古代中国呪術大全 宮本神酒男訳

第2章 
9 悪夢祓い 

 

(1)

 夢兆は古代世界各民族の間に普遍的に流行した信仰ある。「古代人はみな夢に重大な意味と実際的な価値を見出した。彼らは夢の中に将来の予兆を求めた。古代ギリシア人とその他東方の民族は出兵時にかならず夢占いを連れていった。今日、出兵のとき偵察員を連れていき、敵情を探らせるのと似ている」(フロイト)。フロイトはこの一節を応用して古代中国の夢兆迷信も合致すると説明している。

商代の卜辞のなかに大量に夢占いの記録がある。商王、王妃、近臣など夢見る人物が鬼怪、獣、天象その他恐ろしい夢を見た場合、占いをする必要があった。彼らは悪夢が出現するのは祖先が祟っているのだと考えた。それは災いがやってくることを予知していた。商代以降、夢占い術は複雑で細かくなっていったが、それを用いて予測をしたのが方士(呪術師)だった。

 夢占い術が発展するとともに、悪夢を駆除する巫術もまた発展してきた。周人の習慣で毎年年の終わりに悪夢を駆逐する儀式、いわゆる「贈悪夢」を行った[この「贈」は駆逐するという意味がある]。おそらく周人が悪夢を疫病の前兆ととらえたので、周代の贈悪夢儀式と疫鬼駆逐の儺礼は結びつきやすかった。

 『周礼』によると、夢占い官は六つの夢を求める責任があった。六夢とはすなわち正夢、夢(ぞっとする夢)、思夢、夢(目覚めの夢)、喜夢、惧夢(恐ろしい夢)。それぞれが吉凶を示す。毎年月(ろうげつ 農暦十二月)、周王の夢象を問わねばならなかった。あるいは群臣の見た吉夢を王に献じなければならなかった。このあと蔬菜を四方の神霊に祭る必要があった。「それによって悪夢を駆逐(贈)した」。つぎの朝、方相氏(神職)が命令を出す。それは年末の大儺の正式な開始宣言だった。

 『周礼』中の男の巫師は「冬、堂贈の祭祀をおこなう。その方向や遠近は一定しない」。この「贈」はすでに述べたように疫鬼を駆逐するという意味。つまり悪夢を送る(追い出す)ということである。後漢の儺礼中の「伯奇」はもっぱら悪夢を食べる神獣。このとき夢の駆逐と疫の駆逐は関係がある。

 

(2)

 周代の人は、夢の世界と疾病の関係を誤解したことから、悪夢と疫病にはつながりがあると考えた。鬼神信仰がさかんな社会では、体が弱くて病気がちの人、あるいは改善の見込みのない重病人は、どうしても悪鬼の夢を見るだろう。

晋の景公は死ぬ直前に髪を振り乱した厲鬼(れいき)が門を打ち破り、命を取りに来る夢を見た。また病鬼が二人の子供に変じ、あれこれと問答する夢を見た。声は言う、われらは景公の膏肓(こうこう 心臓の下の経穴)の間に隠れて、名医の手を束ね、策を講じさせないのだ、と。

晋の平公は大病中に「黄色い熊が寝門(もっとも内側の門)に入る」夢を見た。

体質や心境の変化から悪夢がもたらされ、それは疾病や死亡の原因と解釈された。当時の観念からすれば、天子が悪鬼を夢見る意味は、鬼神が天子本人だけでなく、彼が管轄する民にも懲罰を与えるということである。この考え方を推し進めれば、悪夢は疫病の流行の前兆と考えられるようになる。

 

 睡虎地秦簡『日書』に「夢篇」があり、占夢や駆夢についても書かれている。そのなかの悪夢を駆除する方法はつぎのとおり。夢から醒めたあと、髪のかんざしを抜き、ぼさぼさの髪で座り、西北に向かって呪文を唱えた。

「皐(ハオ)! 敢告爾矜蜻[原文は+今、立+奇]之所、強飲強食、賜某大幅(福)、非銭乃布、非繭乃絮(わた)」

 矜蜻は『日書』乙種本では宛奇と書かれる。すなわち『後漢書』「礼儀志」で言及される悪夢をのみ食べる神獣「伯奇」のことである。呪文の意味は、「われはここで悪夢の出現を見た(悪夢を見た)、まさにそのことを矜蜻に報告しなければならない。さらにわれは自ら矜蜻の住むところに行き、飲食してもらうようお願いしなければならない。悪夢を食べてもらい、大福(大きな幸運)をもらわねばならない。それは銭でなく布であり、繭でなく絮(わた)である」。

