古代中国呪術大全 宮本神酒男訳

第2章 
12 その他の疾病の禁呪 

 

(1)

 古代の祝由術が及ぶ範囲は非常に広く、それぞれの疾病に応じた禁呪方法が存在する。文献に記載されている禁病方法は大量にあるように見えるが、古代の祝由の一部分にすぎない。というのも多くの呪法は方士の間に口頭で伝えられるだけなので、記録されることはないのだ。以下に客忤(夜驚症)、邪病、陰㿗(いんたい)、贅疣、瘡腫、破傷その他の伝染病を禁治する方法を列挙する。しかしこれらも文献に記載されるものの一部にすぎない。 

 

<禁客> 

 客忤(かくご)とは、外来の鬼気や邪悪の気によって人が機嫌を悪くしたさまを指す。それによって突然発病することがあり、「卒忤」とも称す。『千金翼方』巻二十九にはいくつかの「禁鬼客忤気」の呪法が載っている。その中の一つはつぎのようものだ。

 まず「呪」を通した水を病人に吹きかける。同時に刀によって象徴的に鬼を斬る動作をおこなう。そして敷布の一方の端で病人の頭部を覆い、二人の人に敷布のもう一方の端を引っ張ってもらい、前面を遮らせる。病人は敷布の下で両手を合わせ、ひざまずき、静かに巫師が呪文を唱えるのを聞く。つぎのような呪文だ。

「神師所唾、厳如雪霜、唾殺百鬼、不避豪強。当従十指自出、前出封侯、後出斬頭、急急如律令!」(巫師が唾を吐く。雪霜のように厳しく。唾で百鬼を殺す。強い者も逃げられない。十本の指から自ら出る。前に出た者は侯爵に封じ、後に出た者は斬首する。急いで律令のごとくおこなえ)

 七遍呪文を唱えて病状が好転しなければ、さらに継続して呪文を唱える。病人の十の指の先から「毛」が出てくるまでつづける。[お産が進むにつれて十本の指が自然に開くという中医学の伝統的な理論がある]

 

 道教経典には客忤、中悪を治す符籙について多くの事が記されている。たとえば『太上洞玄霊宝素霊真符』巻中には客忤を治す四道霊符のことが書かれている。この書はまた言う、患者がすでにショックを起こしていたとしても、「心臓の下がなお暖かければ」、あわただしく、符を書く時間もなければ、紙上に何か好きなことを書いて、紙を丸め、病人に服用させる。この書の説によれば、符の形がどのようなものであるかは重要ではないという。

 

 子供の客忤を禁治する専門の呪法がある。すでに述べた「唾法」の箇所で引用したが、豆鼓(とうち)を丸めて子供の身体にこすりつける方法がこれに属する。古代の医術家は子供が病になり、夜泣きをするのを客忤の範疇に入れている。はもともと小児鬼のことを言う。伝説によれば女性が懐妊したとき、悪神が糸を引いて、おなかの中の胎児にすでに外の世界に出た子供に嫉妬するよう仕向ける。そのときに病気になれば、すなわちそれが病である。

 馬王堆漢墓帛書『五十二病方』に禁治病の記載がある。その中の一つは、禹歩で三周し、東に向く桃枝を半分に折り、門、戸の上に挿す。ほかの方法では呪詛を実施する。子供の夜泣きを治す方術はさらに一般的に見られる。村の大門に泥を塗りこむ。剣を抜いて戸にもたせかける。寝台の脚に鏡をかける。子供のヘソの上に「田」の字を書く[鬼の字の上の部分か]。子供の母親に見つからないように使われていない井戸の草を取って門に掛ける。井戸の入り口 周辺で採った草、あるいは牛矢(牛糞)をひそかに母親の寝床の下に置く。犬の首の下の毛を袋の中に入れる。その袋を子供の両手の上に吊るす。黄昏時に、子供の衣服を部屋の柱の上に吊るす。竈の中の土と四辻の土を混ぜて粉にし、子供に飲ませる、などさまざま。

 

(2)

