古代中国呪術大全 

第2章 11 分娩のタブーと産気づけ呪術 

(1)

 難産およびそれと関連した病は、古代の女性にとってもっとも死亡率の高い疾病だった。『医心方』巻23に引く「小品方」に言う、「いにしえの婦人が子供を産むとき、草の上に坐すると、あたかも死ぬかのごとく見える。ようやく出産すると、難を免れることができたといわれる」。古代中国の分娩タブーや産気づけ巫術はとくに発達してきた。この背景には何があるのだろうか。

 難産とその他の分娩時の病気に焦点を絞った巫術の目的には、予防と救急の二種類がある。そのうち血の穢れのタブーと関連した廬(いおり)での立式分娩法と妊婦借地法、反支(分娩の時間、時期の)禁忌および関連した呪術、坐式分娩および坐姿の規定、禁坐草法、禁水法などはどれも予防の巫術(呪術)である。

(2)

 分娩をケガレとみなす観念は古くからあった。秦代以前、貴族の女性は分娩前にかならず側室に移された。漢代、江南では「婦人の乳をはばかり、不吉であるとした」という悪習があり、出産に臨む女性は家庭から遠く離され、簡素な茅で作られた小屋や人跡まれな地域の家で分娩することが強いられた。満月のあとようやく家の門をくぐることができた。こうした悪習は、産婦の血のケガレの禁忌から生まれたものである。

 産婦のために臨時で建てる産屋(うぶや)を古くは「産廬(さんろ)」といった。産廬を建てるには、いろいろと細かいことを考えなければならなかった。

「正月、六月、七月、十一月に廬(いおり)を作る、一戸、皆東南向き、吉なり。二月、三月、四月、五月、八月、九月、(十月)、十二月に廬を作る、一戸、皆西南向き、吉なり。およそ産廬を作るに、棗棘子(酸棗)、精錬していない戟や棍棒はなし、また穀物で生活するな、大樹の下もまた大凶なり。また竈祭に近づくな、これも大凶なり」。

 「乳飲み子は部屋から出てはいけない」という習わしのある地区には、同様に数多くのタブーがある。産婦の血のケガレが神霊を冒涜し、神霊が産婦やその家族に禍をもたらさないように、術士は「産婦借地」の方法を考え出した。この方法とは、分娩用に土地を神霊から借りて、諸神にケガレの地域を避けてもらい、そうでなければ自らの責任でケガレを受けいれてもらうというものである。こうして産婦や家族に罪が着せられないように、害が及ばないようにしたのである。

 古医書『子母秘録』に記される「借地文」は以下のとおり。

「東に借りる十歩、西に借りる十歩、南に借りる十歩、北に借りる十歩、上に借りる十歩、下に借りる十歩、壁方の中、三十余歩。産婦借地、汚濊を恐れる。あるいは東海神王あり、あるいは西海神王あり、あるいは南海神王あり、あるいは北海神王あり、あるいは日遊将軍あり、白虎夫人、横に行くこと十丈。軒轅揺れを招く、高さ十丈ほど挙げる。天狗の地軸、地に入ること十丈。急急如律令!」

 分娩前の一か月、毎日一本書写し、三遍念じたあと、家の北塀の真ん中の位置にそれを貼る。

 

(3)反支禁忌 

 「反支禁忌」とは、分娩時間の禁忌のことである。[反支とは、術数星命学の概念。たとえば特定の日が不吉利とされた場合、その日は反支日と呼ばれる]

たとえば「年立反支」の場合、子年七月は産忌、丑年八月は産忌、など。

「年数反支」の場合、産婦14歳は八月が産忌、30歳は十二月が産忌、など。

「生年反支」の場合、子年生まれの産婦は正月が産忌、丑年生まれは十二月が産忌、など。

 「日反支」の場合、初一が子、丑日である月は、六日が反支。初一が寅、卯日である月は、五日が反支である。

 古医書『産経』によると、産婦が産忌を犯した場合、多くは命を喪ってしまう。よってお産の前に細かく産期が反支であるかどうかをチェックする必要がある。もし分娩の日が反支であったなら、産婦は牛皮、あるいは草木灰の上で出産しなければならない。その際、血で汚れたものが地面に触れないようにする。でないと死は免れない。産婦を洗った水は器に入れるよう努める。あたりにまき散らしてはいけない。忌み月が過ぎたとき、そうしたことは必要なくなる。