 「夢篇」が説明する、かんざしを抜いて髪をばさばさにするのは、当時、つねに用いられた制鬼法だったと。『日書』「詰篇」は言う、「人が道で鬼と出会ったとき、髪を解いてがんばってこれを過ぎれば、なんとかなる」と。前に引用したように、『録異伝』は、秦文公が髪をばらけた者に頼って神樹を伐採し、髪をばさばさにした士や兵に青牛を脅させて逃亡させた神話を収録している。「夢篇」に記載される「釈髪」と同様、駆夢術の一種である。

 

(3)

 漢代以降、集団で行う「悪夢贈与」は少なくなり、駆夢と駆疫の間の関係は次第にわかりづらくなった。悪夢は鬼魅邪祟が引き起こした病気の状態とみなされた。各種の駆夢法はおもに夢見る者の精神を正常に戻すことだった。駆夢において、のちに僧侶と道士は力を入れるようになった。というのも彼ら自身悪夢に悩まされることが多かったからである。自我の保護を強めるために、順調に修練過程を終えるよう修行者は駆夢の符呪を創造する必要があった。

 

 『酉陽雑俎』「怪術」に「主夜神呪」が記されている。呪文はごく簡単なもので「婆珊婆演底(ばさんばえんてい)」の五文字である。呪の効果は甚大で、つねに誦すれば功徳が積まれ、善報を獲得することができたという。眠っても悪夢を見ないし、夜歩いていても恐怖を覚えることはない。

 洪邁『夷堅志・補』巻十四「主夜神呪」の章はこの呪の解釈である。洪邁は言う、「段成式『酉陽雑俎』を読むと主夜神呪が載っている。すなわち婆珊婆演底(ばさんばえんてい)と。夜歩くとき、眠るとき、これを持すれば恐怖を感じることも、悪夢を見ることもなかった。しかし理由がわからなかった。

 のちに『華厳経』を読んではじめてわかった。洪邁は経典から引用する。「婆珊婆演底(ばさんばえんてい)」の五文字は主夜神の名前である[婆傘多婆演底など表記はたくさん。サンスクリット語でVāsanta-va-yanti]。

古書には僧侶が他人のために悪夢を祓除する描写がある。五代王仁裕が選んだ『開元天宝遺事』の「夢虎之妖」の章に言う、汾陽県令周象は忽然として見た夢の中で、幼い虎に接近していた。夢から醒めると、大病を得た。通りすがりの和尚海寧に法術を実施してもらった。すると周象の寝台の下から、虎の吼え声が漏れて聞こえてきた。水噴などの方法で悪夢の残りを追い払った。

 

(4)

 古代の道士はさまざまな駆夢法を考え出すだけでなく、悪夢の原因も系統的な解釈をしようとした。『雲笈七籖(うんきゅうしちせん)』巻四十五に引く『太丹隠書』に言う、「もしいくつか悪夢を見たなら、(その原因は)一にいわく魄妖(祆)[古代人は夢を魂魄の活動とみなした]、二にいわく、心試、三にいわく、尸賊である」。

 悪夢を除く方法は、夢から醒めたら左手で人中(鼻と上唇の間のくぼみ)を二七(十四)回ひねり、二七度叩歯し、そののち小声で呪文を唱える。

 

大洞真玄長練三魂、第一魂速守七魄、第二魂速守泥丸(脳)、第三魂受心節度、速啓太素三元君、向遇不祥之夢、是七魄遊尸来協邪源。(大洞真経においては、修練によって三魂の力を増強する。それらはさらに体と霊魂を守護する。第一魂は七魄を守護する責務がある。七魄は精神のパワーである。この第一魂の守護によって悪夢と邪霊の侵入を防ぐ。第二魂は頭部の泥丸宮を守護する。泥丸宮は精神の中枢の象徴である。第二宮の守護によって人間の精神と思惟を外患から守る。第三魂は心臓の調節とコントロールの責任を負う。第三魂の調節によって心臓が健康で穏やかである。これによって体のバランスを保つことができる。太素三元君をすみやかに召集せよ。不吉な夢境に到達したなら、それは七魄が遊尸(キョンシーの一種)や邪霊にたぶらかせられているということである)

急召桃康護命、上告帝君、五老、九真、各守体門。(命を守るために桃康を急ぎ召喚せよ。桃康は駆邪辟凶の神霊、あるいは呪符のこと。帝君、五行の神、九位天神、体の各門神にに上告したい)