<禁鬼邪>

 『千金翼方』巻三十に言う、「およそ鬼邪を身につけた人は泣いたりわめいたりする。怒ったり笑ったりする。歌ったり吟じたりする。先に亡くなった人の姓や字(あざな)を称え、人を狂気に至らしめる。この症状を呈する者は鬼邪と呼ばれる」。いにしえよりこの方、巫術は精神医学の領域においても、比較的堅固な地位を築いてきた。というのも巫術(シャーマニズム)活動は、精神疾患に対しても、心理的な暗示WONほのめかすアスコルビン酸とができ、症状を抑えることができるのである。禁治鬼邪には「伏鬼遣送法術」「炬火禁邪法術」「呪水噴病人法術」などどの法術も、それぞれ異なる呪文を使用している。

 伏鬼遣送法は、患者が発病したとき、四人の人が患者の両手の鬼門(掌の中心)と鬼市(親指の付け根)を捏圧する(捏ねて圧す)。そしてまた二人の人が棕櫚の実で患者の左右の肩の肩井の穴位を刺すように打ち、邪鬼を征圧したらやめる。

 「捏ねる」「刺す」という動作を緩慢にやってはいけない。かといって大急ぎでやってもいけない。緩慢では鬼を制することはできないし、大急ぎでは疲労しやすく力が削がれる。捏ねて、刺すと同時に、巫師は呪文(不祥)を唱える。

 六人の鬼を制する者たちが制圧したことで、病人が精根尽き、ぐったりするのを待って、ようやく瘋癲(ふうてん)の、すなわち常軌を逸した挙措が収斂する。そして邪鬼が制圧されたと表明する。

 このとき巫師は人ひとりを派遣して邪鬼(実質病人のこと)を捉え、審問を開始する。この鬼の姓は何か、家はどこにあるのか、年はいくつか、ともに住むのは何人か、何のために来たのか、など。病人の回答は邪鬼に対する供述とみなされる。巫師はその供述のことばを記録しなければならない。

 もし邪鬼がひれ伏して叩頭し、離れたがるようなら、巫師は鬼に必要なものを問う。もしごはんとおかずが欲しいのなら、好きなごはんとおかずを選ばせる。もし金銀馬車が必要なら、金銀馬車を画く。もし遠くから来た鬼なら、象徴的な通行証を与える。

これで準備万端整った。当日、あるいは数日後、邪鬼は送られる。長さが七寸で、幅が指三つ分の桃板を用意する。長さが七寸のひもを垂らす。そして紅色を用いて桃板に送鬼の呪文を書く。まず年号、日時を書き、ついで邪鬼の郷里、姓名、年齢、従僕の数を書き、最後に正文(本文)を書く。

 

告五道大神、河伯将軍、上件鬼某甲等、在我家中作如此罪可、捉獲正身、所索之物、并已具給、発遣速出去、不得久停、不得久住。急急如律令!(五道大神[主に五道廟で祀られる神霊]、河伯将軍[黄河の水神]に告ぐ。くだんの鬼某甲は我が家において罪を犯したので、その身を捉え、縄で引き立てよ。準備が整えばすぐに出発せよ。長くとどまることはできない。急いで律令のごとくおこなえ)

 

 炬火禁邪法は、火炬(たいまつ)と呪文の組み合わせで駆鬼治病をする法術である。法術をおこなう前、門前で火炬に火をつけると、病人を家の外で待たせる。巫師は手に火炬を持ったまま、禹歩をおこなう。病人に門前の火炬をまたがせ、家に入らせ、寝床に横になってもらう。そのあと人を門前にやって、火炬を正門から送り出す。百歩以上離れた道路で(火炬を)棄てる。戻ってくるときはいっさい振り返らない。

 巫師は浄水を盆に取り、門の敷居に置く。水盆の上に大刀を横に置く。もし水盆を用いないなら、病人は部屋の中で昼夜長明灯をともしつづける。病状がよくなるのを待って、巫師は炬火で病人を燻しながら、呪文を唱える。

 

粉良! 天火赫赫、天火奕奕、千邪万悪、見火者避。急急如律令! (粉良![不祥。もとは梵語のマントラか]天火は赤々として、天火はきらめいて、千万の[無数の]邪悪な者たちも、火を見れば逃げていく。急いで律令のごとくおこなえ)

 