 

(4)分娩の際の座る向きと姿勢 

 ほかに天気運行状況と諸神方位を根拠とする「避凶趨吉法」がある。これによって産婦が分娩するときの座る向きと座る姿が規定される。[道教の天地人の三気の一つ。また運気学説によれば、風寒暑湿燥火六気が天を司り、司天の気を三の気となす。南方に位置し、天気と称す。単純に天に充満する気という解釈もある]

 『産経』に言う、「婦人は乳を産む。まず十二月神図を詳しく見よう。天気が順当であれば、日虚月空に向かう」。術士の間では早くから「按月画分馰択吉図」、「長沙子弾庫楚帛画十二月神図」、馬王堆漢墓帛書『胎産書』中の「禹蔵図」、これらは等しく吉の月を選ぶのに用いられる図である。

 『産経』のいわゆる「十二月神図」は分娩のために吉の月を選ぶ図である。「日虚月空」は専門用語だが、何を指すかは不明。

『産経』はまた言う、「正月、九月、十一月は天気南行で、産婦が南を向き、左膝を丙地、あるいは丁地に着けて座れば大吉である。

 二月、四月、十二月は天気西行で、産婦が西を向き、右膝を辛地、あるいは庚地に着けて座れば大吉である。

 三月、五月、七月は天気北行で、産婦が北を向き、右膝を癸地、あるいは壬地に就けて座れば大吉である。

 六月、八月、十月は天気東行で、産婦が東を向き、左膝を甲地に就いて座れば大吉である。

 古代の五行の配置を見ると、甲乙は東に属し、丙丁は南に属し、戊己は中をなし、庚申は西に属し、壬癸は北に属す。『産経』の言う某地に座れば大吉というのは、家の中のふさわしい方位に対して座れば災禍を避けることができるという意味である。

 

(5)禁坐草法と禁水法 

 禁坐草法と禁水法はどちらも民間でよく用いられる呪法である。禁坐草とは産婦のために草を敷き、むしろを敷くとき、呪文を唱えて邪を駆逐する。呪文にはつぎのようなものがある。


鉄陽鉄陽、非公当是王。

一言得之銅、二言得之鉄、母子相共、左王后西王母、前朱雀後玄武、仙人玉女来此護我、諸悪魅魎莫近来触。急急如律令!


 草を敷くときこの呪文を三遍唱える。禁水とは産婦のために水を貯めるとき呪文を唱えて邪を駆逐することである。

 『子母秘録』には釈道(仏教と道教)が雑多に入った禁水の呪文が記されている。


南無三宝水! ……以浄持濁以正邪、日遊月殺、五十一将軍、青竜白虎朱雀玄武、招揺天狗、軒轅女妖、天呑地呑、懸尸閉肚六甲、六甲禁諱十二神王、土府伏竜、各安所在、不得動静、不得妄干。

若有動静、若有妄干、頭破作七分、身完不具。

阿法尼阿法尼、毘羅莫多梨婆地利沙呵。

 

(6)緊急の産気づけ巫術(上)

 以上の予防の禁忌、法術のほか、古代の民間には大量の救急性の促産巫術(お産を促す巫術)が流布していた。その内容は難産、逆子、死産の対処や胞衣を出すことなど、多方面にわたっていた。この種の巫術は多くが同類の事物の相互感応原理であったり、辟邪霊物(魔除け)の超自然的な力を利用して辟除災邪することであったりした。よく見られる促産(お産を促す)や易産(安産)の巫術にはつぎのようなものがある。


<門や窓を開く>

 『産経』に言う、「難産のとき、 門や窓を開けるほか、甕、瓶、釜などすべての蓋を開けると、おおいに効果がある」。つまり蓋を開けて通気をよくし、産婦の感応を誘引し、産道の通りをよくする。


<井戸や竈(かまど)を覆う>

 お産のとき、いつも着ている衣服で竈の上部や口をしっかり蓋をする。すると易産(お産がスムーズになる)の効果がある。夫の衣服で井戸の口を覆えば、胎児をすぐに取り出すことができる。これらは『医心方』で「神験」「神良」として称賛されている。井戸や竈(かまど)を覆うのと、門や窓を開くのは、巫医からすれば矛盾している。開くかふさぐかは、それぞれに解釈がある。井戸や竈をふさぐのは、血の汚れを防止し、井戸・竈の二神を穢気が犯さないようにするためである。


