古代中国呪術大全 宮本神酒男訳
第1章
15 汚物魔除け(上)五牲の汚物と古代医術
(1)
生贄の家畜の排泄物と人間の排泄物、とくに女性の体と関係のある汚穢(おわい)物。これらは古代中国においては、悪鬼を除き、邪を避けるパワーを持った霊異なるものとみなされた。
汚物駆邪呪術は、基本的に鬼神が不潔を嫌悪し、恐がるという観念から生まれたものだ。この種の観念が鬼神に対する自身の好悪の感情から生まれたものであろうことは簡単に推理できる。五行生克、万物相生相克の観念が流行してからは、人は汚濊物が自然に鬼怪を制圧する力を有していると認めるようになった。汚物が鬼を制圧するのは、タヌキがネズミを、ムカデが蛇を退治するのとおなじである。日頃からよく訓練を受けている呪術師は汚物をも一種の邪物と見る。それと妖鬼など邪悪なものとの間にはある種の固定的な制約関係がある。彼らは古代医術の「毒を持って毒を制す」の理論を参考にして、「邪をもって邪を制す」を作り出す。
古代中国の汚物駆邪呪術には三種類ある。すなわち犠牲の家畜の糞便を用いる駆邪。人の糞尿を用いる駆邪。人のその他の汚物および関連した器物を用いた駆邪。とくに女性に関連した汚物を用いた駆邪。
(2)
本章7節で引用した、燕人李季が白日に鬼が蘭湯を浴びるのを見たという韓非子が述べた故事がある。民間にはこの故事の別バージョンがある。韓非子はさも楽しそうにいくつかのパターンを示している。
たとえば、李季は犬の矢(糞尿)を浴びた。あるいは李季は五牲の矢を浴びた。あるいは蘭湯を浴びた。
この三つの異なるパターンは、邪悪なるものを駆除するために、犬矢、五牲の矢、蘭湯を用いているが、当時はそれらが一般的な方法だったということである。五牲とは牛、羊、犬、豕(し。ブタ、イノシシ)、鶏のこと。李季故事の五牲の矢とは、五牲の糞を混合して作った糞汁のことだ。法術をおこなう者は、この種のごった煮タイプのほうが、「犬矢を浴びる」よりも即座の効果が得られると認識している。糞汁駆邪法は睡虎血秦簡にも反映している。『日書』「詰篇」に記される、病気になって「鬼と交わった」女が「自ら犬矢を浴びた」話などがいい例だろう。
『日書』が明らかにしているように、当時の牲矢駆邪術の形式はさまざまあり、 淋澆糞湯(りんぎょうふんとう)すなわち「糞汁をそそいで作ったもの」だけとは限らない。「詰篇」に言う、大神がいるところ、簡単に通過することはできない。なぜなら大神はつねに行く人を傷つけるから。もしこの地を通るなら、まず身を守る武器として、犬矢の弾丸を作らなければならない。たまたま大神に会ったなら、犬矢でこれに弾を投げ、撃退せよ。
この書はまた言う、縁もゆかりもない鬼が人の居室の周囲で隙を窺っている。なんとしてでもこれを駆逐せねばならないが、うまくいかない。これは先祖の鬼がふらついているからである。犬矢で弾を投げて撃退し、二度と近づかないようにしなければならない。以上の二例は両方とも犬矢を投擲し、鬼神を駆逐する方法である。
ほかにも燔焼(はんしょう)牲矢がある。こんがりと焼くことで出る濃密な匂いによって鬼魅を駆逐するのである。たとえばかまどで理由なく食べ物を十分焼くことができないとき、「陽鬼」がかまどの中の火気を盗んでいると考えられる。室内でブタ矢を焚くことによって、かまどの使用継続が可能になる。
