古代中国呪術大全 宮本神酒男訳 

第2章 
8 厄病退散(下)それぞれの呪術 

 

(1)

 『周礼』中の女祝(女巫)が「つかさどって招祭、祭、祭、禳祭をおこない、疾病と災害を除去する」。女巫師(シャーマン)の個人的な呪力によって疫病を祓い、取り除くである。こうした個人よる駆疫呪術は古代中国においてかなり流行した。広がった巫術霊物(霊妙なの)には赤小豆、桃木、桑木、古磚(れんが)、深紅の帽子、経条、呪符など。

 

(2)赤小豆禳疫呪法 

 漢代大儺礼で赤丸を投げる儀というのがあるが、この赤丸は赤小豆から作ったものかもしれない。漢代以降、赤小豆禳疫法にはおもに三つの形式があった。すなわち服用、豆まき、両者兼用の三種である。 

 葛洪『肘後方』に言う、井戸に置いた赤小豆が泡を発すると、それを服用すれば疫を避けることができると。「正月七日、新しい布袋にいっぱいの赤小豆を入れ、井戸に三日置く。取り出して男は七粒、女は二七(十四)粒服用する。その年はずっと無病である」。

 またこうも言う。「正月元旦、東に向かい、虀水(さいすい 漬物水?)で赤小豆三七粒を呑めば、一年諸病と無縁である。また七月立秋日、西に向かい、井華水(早朝一番に汲んだ泉水。鎮静効果あり)で赤小豆七粒を呑む。秋の間痢疾に冒されない」。

 生の赤小豆を呑み込むのは簡単ではない。のちに一部の地区ではかわりに赤豆粥を食べた。『荊楚歳時記』に言う、「冬至の日、日影を量り、赤豆粥を作り、疫を祓った」。

 赤小豆には薬用成分が含まれていた。らだしそれによって疫を駆除するのは巫術的な意識によるものだった。杜公注に言う、「共工氏、才のない子あり。冬至の日に死んだ。疫鬼のために赤小豆を畏れる」。赤小豆、赤豆粥は疫を祓うという観念が基礎にあった。後代の医家は赤小豆を用いて難産や無子(不妊症)を治療した。どれも今なら呪術とみなされるだろう。

 

 上述の『竜魚河図』の「除夜の四更に、二七の豆子(まめ)、二七の麻子(苴麻)を取り、家人は頭髪を少し取り、麻、豆と合わせて井戸につけ、井戸に呪語の勅令を出した。その家族は一年にわたって傷寒(腸チフス)に遭うことがなかった。それは五方の疫鬼を避ける方法だった。これは葛洪の呑豆除癘法(とんとうじょれいほう)のバリエーションである。井戸に小豆を投げつけるのと、赤小豆でいっぱいの新しい袋を井戸水の中に置くのとは、基本的に同じである。ただ環節生物(ムカデなど)のほか麻子(大麻の実)や頭髪を服用することがなくなっていた。

 孫思邈豆を服用する古いやり方は継承していた。たとえば「赤小豆でいっぱいの新しい布袋を井戸に入れ、三日間置く。それから出して、家で二十七粒服用する」「七月七日に家族で赤小豆を呑む。日に向かい二十七粒呑む」。また二つの方術を統合して、服用し、かつ投げ入れる新しい方法を案出した。「まさに麻子、赤小豆各二十七粒を呑み、各二十七粒を井戸に投げ入れた」。

 

 赤小豆禳疫法は井戸と関係している。古代の術士は井戸を疫気の発生源の一つとみていた。梁朝の頃、葦のたいまつで井戸や厠を照らすと百鬼が逃げていくという観念があった。これは小豆投井法(小豆を井戸に投げ入れる呪法)と相通じるものがあった。古代には多くの除疫法が流行した。らろえば「臘月臘夜、人に山椒を持たせ、井戸の傍らに寝かせ、人と言葉を交わさせない。井戸の中に山椒を置くと、伝染病を除くことができる」「女人に附子(トリカブトの根についている塊)三粒、小豆七粒を井戸に投げ入れさせる」「附子三粒、小豆七粒、女人に投げ入れさせる」「つるべ縄を七寸ほど切り、ひそかに病人の床の下に入れる」などの法術があった。どれも厭勝水井(井戸)と関係がある。

 

(3)