<滑疾のものを用いる>[滑疾は、なめらかで疾(はや)いこと]

 産婦は手に鼯(モモンガ)の毛皮を持つ。

暗がりの中で産婦の衣の中に馬の鬣(たてがみ)をつなげる。

産婦は飛鳥の羽根か「飛生虫」を身につける。

 弩弓の弦(いと)を産婦の衣の中にぶらさげる。これらはどれも易産(安産)の効果が確認できる。これらの法術は迅速に産婦が感応して心地よく分娩できることを願うものである。ほかの易産法術は、なめらかなもの(滑利)を佩帯することを強調する。 たとえばカワウソの皮、腰にまとう蛇の抜け殻などである。こうした滑利な(なめらかな)ものは産婦にもなめらかな出産を与えると考えられた。


<夫のものを用いる>

 上述の「夫の衣服で井戸の口を覆う」のほか、「夫の褲(ズボン)の帯を取り、焼いて粉末にし、酒と一緒に飲む」というのもある。

 「大豆を割り、夫の名を大豆に書き入れ、それを呑み込む」。

 「夫に口に水を含ませ、産婦の口に二七遍(14回)移させる」。医書によると、逆子の足裏が見えてくると、夫の名を書いたことによって、胎児は順当に生まれてくるという。

 「夫の陰毛を二七本(14本)取り、焼いて、豚の膏(ラード)と大豆のような丸薬と一緒に飲み込む。胎児の手に丸薬が握られ、神の効き目がある」。

 夫の十本の指の爪を切り、よく焼いて粉末にして服用させる。

 また医方によると、夫の小便一升を飲ませる。あるいは「夫の屎尿二升を取り、よく煮てこれを飲ませる」。これにより死産の子を下ろす。


<ウサギの脳を用いる>

 蝋月、ウサギの脳を紙の上にむらなく押し伸ばして、陰干ししたあと、その紙を切って符を作り、「生」という文字を書き入れる。陣痛のとき、産婦の髪に挿している釵(かんざし)でこの符をはさみ、灯火で焼いて灰を作る。丁香酒[黃酒を主成分とする薬酒]といっしょにこれを呑む。

 これと似た方法として、ウサギの脳などから「催生丹」(分娩促進薬)を作る方法がある。蠟月、二つのウサギの脳を紙の上で押し伸ばし、陰干しし、蝋祭(十二月八日)の前日に(明月のように)明るい乳香とウサギの乾燥脳を混ぜて研磨し、粉末にする。

当日の夜、外に卓を出し、果物や香茶などの捧げものを並べる。香を焚き、北帝に向かって祝寿を述べる。


大道弟子某、修合世上難産婦人薬、願威霊佑助此薬、速令生産。(道理ある弟子某、世のために難産の婦人のための薬を作らんとするに、すみやかに子が生まれるよう、威霊の助けを願います) 


祝寿を述べ終わると、祈祷文とウサギの脳の粉末を卓の上に並べ、一晩置く。

 翌日(隴祭の日)の日の出前、豚肉(脂?)とウサギの脳の粉末などを合わせて丸薬を作る。それを紙袋の中に入れ、風通しのいいところに掛けておく。

 難産のとき、酢湯(スープ)といっしょに丸薬を呑む。効果がないときは、今度は冷酒とともに服用する。そうすると胎児をうまく出すことができる。薬を調合した者は「この神仙の処方、きわめて効果がある」と宣する。

 ウサギの脳の服用法は、滑疾(なめらかで速い)のものの使用法と原理上相通じるものがある。つまりウサギの脳の滑性や脱兎の迅速性を利用しているのである。

(7)緊急の産気づけ巫術(中)

<鬼の名を呼ぶ>

 難産をもたらす悪鬼には二種類あるという。一つは「語忘」、もう一つは「敬遺」と呼ばれる。お産の際にこの二つの名を呼べば、順調に分娩されるという。両者の名を書いた紙を持てば、鬼たちを追い払うことができる。