家の中の人全員が、理由もなく口の中がよだれでいっぱいになることがある。これは家の中の「愛母」鬼が怪をなすのである。この鬼は大きさが杵ほどで、体には赤い斑点が浮き出ていて、鬼がいるところは普通と何かが違った。たとえば水があるのに乾燥していたり、乾燥しているのに水浸しだったりした。家の中の地面を三尺ほど掘って、ブタの矢をこんがり焼くと、鬼を駆逐することができた。
韓兪の名作『進学解』に言う、「玉札(地榆)丹砂(朱砂)、赤箭(天麻)青芝(竜芝)、牛溲(牛尿)馬勃[キノコの一種で薬材]、敗鼓之皮(破鼓の廃皮)など広い範囲から各種薬材を集める。適切に保存すれば、必用なときに残らず全部使うことができる。このようにした医家はすぐれていると言えよう」。
文中の牛溲(ぎゅうしゅ)は牛の尿を指すという(一説には車前草)。韓兪は例を挙げて医家の兼収并蓄(異なるものをすべて受け入れること)を説明している。実際古代の医家は汚濊物を使用していたが、それは牛の尿だけではなかった。五牲の矢は六蓄の糞尿を入れた薬のリストに含まれていた。この種の医術は秦代以前から明清の時代まで衰えることはなかった。不潔な感じのする字面を避けるため、医家は家畜の糞便に特殊な名前をつけていた。たとえば「馬の尿を通、牛の尿を洞、ブタの尿を零」といった具合である。医家は牛洞、馬通を用いて病を治した。それらはすべて呪術と関係があるというわけではなかった。医術の処方が効くこともあった。偶然こうした処方が普遍的な真理と一致することもあった。これを否定することはできないのである。古い時代の汚濊駆邪術にも一脈通じるものがあった。
(3)
古代の医書は牛洞や馬通などの汚濊物の使用をどのように描いたのだろうか。
手のひらサイズの干し牛矢(牛糞)を簡易ベッドの下に置く。「母子に知らせるなかれ」。小児の夜泣きを治すことができる。牛矢を門戸に二寸平方ほどの大きさに塗る。これで疫病を避けることができる。牛矢を妊婦のお腹に塗る。死産の子をおろすことができる。牛矢を燃やし、門前に置く。つねに煙が出るようにして、子供が「非常人」にならないように、また異物に犯されないように予防する。犬に嚙まれたら、その傷に熱い牛矢を塗る。狐尿刺によって炎症を起こしたとき、「牛屎でこれを薄める」[狐尿刺とはカマキリから出た毒液で、それに手足が触れると炎症を起こす]。陰嚢が腫れて痛むときは、「牛屎を焼いて灰にして、これを酒といっしょに(膏薬として)塗る」。
『南史』「孫法宗伝」によると、劉宋の頃、孝子(親孝行者)として有名な孫法宗はいつも頭瘡[頭の皮膚炎]に苦しんでいた。ある夜、ひとりの女が彼に言った。「私はあなたに謝罪するために天から派遣されたものです。頭瘡をはやらす鬼は孝子に禍をもたらしてはいけないのです。あなたに処方の仕方を教えましょう。まず牛矢をじっくりと煮込んでください。それを患部によく塗り込んでください」。
孫氏は効果があるかどうか試してみた。そして患者たちもそのやり方をまねてみた。その結果、多くの頭瘡患者を救うことになったのである。このように上は頭頂から下は陰嚢まで、牛糞を塗ることになったのである。牛糞の内服や牛糞灰の医術はめったに見られないものだった。
『本草綱目』巻五十は言及する、「黄牛屎一升、絞った汁を飲む」と、小便が出ないのを治す。黄牛の牛糞を粉になるまでよく砕き、それに小麦粉の糊を入れて、桐の実大の丸薬を作る。食前に白湯といっしょに七十粒飲めば、湿黄熱病を治す。