 古代の人はいつも黃豆、黒豆などを用いて避煞駆疫(ひさつくえき)[煞は凶神]をおこなった。宋代の婚礼では「新婦が車を降りると、陰陽人(すなわち巫師)が器を持ち、穀物、豆、お金、果物(彩果)、草節などを盛り、祝いの 言葉を唱え、門に向かって撒く。すると子供たちは争ってこれらを拾った。これを穀豆撒きという。俗に厭青羊等殺神[青羊は木精などの煞神のこと。殺神は煞神。つまり凶神を駆逐するという意味]という」。

 この法術の起源は漢代ともいう。「前漢の京房(前77―前37の学者)の女を翼奉(前漢経学者)の子のもとに嫁にやるとき、(奉が迎える日を選んだが)房はその日門の前に三煞(青羊、烏鶏、青牛の三凶神)がいて不吉であるとした。これを犯すと(無理に門に入ると)家長を損なう(あるいは子供が生まれない)としたが、奉は納得しなかった。(そうこうするうちに新婦が門に到着したので)麻、豆、穀、米で祓ったところ、三煞を避けることができた。これ以来、新しく人が家に入るとき、麻や米を撒くようになった。のちの撒帳の俗[新婚夫婦が互いに拝したあと、床に並んで座り、新婦が銭や彩果を撒く習俗]はここに始まるという」。

 清代には黃豆を用いて天然痘を祓除した。「黃豆を帳(とばり)の上に撒き、あるいは赤緑の糸をまき、黃豆三粒を香袋に入れると、禳痘(天然痘の祓除)することができた」。この法術と赤小豆禳疫法とは密接な関係があった。

 

(4)桃桑駆疫法 

 桃木辟邪術、桑木辟邪術は、どちらも駆疫に用いられていた。『淮南万畢術』に言う、「臘日、家の(敷地の)隅に丸石を埋める。桃弧(弓)七つを混ぜれば、すなわち鬼疫なし」。つまり青石と桃弧(弓)を混ぜて疫鬼を鎮圧する。

 『千金方』巻九「辟温」に各種駆疫方術が載っている。その中で桃湯沐浴法と桃蠹屎(とうとし 桃に巣食う虫の糞)飲用法に言及している。この書は言う、「正月元旦、東に伸びる桑の指のような根を七寸ほど切って取る。これに丹を塗り、門戸に掛ける、あるいは人が携帯する」。すると疫を避けることができる。

 

(5)古磚駆疫法 

 『歳時広記』巻五が引用する陳蔵器『本草拾遺』に言う、「正月某日早朝、墓に行って古磚(レンガ)を一塊取ってきて、呪文を念じる。「要断一年無時瘟!」(この一年、ずっと瘟疫がありませんように)。このあと古磚を正門の上に吊るす。すると一年、瘟疫(伝染病)に見舞われることはない。

 盧若騰『島居随録』巻下に言う、「五月一日、古塚上の土、あるいは磚石を取り、瓦器に入れ、門の外の階段の下に埋める。そうすれば家族全員流行りの病気にかからない」。

 墓の上の鬼気がしみ込んだ磚石は疫気を辟除することができる。陳蔵器らによると、首吊りに使った縄は精神病に効く。死者の枕席(枕と床)は邪病(邪術が引き起こした病気)すべてを治す。これらはみな「鬼でもって鬼を制す」法術である。

 

(6)麺蛇を釘打つ 

唐宋の時期に流行した疫鬼を呪詛する法術があった。まず麺(小麦粉)をこねて蛇形を作り、よく炒った黒豆とよく煮た鶏のたまごを準備する。正月一日夜四鼓時分[鼓は更と同じ。四鼓は深夜]、探してきた姓名の異なる三人が地面に穴を掘る。麺の蛇、炒った黒豆、煮た鶏卵を三度鉄釘で打つ。そして呪文を唱える。

「蛇が行く、すなわち病が行く。黒豆が生きる、すなわち病が行く。鶏子(たまご)が生きる、すなわち病が行く」

 呪文を唱え終わると、これら三つのものを穴に入れ、埋める。呪文の言葉を最大限にきわめて疫病の流行を不可能にする。古い詩の中にある「冬雷震震夏雨雪」という呪誓[誓いを立てる呪文]と似ている。

 

(7)深紅の帽子をかぶる 

 唐代陸勲『集異志』は記す。梁武帝太清元年、丹陽の莫氏の妻が怪物を産んだ。大きさは二歳の子供ほどで、両目は長く頭頂にあった。怪物は生まれ落ちたときに言った。「われは旱疫の鬼である。長く住むことはできない」。