 火炬(たいまつ)を用いて邪崇を駆除するのは伝統的な巫術の手法である。火炬で鬼邪を治す源はここにある。門の外で火炬を捨てるのは後漢の大儺礼中、炬を洛水に捨てる儀法はとくによく似ている。

 

 呪水噴病人法とは、呪水を用いて邪鬼を駆逐する法術である。浄水を器に入れるとき、巫師は水に対して呪文を三度唱える。目を閉じて気を吸い、鬼神が怒って邪魅を攻撃するさまを想像する。そして呪をかけた水を患者に向けて噴出する。

 ほかに噴水呪法という法術がある。これは「鬼邪」を治すだけでなく、百病をみな治すことができるという。呪文はつぎのとおり。

 

太一之水祖(神?)且良、挙水向口続神光。(太一[太一は北極星のこと。天の中心。天帝とみなされた]から生まれた水の祖神は口から入り、神光がつづいた)

大腸通膀胱、蕩滌五臓入胞嚢。(それは大腸や膀胱を通り、五臓を洗浄し、胞嚢に入った)

脾腎太倉、耳目皆明、百病除、邪精消亡。(脾臓や腎臓、胃を洗浄し、耳目は明らかになり、百病が取り除かれた。邪鬼は消失した)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

 符呪(符籙と呪文)の使用以外にも、ある一定の植物を焼いてその灰を食べる法術やアシで患者をムチ打つ法術、糞のスープを酒といっしょに飲む法術、明鏡で鬼を照らす法術などについて述べてきたが、どれも精神疾病を治療する広く流行した法術だった。

 

(3)

<禁遁注>

 遁注(とんちゅう)とは、なかなか治らない、伝染性の疾病のことである。「注」は「疰(しゅ)」とも書く[疰は慢性伝染病。疰夏は、夏に感染する熱病]。漢代の術士は符籙や呪文を書いた陶製の瓶や罐(かん)を墓内に入れ、注病を圧迫した。この種の遺物の出土は珍しくない。

 『千金翼方』巻三十には禁遁注の呪文が大量に記録されている。もっともシンプルなものを挙げよう。

 

東方青注、南方赤注、西方白注、北方黒住(注)、中央黃注。(東に青い注病、南に赤い注病、西に白い注病、北に黒い注病、中央に黄色い注病あり) 

五方五注、何不速去?(五方向に五つの注病。速く行かない理由があるだろうか)

雷公霹靂、欲居汝処。(雷公の霹靂。汝のところに居たいと欲す)

吾唾山山崩、唾石石裂、唾火火滅、唾水水(我が山に唾を吐けば、山は崩れる。石に唾を吐けば、石が裂ける。火に唾を吐けば火が滅す。水に唾を吐けば、水が枯れる)

吾唾五毒、遂口消滅。(我が五毒に唾を吐けば、それは駆逐され、消滅する)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ) 

 

<禁㿗(たい)病>

 㿗(たい)とは疝気(せんき)のことで、つまりヘルニア。症状は陰嚢の膨脹である。漢墓帛書『五十二病方』には多くの治㿗(たい)方法が記されている。どれも巫術的な性質を帯びている。すでに述べたもの以外にもつぎのようなものがある。

 

 術士は柏木の杵を手に持ち、禹歩で三周しながら呪文を唱える。

 

賁(ほん)者一襄胡、濆(ほん)者二襄胡、濆(ほん)者三襄胡。[賁者、噴気者などは術士の自称。胡は狐に通じ、襄は攘、禳に通じる。襄胡は狐の祟りを祓い、除くことを意味する] 

 

 そして一族の者が患者を抱きかかえて東の窓の外の道路に連れ出す。これをもって杵で「鬼」を打ったとする。

 

 日の出のとき患者を東に向かせてひさしの下に坐らせる。また人に柏の杵をもたせて西を向いて立たせる。術士は大きな声で言う。

「今日はなんてすばらしい日だ。〇〇の㿗疝(たいせん)も今日はよくなるだろう! 疝鬼よ、おまえの両親は柏の杵によって死んでしまったぞ。父親は搗かれて死んだ。息子はなぜ祟るのをやめないのだろうか!」

呪文を唱え終えると、柏の杵で患者の身体の十四か所を搗く。搗き終わると患者にむかって叫ぶ。「〇〇よ、起きなさい!」。すると疝気はすっかりよくなっている。 

 