黄牛矢半升を用いて、水二升を加え、三度煮沸する。半升服用すれば霍乱を治す[霍乱はコレラと理解されている]。
猝死不省人[人事不省に陥った人、突然死になりそうな人]は、「牛洞(牛屎)一升に温めた酒を入れたものを、あるいは湿らせたものの絞り汁を取る」。これは春秋時代の扁鵲(へんじゃく 前407-310頃の医学家)が残した処方。
妊婦の腰痛、毒腫などに対しても、「牛屎を焼いた粉末を方寸匕(計量スプーン一杯)、水と服用する」。一日三度。
子供の口噤(歯を食いしばって口が開かなくなる状態)には「白牛糞を口中に塗るとよくなる」。
おとな、子供にかかわらず、突然吐瀉をはじめてやまないとき、新しい馬糞の「絞り汁をそそぐ」。干した馬糞の煮汁もまた効果がある。『肘後方』によると、これも扁鵲が残した処方だという。
子供が邪気に冒されたとき、「熱い馬屎を取り、搾り取った汁を子供に飲ませる。服用すれば下痢もよくなる」。
また「馬通三升を煙がなくなるまで熱して、酒一斗と三度煮沸して、滓を取り除き、子供を湯あみさせれば、すなわちよくなる」。
口に白馬矢汁を含めば、「風虫歯痛」が治る。
口中に新しい馬矢汁を満たし、仰いでそれを鼻から中にそそぐと、塞がれていた鼻が通るようになる。
「撹腸沙」[飲食によって引き起こされる腸閉塞などの張の痛み]を患い、死にたくなるほど痛いとき、「馬糞を細かく擦った汁を飲めば、たちまちよくなる」。
このほか、口や鼻からの出血、痢疾、悪瘡などの治療に馬糞灰が効く。
(4)
漢墓帛書『五十二病方』に記される漆瘡(うるしのかぶれ)治療の呪文のなかに「我はあなたに豚矢を塗らなければならない」という一節がある。呪文を念じ終えると靴底で患部を摩擦する。原文の文意から考えるに、施術者は靴底で豚糞を患部に塗るのである。
この書が言及している「熬彘矢(ごうていし)」とは、燙傷[高温の液体による火傷]治療の方法である。両者とも豚矢を塗って治療している。これは偶然の一致とは思えない。すなわちのちの医術と以前の唾呪法とは同類なのである。後代の医家においては、豚零(豚屎)はさらに広範囲に応用されるようになる。
『千金方』巻五に言う、子供が神霊を怒らせてしまったとき[罰当たりなことをした時]、雄豚屎二升を煮て、子供に湯あみさせる。
子供の陰嚢が腫れたとき、「豚屎五升を水とともに煮て、布に含んで腫れた患部の上に載せる」。豚零(豚屎)を解毒薬として用いているのである。
霧瘴(瘴気)にあたったときは、新豚矢二升半に好酒一升を加える。布に矢を含んで絞った汁を服用すれば、発汗はすぐ治る。
豚肉を食べて食中毒になったとき、「豚屎を焼いて粉末にしたものを方寸匕(計量スプーン)で服用する」。
「母豚屎水を服用すれば、すべての毒を解くことができる」。
このほか豚零で口唇結核、白禿髪落、十年悪瘡などを治すことができる。
刀剣の刃によってケガをしたときは、羊矢を焼いて灰にし、それを傷口に塗る。痢疾を患い、死にそうになったとき、新しい羊矢一升に水一升を加え、(布を)一夜浸しておく。それを絞った汁を服用する。三回服用すれば、治っている。
青羊矢をよく煮て粉にする。それを妊婦のヘソに塗り込む。すると胎気(妊娠期間中の諸症状)が安定する。
白羊矢を子供の口に納めると、よだれが止まる。陰嚢と陰茎が熱く腫れたとき、羊矢を用い、黄糪(おうばく)の煮汁でこれを洗う。子供の頭にできた長瘡は羊糞を細かく砕いで粉末にしたものを塗る。このほか羊矢によって嘔吐、疔瘡、木刺鏃(やじり)入肉を治療する。
