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衅礼を施す場合の対象は人々がとくに重視する、あるいは特殊用途に使う建築物や器物だった。衅礼の対象となるのは以下の通り。
<衅宗廟(きんそうびょう)>
『礼記』「雑記下」『大戴礼記』「諸侯衅廟」に対衅廟儀式が詳細に記録されている。周人は普通の家が完成したあと、飲食の宴を中心とした「考」という儀式をおこなう。
宗廟の落成儀式は考礼ではなく、衅礼である。衅廟では当日、国君が黒い礼服に身を包み、居室の入り口の前に立ち、衅廟礼に参加する祝官(祭祀祝祷担当の官員)、宗人、宰夫、雍人など官員も礼服を着てそばに侍した。
宗族事務を担当する宗人は命令を出すよう請願した。「衅礼を挙行するよう命令をお出しください」、国君は答えた。「よかろう。やりたまえ」。このあと平時に国君の食事を担当する雍人が羊牲(ひつじのいけにえ)や鶏牲(にわとりのいけにえ)を擦拭し(殺すこと)、宗人や祝官が一通りの祝辞を念じる。いっさいの準備が完了すると、官員たちは羊や鶏を持って宗廟に入る。宗廟の庭の中央には「碑」があり、犠牲の家畜(羊、鶏)はそれに結び付けられる。儀礼の責任者である宰夫は碑の南に立ち衅礼の進行を監督する。その他の官員たちは北を向いて一列に並んで立つ。雍人は両手で羊を持ち上げ、宗廟の正面から登って屋根の上に上がる。屋上の中央で南方を向いて羊を刺す。羊の血が堂の前に滴り落ちるのを待って、雍人は下に降りる[訳者注:私自身が雲南省のイ族の村で見た生贄の羊を殺す場面では、祭司が羊の喉を刃物で切り、そこから流れる血を器に受け止めた。羊はしばらくの間、鳴き続けた]。
ついですぐに「衅門戸」「衅挟室」儀式をおこなう。この儀礼でも鶏の血を用いる。雍人は分かれて廟門の中間と挟室中央で鶏を割き[おそらく首を切って]鶏血が地面に流れるままにする[鶏を殺す場合、首をひねって殺すか、刃物で首をスパッと切るかの二つのやりかたがある。私は食堂の裏で首なしの鶏が走り回っているのを目撃したことがある]。塗衅が終わると、結果を国君に報告し、衅廟儀式は結束する。
『礼記』「雑記下」によると、屋内で鶏を割くことを衈(じ)と呼ぶ。鄭玄は「衈、衅(きん)でもって動物を割くことをいう。まず耳のそばの毛をなくす(剃る)」と述べている。この説は信じるほどではない。
動物の血を集めるには、耳を刺して取るのが簡単である。血をすすって盟約を誓うときに用いる血は、牛の耳から取ったものだ。「衈」ははじめ、耳を刺して取った血のことを指していた。のちに衅の字と同様に、塗血法術の通称となった。礼書が言う衈は、実際衅であることが多かった。耳のそばの毛を剃るのは、神霊とは無関係だった。