 またある人は言う、「語忘敬遺の四文字を朱書きした黃紙を産婦の寝台の対面に貼り、人々に四文字を念じさせつづければ、すぐに生まれる」。


<太守の姓名を飲む>

 宋代の民間に流行した法術。「難産のとき、ひそかに浄められた紙に州太守の名を書き、それを灯火で燃やして灰とし、調湯(スープ作り)をしていっしょに服用する。するとすぐ出産する」。太守の権威を利用して分娩を阻害する邪祟を鎮圧する。貴人の権威を借りる治瘧法術と原理はおなじである。


<土を服用する法術>

 『医心方』巻二十三に引用する古医書に言う、竈(かまど)の中の黄土を取り、三つまみほど酒で溶いて服用する。胎児はすぐに生まれるだろう。

 竈の土を胎児の頭に塗れば、お産を助けることになるだろう。

 同様の方法を用いて死産の胎児を下ろすことができる。竈の中の土を産婦のへそに置けば、胞衣が出るのを促進できる。井戸の底の土から桐の種子ほどの大きさの丸薬を作り、服用すれば、同様の効果が得られる。車輪の上に附着した塵土を三つまみほど服用すれば、逆子に効く。竈の中の黄土や井戸の底の土でお産を促進するのは、竈神や井神の力を借りるということである。

 車輪の土を逆子の治療に使うのは、胎児が感応すると考えるからである。すなわち車輪の旋回に感応し、もとの状態に戻ると考えられたのである。


<墨を服用する法術>

 『医心方』巻二十三に引用する『博済安衆方』に言う、竈中の黄土に加え、竈突墨、つまり炉竈の煙道(通気口)の墨と灰は、難産の治療に有効だという。この方はもともと竈神の力を借りて出産を促す法術だったが、後世の人は誤解して墨が難産治療に効くものと勘違いした。同書の巻二十三に引用する『僧深方』に言う、好墨二寸を用いて研磨し、粉末にし、それを服用する。すると死産の胎児を下ろすことができる。この種の法術と竈神はまったく無関係である。

 宋人銭易『南部新書』巻庚に言及する。雷州の西に雷公廟がある。当地の人々は雷公を崇拝していた。毎回雷がやってきたあと、野外で黒石が拾われた。人はそれを雷公墨と呼んだ。この墨の光沢は漆のようで、叩くとキンとした音が帰ってきた。子供は驚邪を避けるためそれを佩帯した。研磨して粉末にしたあと、お産を促す薬とした。雷公墨による難産治療は雷公崇拝と関係があり、服墨催生法術のバリエーションである。


<豆を呑む法術>

 古医書に言う、一粒の大豆の左上に「日」字、右上に「月」字を書き、それを呑めば、難産が治る。医方(疾病の処方)によってはさらに神妙な効果がある。

 牛の糞尿の中から一粒の大豆を取り出し、片面に「父入」と書き入れ、もう片面に「子出」と書き入れ、それを呑む。牛糞や大豆は伝統的な辟邪霊物(魔除け)である。「父入」という言葉を書き入れ、未来の父親の権威を借りて胎児の出産を促す。

 赤小豆もまた常用される催生(促産)霊物である。たとえば「赤小豆を二粒取ってこれを呑む」と、胎児はこの豆を手に持って誕生するという。

 男の子を産むには小豆七粒、女の子を産むには小豆十四粒を呑む。胞衣が出ないときも、これでよくなる。

 『堅瓠余集』巻四に引用する『嚨語(ろうご)』に言う、「ひとりの奇僧が難産の処方を伝えた。杏仁(アプリコットの種)ひとつを用意し、皮を取り、片面に日字を書き、もう片面に月字を書く。煮だした蜜で固めて丸薬とする。沸かした水か酒といっしょにこれを呑むと、効果がある」。この法術はあきらかに大豆を呑む法術のバリエーションである。

 

(8)緊急の産気づけ巫術(下)

 上述のように、夫の姓名、日月、父入子出などの文字を大豆や杏仁に書き入れる。これはいわば特殊な文字符である。

伝説によれば宋人は五月五日の午時(正午頃)の雨水と朱砂を調合して、古銭ほどの大きさの紙片に(朱書きで)竜の字を書いた。また翌年五月五日の午時の雨水で墨をとき、古銭ほどの大きさの紙片に(墨の黒の)竜の字を書いた。この2枚の紙片をこねて団子状にする。お産の産婦はそれを乳香湯(スープ)といっしょに飲む。それは「お産を促すこと、神のごとし」と言われる。