『五十二病方』は言う、瘋癲(精神錯乱)の治療には、一羽の白鶏と若干の犬矢。病人が発作を起こしたとき、鶏の首を切り、犬矢で湿らせ、そのあと鶏の胴体を開く。犬矢で鶏頭の上部を湿らしておく。三日後、よく焼いた鶏身を病人に食べさせると、病は癒えている。
医家はまた言う、白犬の矢は薬効があり、子供の霍乱(コレラ)、激痛の心臓痛、生理不順、各種瘧疾、各種悪瘡などを治す。
これだけでなく、医家は犬矢の中から発見される剰余物にも注意を払わねばならない。たとえば犬矢の中の粟(あわ)は、食べ物がのどに詰まったり、おくび(しゃっくり)が止まらなかったりしたときに効果があるという。また犬矢の中の小骨は子供の癲癇(てんかん)の発作に効く。
『五十二病方』中に鶏矢を焼いて、[とくに打撲の]傷口を燻す療法が記されている。また鶏矢を用いて漆鬼に塗布する方法について言及している。たとえば漆瘡の治療には呪文が使われる。「ペーイ!(呸!)漆王よ、おまえは兵器に漆を塗ることもできまい。かわりに人を傷つけている。今、鶏矢と鼠穴の土をおまえ、漆王に塗ろう」。鶏矢の中の白くなった部分は「鶏矢白」と呼ばれ、古代の医家がもっとも重視するものである。
『肘後方』巻三に言う、鶏矢白一升を取り、清酒五升を加え、搗き砕いてふるいにかけ、細かくし、これを飲んで「四肢麻痺、情緒不安」を治療する。
ナツメほどの大きさの鶏矢白を一つ取り、盃半杯の酒を加え、首をくくった者の口や鼻にそそぐ。これで命を救うことができる。
『千金方』巻五に言う、子供が驚いて泣くのを治すには、「鶏屎白を粉末もまるまでじっくり煮込み、乳(母乳)といっしょに服用するのがいい。
子供がひきつけを起こしたとき、ナツメの大きさの鶏矢白を取り、綿にくるんで、「水一合を二度煮沸する」。二度に分けて服用すれば、よくなる。
このほか鶏矢、鶏矢白を用いて歯痛、鼻血、耳聾、頭瘡などの疾病を治療する。
医術には二つの注意点がある。
まず、家畜の糞は、夜泣きや客忤[客忤(きゃくご)とは、嬰児が突然泣き出したり、顔面蒼白で泡を吹いたり、喘いだり、腹痛を起こしたりする症状]など小児の疾病に効く。この類の疾病は、巫医から見れば、多くは邪があたったもの(鬼神によって起こされたもの)である。したがって治療法は、「濊」でもって邪を駆逐する方法が中心となる。まさにそれは戦国時代の人が犬矢や五牲の矢を用いて、「白日見鬼者」(昼間に幽霊を見る者)のためにしたように、犬矢を用いて、鬼と交わる患者のために邪を駆逐する。医療の対象が子供からおとなに代わっても、治療法そのものは呪術的性質を帯びている。
つぎに、牲矢(家畜の糞)はどれも皮膚廟に効く。これと古代巫術の伝統とは密接な関係がある。前漢の巫医はすでに豕(ぶた)矢や鶏矢、鼠壌(鼠の穴の土)を漆瘡(うるしのかぶれ)に塗っていた。彼らが呪文を唱えるのは巫術意識の表れだった。漆鬼は人と同様、臓物臭を恐がった。濊物を用いることで漆鬼を追い払うことができたのである。漆鬼が逃走することで、漆瘡は完全に治ったのである。
後代の医家は、五牲矢を塗る(外敷)療法を迷信とみなしたが、まさにこれが呪術観念の残党なのである。もし五牲矢療法が経験的に有効な 成分を含むなら、経験と療法中の考え方、すなわち呪術意識とを比較するのは、あまり意味のないことである。