 莫の妻が瘟疫を避けるにはどうしたらいいかと質問した。疫鬼は答えた。「疫病がはやって緊急事態のとき、深紅の帽子をかぶると何事もないだろう。うまくいかなかったら、深紅の帯を髪につけて一時的にしのげばいい」。

 妖怪が生まれてから二年以内に瘟疫がはやった。楊州、徐州、充州、豫州がひどかった。莫の妻が疫鬼のことばを記し、この方法を伝授すると、あたりは大きな被害を受けずにすんだ。深紅の帽子、深紅の帯の避疫法は、朱糸駆邪術と基本原理は同じだった。漢代の五月五日五彩糸を腕につける辟厲鬼瘟病の習俗とも関係があった。 

 

(8)牛肉の戒 

 『歳時広記』巻二十三「戒牛肉」の節に言う。「蔵経」に、毎年五月五日、瘟神が世間を巡行すると書かれている。朱砂で書かれているのは、<本家不食牛肉、天行已過、使者須知>(この家は牛肉を食べない。天行(天体の運行)、すなわち伝染病は過ぎたので、瘟病使者はすべからく知るべき)の十四字。これを門に貼れば、瘟疫を避けることができる。そもそも牛肉を食べない家であれば、瘟神が押し入ってくることはない。

 今日、多くの人が<本家不食牛肉>の6字を省略して、<天行已過、使者須知>の8字のみを貼るようになった。しかしこれでは「蔵経」の意味が十分に伝わらない。

 もともとこの14字は禁忌と祈祷の性質があることを示すものだった。のちに民間で最初の6字が削られ、意味が通じなくなり、語気も強くなった。<天行已過、使者須知>は、天神がすでに査察をすませ、この家が牛肉を食べないこと、ゆえに疫病を受けるリストからはずされていることを述べているようである。瘟神使者は規定を守り、瘟疫をむやみにばらまくようなことはしない。

 

(9)貴人の力 

 貴人の手によって、あるいはその威名を利用して疫鬼を駆逐する。強烈な権力崇拝意識から生まれた法術である。

『碣石剰談(けつせきじょうだん)』という題の書は言う。明正統年間、書生李裕の岳父(妻の父)一家全員が瘟疫(伝染病)にかかってしまった。ある日、岳父は夢にうなされていると、鬼たちがなにやら語り合っているのが聞こえた。「明日吏部の尚書がここにやってくるそうだ。われらは用心して避難したほうがよさそうだ」。鬼の一人が言った。「みんな、厨房の空き瓶にしばらく隠れようじゃないか」。老人は夢から醒めて不思議なこともあるものだと思った。翌日、娘婿の李裕が様子を見にやってきた。

岳父は瘟疫にかかったため、以前とまったく様子が異なり、ぐったりとしていた。力を振り絞って、李裕に封印紙に「吏部尚書」と書くよう頼んだ。そのあと人に泥を持ってこさせ、厨房の空き瓶に詰めさせた。泥でいっぱいになると、封印紙を貼り、屋外に持って行って棄てた。その後患者(岳父と家族)は回復したという。

 景泰甲戌年、李裕は試験に受かって進士となり、成化年間(146587)に出世して吏部尚書の地位に就いた。この書によれば、人をひれ伏させる絶対的な政治権力を使って、貴人は疫鬼を駆逐することができる。上述の璽印逐鬼術とも相通じるところがあるようだ。

 

10)経条を貼る 

 明代天啓年間、盧陵県令蜀明は、封条(封印紙)のような「経条」に刻印するよう命令を下した。経条には<玉清文昌大洞仙経>と書かれ、道士の印章を押した。疫病が出た区域にそれを貼り、伝染病を避けることがでえきた。

 ある人がなぜこんなことをするのかと聞いた。蜀明が答えた。文昌帝の父母が瘟疫にかかって死んだ。それゆえ文昌(もとは星の名、すなわち文曲星。道教は功名禄位の神とみなした)は道を得たあと、法術を用いて疫鬼を退治した。疫鬼は名を元伯といい、文昌によって退治され、叩頭し、罪を認めた。

「下界の人間には罪業[身口意三業の罪]があります。上帝は閻王(閻魔)と元伯に命じて懲罰を実施しました。我輩はただ命に奉じただけなのです。どうか我輩を殺さないでください。願いをきいて差し上げましょう」

 これにより文昌(帝)君と関連した経文を門に貼ったため、疫鬼は門から中に入ろうとしなくなった。すでに門から中に入っていた疫鬼は、自ら外に出た。

 経条を貼る方法とつぎに挙げる施呪符法は相通じるものがあり、経条を符籙のバリエーションとみなすこともできるだろう。

 