黄闕神師、紫戸将軍、把鉞握鈴、消滅悪精、返凶成吉、生死無縁。(黄財神、紫微大帝よ、武器を持て。悪い精を滅せよ。凶を駆逐し、吉を成せ。生死の輪廻から脱せよ)

 

 呪文を唱え終えてふたたび眠ることができれば、よい兆しを得たといえるだろう。これを三年修練すれば、ふたたび悪夢を見ることはないだろう。

 

 『雲笈七籖』巻四十六に「厭悪夢神呪」「太帝制魂伐尸神呪」「太帝辟夢神呪」が収録されている。呪文はそれぞれ異なるがきわめてシンプルで、手法はほぼ同じである。さしあたって二つの呪法を例として挙げよう。

 「厭悪夢呪」に言う、悪夢を見るたびに、北に向かい、太上大道君に稟告(ひんこく)する。細かく説くこと四五遍以下、すなわち悪夢は消滅する。また引用した「青童君口訣」に言う、夜、悪夢を見る。目を覚まし、枕を返し、呪文を唱える。

 

太霊玉女、侍真衛魂。(大霊玉女を召喚する。霊魂を守護したまえ)

六宮金童、来守生門。(六宮金童よ、来て生命の門を守り給え)

化悪返善、上書三元。(修行によって心を変化させ、浄化する。上元、中元、下元の天神に向って福を祈り、庇護を求める

使我長生、乗景駕雲。(長生不老を希求し、雲に乗ってこの俗世の境界を超えよう)


                            

 

 呪文を唱え終わると、唾を七度飲み込み、叩歯七度、これを四五遍繰り返す。すなわち悪夢を返し、さらに吉祥が得られる。

 

 「太帝制魂伐尸神呪」に言う、毎月の最初の日、そして最後の日、あるいは甲寅、庚寅、庚申の日、体内の「七魄遊尸」[遊尸は僵尸(キョンシー)の一種]と諸種の「血尸之鬼」は走って天上に至り、人は罪を犯したと説く。下界にやってきたあと、あるいは独自に深く人体に入って害をなす。あるいはほかの村にぶらぶらと出かける。そして外部の鬼を招集し、いっしょに暴虐にふるまい、人に悪夢を見させ、神経を不安定にさせる。

 「人は悪夢のために疾病にかかる。七魄遊尸のせいである」。

 これにより七魄遊尸猖獗の日がやってくるたび、沐浴して着替え、香を焚いて沈思黙考し、雑務に煩わされないようにする。当日の黄昏、あるいは夜半、臥せて寝る。頭は東方に向き、手を胸の上で組み、まず叩歯三七回、そのあとかすかな声で呪文を唱える。

 

七霊八神、八願四陳、上告霊命、中皇双真。(修練を助けてくれる七つの霊と八つの神よ。八神は天、地、人、山、水、火、風、雷を代表する神。八つの祈願、あるいは目標。それを実現するための四つの方法。上天に向かって希求する。神霊の命令を聞こう。中黄、すなわち中黄太一、つまり黄帝よ。ふたりの真人よ)、

録魂煉魄、塞滅邪精、血鬼遊尸、穢滞長泯、利我生関、閉我死門。(魂魄を修練し、邪悪な精、血鬼遊尸を滅ぼす。汚くて、長く停滞する。生命の関で我を利用し、死の門で我を閉ざす)

若有真命、聴対帝前、使我長生、劫齢長存。(真の命令があるなら、上帝の前でそれを聞こう。それは我に長命を与えるだろう。劫(ごう)の寿命が得られるだろう)

太帝之法、敢告三元。(太上の法がある。三元に祈ろう)


 呪文を唱え終わると、叩歯三七回、唾液を十回飲み、呪法は完結する。作者によると、つねにこの呪文を唱えると、「悪を避け、病を除き、人に神が不死であることを知らしめる」。そして「一生魘昧(えんまい)の被害を蒙ることはない」。[魘昧とは、法術を使って人に禍を与えること。ブラックマジック]

 

(5)

 こうした助けを求める各神霊の煩瑣な呪文はさまざまなものがある。道家にはまた「婆珊婆演底(ばさんばえんてい)」のような簡単な呪法がある。[訳注:これは密教のマントラである]

 孫思邈は言う。もちろんいい夢か、悪い夢か、人にあれこれと述べる必要はない。ただ朝早く起きて口に浄水を含み、東方に向かって噴射し、「悪夢着草木、好夢成宝玉!」(悪夢には草木が生えよ、好夢は宝玉となれ)と唱えればいい。そうすれば災咎(災いや咎)が免除される。

 

