毛で茎が二つある者を選び、これを焼いて灰にして飲む」と、「升のごとく腫れた陰(嚢)」を治すことができる。奇妙なのは、「左の腫れには左の翅を、右の腫れには右の翅を、両方の腫れには両方の翅を取ることである」。また「雄鶏の翅を焼いて灰にし、一日三度、一方寸(3センチ四方)の灰を酒と服用する」と、婦人のお漏らしを治すことができる。方士によっては「雄鶏の毛を焼いて灰を酒に入れて飲むと、求めたものが手に入る」と豪語する。もはや鶏毛は病気を治すだけでなく、万能の霊物である。