11)呪符 

 唐代の人は門によく虎の画を描き、聻(せき)文字を書き、疫癘(えきれい)すなわち伝染病をやませることができた。この聻文字は実質、特殊な避疫符(疫病を避ける護符)といえた。一部の方術書が紹介しているように、傷寒病(腸チフス)を家から駆逐するために、手に鬼という字を書く。すると伝染を防止することができる。

 宋人洪邁が言うには、僧が提供した「範□飛」の三文字は辟疫符であり、民間に広く流布した。豫章の家々ではこれを祀ったという。[□1は竹冠、病ダレ、其、足からなる文字]

 清代のある日、「呉に大疫がはやり、居民の多くが□1、□2、□3三字を門首に貼り、これで疫病を駆逐できるという」。[□2は竹冠、病ダレ、具、足。□3は病ダレ、捉] 

 こういった駆疫符は、洪邁が述べる三文字が変化したものかもしれない。

 道教符籙派の著作はいつも駆疫符呪についての専門の章を設けている。たとえば『太上洞玄霊宝素霊真符』巻上「理殟(瘟)病」に八十八道符が記されている。そのなかには呑符、佩符、張貼符などが含まれる。

 

12)呪文による疫鬼禁治 

 呪文を用いて疫鬼を禁治する。これは術士がつねに用いる呪法である。『千金翼方』巻二十九「禁温(瘟)疫時行」に十数種の呪文が載っている。比較的短いものを二つ挙げよう。

 『禁時気却疫法』の呪文はつぎのとおり。

 

吾是天師祭酒、当為天師駆使、頭戴日月北斗七星。(我は天師[尊称]であり、祭酒[官名]である。頭上に日月北斗七星を戴く)

吾有乾霊之兵十万人、従吾左右前後。(我は上天の兵士十万人を持つ。前後左右に我に従う者がいる)

吾有太上老君、天地父母在吾身中、左手持節、右手持幢、何鬼不役、何神不走、何邪不去、何鬼敢往? (我には太上老君がついている。天の父、地の母はわが体の中にいる。左手に竹節を持ち、右手に幢を持つ。どの鬼が使役されないだろうか。どの神が走って逃げないだろうか。どの凶神が駆逐されないだろうか。

急急如律令!(緊急事態だ、法律命令のごとく処せよ)

 

 孫思邈は自ら注をつけて言う。この呪文を唱えれば「万の悪が人に近づかない」と。

 また『禁温(瘟)疫法』の呪文はつぎのとおり。

 

咄汝黃奴老古知吾否?(くそったれ、汝、黄色い老いぼれ犬よ、我を知っているか) 

吾初学道出于東方、千城万仞上紫宮、霊鋼百煉之剣利如鋒芒、斬殺凶咎、梟截不祥。(我ははじめ学ぶために東方へ向かった。千城万仞を越えて紫宮に至り、きっさき鋭い霊鋼百煉の剣で、凶悪なものを斬り殺し、不吉なものを叩き切る)

叱汝黃奴老古、先出有礼、後出斬汝!(くそったれ、汝、黄色い老いぼれ犬よ、先に出たなら礼がある。あとから出たなら叩き切る)

叱叱急急如律令!(しっし、緊急事態だ、法律命令のごとく処せよ)

 

 自ら注をつけて言う。逐鬼儀式において呪を実施したあと、呪文を唱えるときにかならず心に青竜、白虎、朱雀、玄武四神を思い浮かべなければならない、と。呪文を「黃奴老古」ともいうが、これは疫鬼に対する蔑称である。

 

13)その他雑法 

 古代駆疫法はほとんどが辟邪霊物(魔除け)と関係するか、そのものである。すでに述べたように、黄土塗門法や牛矢塗門法、焚鶏犬毛取煙法などがそうである。沐浴法もその一つである。

 「五月十五日、日中に井華水を取り、沐浴をすれば、邪鬼を避けられる」「五月戊己の日に沐浴すれば、病を避けられる」。

焼縄法あり。縄を用いて居間や玄関を測る。そのあと「縄を曲げ、焼いて切る」。すなわち伝染病を防止する。

 密灸法あり。「もぐさを病床の四隅にひそかに置く。これは知られないようにやらねばならない」。

 このほか、古代においては、元旦、桃湯を飲み、お屠蘇を飲み、却鬼丸を服用した。その他の節日にも辟邪活動が行われた。どれも圧伏疫気が目的だった。