 辛卯の日、術士は堂の下に立ち、東方の太陽に向かい、人に患者を起こさせて命じて言う。「今日は辛卯である。あなたの名を禹に変えてさしあげよう」。

 

 㿗疝患者のなかには夜間小便ができないものがいる。この症状は狐鬼のいたすところとみられているので、狐疝と称せられる。『五十二病方』にも狐に関連した禁法が言及されている。たとえば辛巳日に劈牲祭神をおこない、「賁辛巳日」と三度唱える。そののち呪文を唱える。

 

天神已下来干預疾病、神女在倚傾聴天神之語。(天神はすでにここにきて疾病を予言していた。神女は危険な塀で天神のことばを聞く)

某某狐鬼、這里不是久留之地。(〇〇狐鬼よ! ここはおまえがいるべき場所ではない)

趕快停止作祟、否則用斧殺你!(祟りをなすのはただちにやめよ。でなければこの斧でおまえを殺すだろう)

 

 この呪文を唱え終わると布(斧?=原文ママ)を用いて病人を十四回打つ。

 

 『五十二病方』には刖(げつ)の者が義足で病人を突き刺す法術や女子の生理布を浸した水を飲むなどの巫術的な法術が記されている。[刖は両足を切り落とす古代の刑法。現代において義足は偽足と呼ばれる。ここでは仮足と呼ばれているので、もっと簡素なものなのだろう]

 

(4)

<禁疣>

 疣(いぼ)の俗称は子(こうし)である。『五十二病方』にはたくさんの禁疣法が載っている。たとえば疣のある者は穀物などの収穫物を抱いて立つ。別の人がそばで「あなたはなぜこのようなことをしているのか」と聞く。疣のある者はただちに答える。「イボができてしまいましたので」。彼は収穫物を投げ捨て、ここから立ち去る。このとき振り返ってはならない。

 

 ある月の晦日(月末日)、井戸辺に行き、破れた箒(ほうき)で十四回イボを掃いて呪文を唱える。「今日月晦、掃疣于北!」(今日は晦日、北でイボを掃こう)。呪文を唱え終えると、箒を井戸の中に放り込む。

 

 晦日午後、いくつかの鶏卵大の土のかたまりを家の中に放る。疣の生えた男子は七つ、女子は十四個の土塊である。夜間に家にやってくると、禹歩で回りを三周する。南から北へ土塊を並べる。そして呪文「今日月晦、磨疣于北!」(今日は晦日、北でイボをこする)を唱える。土塊でイボをこすったあと、その土塊をもとの場所に放る。そのとき振り返ってはならない。

 

 晦日、寝室の後ろに至り、呪文を唱える。「今日晦、磨疣于寝室之北!」(今日は晦日、寝室の北でイボをこする)。そのあと寝室の壁(部屋の四囲の壁)の上でイボを十四回こする。

 

 某月朔日(一日)、葵の茎を用いてイボを十四回こすり、呪文を唱える。「今日朔、用葵茎磨疣!」(今日は朔日。葵の茎を用いてイボをこする)。また十四本の(さつ)草の根、それが路傍の草の根でもいいが、沼や深淵に投げ込む。

 

 イボをこするのが素手であってもいい。ある月の晦日、部屋の北でイボをこする。男は七回こすり、女は十四回こする。こすりながら、呪文を唱える。「今日月晦、磨疣室北!」(今日は晦日、部屋の北でイボをこする)。一か月外出しなければ、イボは自然に消え失せる。

 

 この類のイボ治療法は後世、よく見られるようになった。『千金方』巻二十三に言う、「毎月十五日の月が正中のとき、すりきれた箒で望月を三十七回掃くと、(治)る。

 『医心方』巻四に引く『如意方』に言う、青い虹(鮮やかな虹)に対し、床を掃く古い箒を手に持ち、呪文を唱える。「某甲患疣子、就青虹乞、青虹没、疣子脱」(イボを患う〇〇よ、鮮やかな虹にイボの治療を願う、虹が消えるとともにイボがなくなっていることを)。