胎児は生まれてくるとき、この紙の塊を手に握っているという。男の子はそれを左手に、女の子はそれを右手に握っている。

古代医書によれば、逆子のとき、左足裏に「千」の字が、右足裏に「里」の字が医治方法として書かれる。こういったことは、文字符を使用したとみなされる。


催生(産気づけ)符のなかでも図形符はよく見られる。『医心方』巻二十三に引用する古医書中に治難産符、治逆産符、治胎死腹中符、治胞衣不出符などが記されている。原書中の符の書写には日本語の仮名が混じり、純正とはいえない。

 現時点で挙げられる道教経典には『太上説六甲直符保胎護命妙経』が記録する辟邪符が例となる。この経文は難産治療を専門としていて、その符は右の図のようになっている。経文は言う、「この符には朱書が用いられている。産婦は恩に感じるだろう。一切の邪妖魘蠱(じゃようえんこ)が避けられるのだから」。

 古代の術士は分娩を阻み、出産を破壊しようとする悪鬼を運鬼と呼び、運鬼を呪詛する呪法を創り出した。呑蒜詛呪運鬼法術(ニンニクを呑んで運鬼を呪詛する法術)もその一つである。

 正月一日、東に向かい、夫婦がそれぞれ呪文を一遍念じ、ついで夫がニンニクを一つ呑み、麻子(麻の種)を七粒呑み、東に向かって歩き、呪文を七遍念じる。呪文は以下の通り。


吾躡(じょう)天剛遊九州、聞汝難産故来求、斬殺不祥衆喜投、母子長生相見面、不得久停留! 急急如律令! (われ天に昇り九州に遊ぶも、汝が難産ゆえ助けを求めるのを知る。喜んで凶悪なる者どもを斬り殺そう。母子は長く生きて離れることはない。ここに長く滞在することはできない。律令のごとくしっかりと事を急げ)


 唾運鬼法術(運鬼に唾を吐く法術)というのがある。夫婦が互いに相手の唾液を受け取る。唾を吐きだしたあとつぎの呪文を念じる。


吾受東海王禁、故来追捉汝(運鬼)。


 また禁運鬼法術(運鬼を禁じる法術)というのがある。

 禹歩で三周する。左手に刀を持ち、右手に水(の入った器)を持つ。怒りの目で見て、気が満ちたところで呪文を唱える。


唾を吐け! 東方の青運鬼、字(あざな)青姫、年七十に。南方の赤運鬼、字赤姫、年六十に。西方の白運鬼、字白姫、年四十に。北方の黒運鬼、字墨姫、年四十に。中央の黃運鬼、字黃炬、年三十に。

急いで汝に唾を吐く。ここに留まることはできない。汝がもし去らなければ、我は張丞伯を派遣し、汝を捉え、縛り上げて釜茹でにするだろう。急急如律令!


 さらに多くの運鬼に言及しない呪文がある。なかには直接胎児に命令を下すものがある。たとえば「なぜ出てこない? 早く出よ、早く出よ」「遅れることなく出よ、胞衣を持って」などである。


 仏教徒が用いる催生呪文は、数が限られている。『法苑珠林』巻四十五に引用する『仏説婦人産難陀羅尼呪』が最大の梵文の翻訳である。『医心方』巻二十三に引く『大集陀羅尼経』中の治難産神呪の多くは「天書」である。『子母秘録』に記載される以下の仏呪はどれも難解ではない。ただしどれも意味が隠されている。


若以色見我、以音声求我、是人行邪道、不能見如来。(もし色、すなわち現象で我を見るなら、音声で我を求めるなら、これは人の行いとして邪道であり、如来を見ることができない)


 この書は説明する。お産のとき、墨で四句の呪文を書く。これは四符となる。水に符を入れ、それを服用すると、胎児は四符を持って母体から出てくるという。古医書や道教経典では、つねに胎児は符籙や薬物を持って出てくる。いわば怪談である。(曹雪芹は宝玉が玉をくわえて生まれたと書くが、これの影響だろう)和尚のこの種の奇跡譚も道家の影響を受けているのかもしれない。