 道士は常々符籙を用いて悪夢を圧伏する。三国時代術士の管輅[20956]に選者の名を托した『夢書』に言う。「昔黄帝は悪夢を圧するために十二符を画いた。日の出の太陽のような誠意で篆書を書き、東に向いて口に含んだ水を(ふ)き、符を手に取って呪文を唱えた。

 

赫赫陽陽、日出東方、断絶悪夢、辟除不祥、急急如律令!(赤々と輝く太陽よ。東方から昇り、それは悪夢を絶つ。不吉なものを取り除く。急いで律令のごとく厳しくあれ)

 

 これを七度唱え、符籙を佩帯する、あるいは貼ることを求める。すなわちこれで凶を除き、吉を呼び込む。

 

 禳夢(じょうむ)法は符呪と呼鬼名法のミックスである。敦煌文書『新集周公解夢書』第二十三章「圧攘悪夢」にその方法が記されている。

 

「およそ人は夜悪夢を見るもの。早く起きて人にこの(悪夢の)ことを話してはならない。その心を敬虔で清らかにして、黒書[朱墨でなく黒墨を用いるということ]の符を臥床(寝台)の下に置く。人に知られてはいけない。そして呪文を唱える。

 

赤(赫)赤陽陽、日出東方、此符断夢、辟除不祥、読之三遍、百鬼潜蔵、急急如律令!(赤々と輝く太陽よ。それは東方から昇り、この符によって(悪)夢を絶つ。不吉なものを取り除け。これを三遍読めば、百鬼は姿を隠す。急いで律令のごとく厳しくあれ)

夫悪夢姓雲名行鬼、悪想姓賈名自直?(悪夢の姓は雲、名は行鬼。悪想の姓は賈、名は自直か)

吾知汝名、識汝字、遠吾千里、急急如律令勅(ちょく)![または姓子字世瓠、吾知汝名、識汝字!]

 

 「赤赤陽陽」から「急急如律令」まで一つの独立した呪文である。既述の『夢書』の駆夢呪と比べると、両者が十分に近いことがわかる。呪文の後半部は、伝統的な駆夢呪に追加した呪文である。これは呼鬼名法と呼ばれる。大意はこうである。

 

我はあなたの名と字(あざな)を知っている。あなたは雲行鬼といい、または子世瓠という。かりにも「賈自直」といった名を用いて欺いてはいけない。

 「悪想」というのは平叙文に用いられる語句で、「悪夢」と同義である。

 

(6)

 呼鬼名の駆夢法は古代民間において比較的普及していた。伝説によれば、夢神の名は「趾離」(しり)だった。眠る前、その名を呼べば、「夢は澄み、縁起がよかった」。

 別の伝説では、夢鬼は「奇伯」という名でその名を呼べば悪夢を見ることはなかった。すでに述べたように、秦漢の時代、悪夢を食べる神は□[偏に今]□[立偏に奇]、宛奇、伯奇などと呼ばれた。「夢の鬼の名は奇伯」などと言われたが、それが変化したものだろう。

 

 古代民間にはさまざまな辟夢法術が流伝していた。たとえば眠りに落ちる前、「元州牂管娶竺米題」を唱えれば、吉祥がもたらされる。また虎の頭の骨を使って枕を作れば「辟悪夢魘」とするなど。これらのほとんどが僧道巫医(仏教、道教、シャーマニズム)から来ている。

 魘死者(夢魔による死者)を救うのは、悪夢を駆逐する特殊なケースである。晋代から唐代にかけて、青牛や馬を魘死者にくっつけるのは、もっとも流行した救魘法だった。その詳細に関しては「青牛髯奴」の章を参照してほしい。

 道士が好んだ治魘魅猝(突然死)法でも符籙が使われた。葛洪『肘後方』巻一にも治魘魅猝(突然死)法が記されている。(図1)

葛洪が言うには、魘死者が出るたびに、急いで紙に文字を書いて符とする。この符を燻して黒くし、少しばかりの水とよく合わせ、それを死者の口に注ぎ込む。鏡を手に持ち、死者の耳元に置いてそれを叩く。叩きながら死者の名を呼ぶ。すると「半日もしないうちに生き返る」。

 葛洪が記録した符は少し変化して後世の医書(『医心方』に引用された『范汪方』)に現れた。この書はつぎのように説明する。「治魘死と書いた」この符は焼いて黒くする。少量の水を混ぜ、それを死人の口に置く。鏡を死人の耳元に掲げ、鏡を打って死人を呼ぶ。半日もたたないうちに生き返る」。この手順と葛洪の方術はまったく同一といえる。おの二つの符(図2)葛洪の符が発展したものである。