 呪文を唱え終わると、箒は大路口に捨てる。振り返ることなく、戻ってくる[大路口は大きな道路の始まる地点のこと。T字路のことが多い]。これらの法術と漢代の破箒掃疣法は一脈通じるものがある。

 『范汪方』が記す治疣法は以下の通り。晦日の夜、厠所(トイレ)へ行き、すでに取っておいた十四本の草を持ち、一つ一つ眼前で揺らしながら呪文を唱える。「今日月晦、疣驚去!」(今日は晦日、イボよ、驚いて去れ!)。

 翌月一日のあと、故人が用いていた枕や座布団でイボを十四回こする。するとイボはなくなっている。ここにおいて強調しているのは、晦日に法術をおこなうこと、草でイボを十四回こすることである。これは前漢から伝わる古い処方である。

 『如意方』に記されるもう一つの方法は、「雷が鳴るとき、手でイボを擿(と)る。そして雷に放ること二七(十四)回。すなわち借りた雷電の威力でイボを除去できる。

 

(5)

<禁瘡腫>

 『五十二病方』には禁治癰疽(ようそ)、身疕(しんび)の法術が記されている。癰疽とは化膿した悪瘡(毛嚢炎や皮下膿瘍)のことである。疕(ひ)はもともと頭瘡のことを言うが、身疕で身体上の瘡(そうせつ)を指す[瘡とは皮膚毛嚢あるいは皮脂腺が化膿したもの]。この書に言う、癰疽患者は病鬼を威嚇するために高山に面と向かい、呪文を唱える。そして唾法でまた法術をおこなう。

 身疕患者は呪文「浸畜浸畜虫、黃神在竈中、浸畜遠、黃神興」[ここの畜はすべて火偏。犠牲に用いられる家畜、とくに羊、馬のこと](悪虫を水に沈めろ。黃神は竈の中におられる。遠くに沈めろ。黃神が興る)を唱える。竈(かまど)の中の黃神の威力を利用して身疕の悪虫を駆逐する。[この浸畜の意味はわかりづらいが、古代の刑罰である浸豬籠と関係があるだろうか。犯罪者を籠に入れ、縄を結んで、河に突き落とす]

 

 後世になると禁治癰疽疔瘡(ようそていそう)の呪法はとても多かった[疔瘡とは、根が皮膚の奥深くに入った毒瘡のこと]。『千金翼方』巻二十九にはつぎの三つの法が記されている。

a)刀で癰疽を切る一方で、唾を吐き、呪文を唱える。

 

吾朝晨行、女媧相逢、教我唾癰。(我は朝早くに行く。女媧と出会い、癰(よう)につば吐くことを教わる)

従甲至乙、癰疽速去。従乙至丁、癰疽不生。従丁至癸、癰疽皆死。(甲から乙へ、癰疽はすみやかに去れ。乙から丁へ、癰疽は生まれるな。丁から癸へ。癰疽はみな死ぬべし)

青癰、赤癰、白癰、黒癰、黃癰、血癰、肉癰兄弟八人、吾皆知汝姓名、徒忍割汝、汝須急去。(青い癰、赤い癰、白い癰、黒い癰、黃の癰、血の癰、肉の癰ら兄弟八人、吾は汝の姓名をみな知っている。ひたすら汝を切り刻む。汝急いで去るべし)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

b)東の壁の上から土を取り、こねて三つの土丸を作る。井戸の東側に土丸を一つ置き、呪文を三遍唱える[呪文は省略]。嘘気(ゆっくりと息を吐く)を二十一遍おこない、二つの土丸を井戸に投げ込む。

c)棗(なつめ)の木の南側に近づいて、樹幹に碗の水をかける。刃が木に向かうように、碗の上に刀を置く。三本の指で撮鬼を表し、それを刀の刃の上に置き、「胡跪」(右膝を地面につけ、左膝を立てる)の姿勢を取って呪文を唱える。

 

上啓伏奴将軍、伏奴将軍能治疔瘡。(伏奴将軍に上奏する。伏奴将軍なら疔瘡を治療することができる)

