第2章 7 蘭湯の魔除けとみそぎの儀礼の変遷 

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 李時珍『本草綱目』巻十四「蘭草」の項に言う。「蘭の香草、不吉なものを避けることができる」。李氏が言うこの観念の起源はずいぶんと早いようだ。遅くとも春秋時代、蘭草を用いた辟除邪祟の呪術があった。蘭草を煮たお湯で沐浴をした、あるいは蘭草を手に持って川の中で沐浴をした。当時これらの呪法はすでにかなり流行していた。

 ここまでの分析から、ある植物が霊物(霊験あらたかなるもの)とみなされるには、二つの条件がある。一つは、特殊な性能を持っていること。あるいは重要な実用的価値があること。また一つは、祭神活動や祭祀制度、神話伝説、重大な歴史的事件と関連があること。われわれは蘭草、蘭湯が霊妙なものとなった原因をこの二つから探ることができる。

 蘭草には香気を放つという特徴がある。春秋の人々は蘭草の香りを香りの最たるもの、一国の冠とした。鄭ではそれを「国香」とみなしたほどである。古代民間では蘭草を「香水蘭」「燕尾香」あるいはそのものずばり「香草」と呼んだ。蘭草にはすぐれた点があったので、古代人はつねに上質の化粧品として使用した。

 『左伝』「宣公三年」神の口ぶりで言う。「蘭に国香あり。人これを服媚する(愛する)」。その意味は香りがすぐれて清らかな蘭草を身につけると、他者はそれを愛さざるをえない、ということだ。屈原『離騒』は詠唱する。「江離(香草)と辟芷(香草)を帯て、秋蘭を綴って身につけるなり」。この詩は楚人が蘭を身につけることが美しいという気持ちを持っていたことを反映している。『大戴礼記』「夏小正」は夏代の暦書を伝えるが、その中に夏暦(陰暦)五月に蘭草を貯蓄すべきだと述べている。それは「沐浴をするためなり」という。蘭湯に沐浴する習慣ははるか昔からあった。美容、化粧のためでもあり、女性は喜んで香物を使ったことだろう。古代の女性と蘭草は密接な関係があった。漢代には「男子が植えた蘭は、美しくも芳しからず」ということわざがあった。これは女人が植えた蘭草のみが香気を持つという意味である。もし女性が用いる蘭草が多くなければ、このようなことわざは生まれなかったはずである。古代の蘭湯辟邪術は女性のシャーマンが用いていた。女性が主に蘭草を利用してきた伝統と関係があるだろう。



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