今是某年月日、姓字某甲、年若干、患某処生疔瘡、或是浮漚(おう)疔、或是麻子疔、或是雄疔、或雌疔、或是羊角疔、或是蛇眼疔、或是爛疔、或是三十六疔、或是駆失瘡、或是水洗瘡、或是刀鎌瘡、三頭著体于人、不量清浄七寸棗樹下之水、洗之伏蔵。(今日は某年某月某日、姓は某、字は某、若年で、〇〇を患い、疔瘡ができている。浮漚の疔、あるいは麻子の疔、あるいは雄疔、あるいは雌疔、あるいは羊角疔、あるいは蛇眼疔、あるいは膿瘍の疔、あるいは三十六疔、あるいは駆失瘡、あるいは水洗瘡、あるいは刀鎌瘡、人の体にできた三つの疔瘡をナツメの樹の下の清浄な七寸[20数センチ]の深さの水で洗い、隠匿する)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

(6)

 一般的な禁腫呪法となると、さらに種類は多い。比較的シンプルなものでは、たとえば「一二三四五六七、百腫皆疾出、急急如律令!」(一二三四五六七、百の腫よ、はやく出よ。急いで律令のごとくおこなえ)。

 複雑な呪文となると、「禁天下大腫法」と呼ばれるものは二百字以上になる。まず五方の神に五方の毒気を摂取するよう要請する。ついで五帝の尊と五毒の悪について、そして吹嘘禁法の威力について述べる。この長い呪文の末尾はこうである、

 

吾禁盤石開、深澗契、天架嶊、地柱折、暁停光、夜星滅、冬変雨、夏積雪、冷腫熱腫速消滅。(我、盤石が開くのを禁じる。奥の渓流で契り、地の柱を折る。暁の光はとまり、夜の星は滅す。冬、雨に変じ、夏、雪が積もる。冷たい腫れも、熱い腫れも、すみやかに消滅する)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

 喉の腫れの痛みを古くは「喉痺」(こうび)と呼んだ。巫師はこの類の疾病に対し、つねに呪法を用いた。呪文はたとえばつぎのようなものである。

 

吸喉痺!(吸え、喉痺を)

父喉痺、母喉痺、婦喉痺。(父の喉痺を、母の喉痺を、妻の喉痺を吸え)

孫天生汝時、縁上百草露、誰使汝著人喉里!(汝が生まれるとき、たくさんの草の

露と縁があったであろうに、よりによって人の喉に生まれるとは!)

拘汝牙、折汝歯、破汝頭、破汝脇、神不得動、不得停留、北斗知汝名汲汲。(汝の歯を捕え、折り、汝の頭を割っても、汝の腋を裂いても、神は動かず、留まることもできない。北斗は汝の名が汲汲であると知る)[汲汲は一心に努力すること]

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

 漆中毒になり、体が痒く、顔が腫れることを古くは「漆瘡」と呼んだ。『五十二病方』みは多くの禁漆瘡法や関連した呪詛、唾吹き、汚物駆邪術が記されている。『千金翼方』巻三十には禁漆の呪文が記されている。

 

漆翼丹盈(しつよくたんえい)、漆翼丹盈、丹為兄、漆為弟、汝不漆杯以(与)盂(う)、乃漆人肌膚。(漆翼丹盈、漆翼丹盈、丹を兄とし、漆を弟とする。汝、盃に漆を塗らず、器に塗る。ないしは人の皮膚に塗る)

刀来割汝、斧来伐汝、汝不疾去、咸塩苦酢唾殺汝。(刀で汝を割き、斧で汝を伐る。汝はすぐには去らない。しょっぱい、苦い、酸っぱい唾で汝を殺す)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

 呪文から見るに、巫師は「盈」と「翼」という二人の兄弟から成る丹漆の鬼を認識していた。

 

(7)

<禁破傷>

何かが刺さって傷ができたなら、まず止血しなければならない。『五十二病方』に「男子竭、婦子〇」[〇は載の車を酉に置き換えた字]の六字呪文が載っている。これは現時点ではもっとも古い止血呪である。男子の血が枯渇し、婦子(女子)の血が漿(どろりとした状態)になったため、血が流れることはなく、止まったことになる。

 『千金翼方』巻三十には多くの種類の止血呪が載っているが、「一唾断血、両唾癒瘡」(唾ひと吹きで血が止まり、ふた吹きで腫物が癒える)「吾禁此瘡、金血須止」(我、この腫物を禁ず。金の、すなわち武器による血はこれで止まる)と、内容はどれも似ている。

 

 武器による刺し傷の傷口が長く癒えない場合、炎症を起こして化膿する。これを古くは金瘡と呼んだ。多くの呪法は金瘡を癒すのを目的としている。

 『千金翼方』巻三十に記録される呪法は比較的複雑なものである。

 正月一日、日が昇る前、四面の家の壁の上から塵土を取り、酒や井華水と混ぜる。四方向に三度拝し、そのたびに呪文「言受神禁願大神」を唱える。そして口に含んだ(塵土を含む酒と)水を四方に噴出する。正午、おなじことを繰り返す。

 七日間、斎戒をつづける。七日後、呪文を唱える。

 

日出東方、恵恵煌煌、上告天公、下告地皇。(日の出の東方は、恵々とし、煌々としている。天公に上告し、地皇に下告する)

地皇夫人、教我禁瘡。(地皇夫人よ、禁瘡について教えよ)

吾行歩不良、与刀相逢。(我行くもよからず。刀と相まみえる)

断皮続皮、断肉続肉、断筋続筋、断骨続骨、皮皮相著、肉肉相当、筋筋相連、骨骨相承。

今会百薬、不如神師、一唾止痛、再唾癒瘡。(今、百薬と会う。神師にあらず。ひと唾で痛みを止め、ふた唾でできものを癒す)

北斗七星、教我禁瘡、南斗六星、使瘡不疼不痛、不風不膿。(北斗七星よ、禁瘡について教えよ。南斗六星よ、瘡の疼痛を取り除け。風も膿もいらない)

北斗三台、転星証来。(北斗三台よ、星を転じて明かせよ)[三台も星座]

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

 漢代には、裂牲祭神と呪詛火精による火傷治療法術があった。唐代には「上付河伯、還付壬癸、火精毒滅、入地千里」といった治焼傷呪文があった。壬癸は水を表し、それゆえそれと河神は火精をこらしめた。伝説によれば、どんな困難でも厭わない巫師が用いた呪文がつぎのものである。

 

竜樹王如来、授吾行持、北方壬癸、禁火大法。(竜樹王如来よ、我、北方壬癸に禁火大法の行持を授けたまえ)[竜樹王如来はナーガールジュナのこと。王や如来を付けるのは、信仰心の表れだろう。行持は修行に勤め、仏法戒律を守ること] 

竜樹王如来、吾是北方壬癸水、收転(斬?)天下火星辰、千里火星辰必降。(竜樹王如来よ、我は北方壬癸の水である。天下の火星の辰を転じよ(斬れ?)。千里の火星の辰を必ず降せよ)[火星は凶神。火は水に降される]

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

 この呪文は火を避けるために用いられるだけでなく、火傷を負った病人の治療のためにも用いられた。

 

(8)

<禁歯痛法>

 古代には禁牙歯痛法術があり、激痛をもたらす「虫」の治療を専門としていた。

 『千金翼方』巻二十九に言う。南に向かい、大きく呼吸して、一尺二寸の桃板に「〇州〇県郷里女〇、年若干、患口中左右若干歯痛」と書く。これを三回唱えたあと、桃板を三叉路に埋め、石ころで蓋をする。その場を去るとき、振り返ってはならない。桃板を埋めるときはつぎの呪文を唱える。

 

南山有一虫、名赤松子、不食五穀、但食口中虫。(南山に一匹の虫あり。名を赤松子という。五穀を食べず、口の中の虫だけを食べる)

埋汝三路頭、塞汝用石子、埋汝著樹東、千歳万歳不得起。(汝を三叉路に埋め、石で蓋をする。汝を樹の東側に埋め、千年も万年も掘り起こさない)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

<禁鯁法>

 咽頭異物の治療を専門とする禁鯁(きんこう)法術がある。『千金翼方』巻二十九には治鯁(ちこう)呪文が載っている。

 

南山大虎、北山狐狸、江中大獺(た)、海中鸬鹚(ろじ)共来食、(こう)速消除。(南山に虎、北山に狐、川にかわうそ、海に鵜あり。みなやってきて、喉のつっかえを食べ、消えてなくなる)

横者即入、順者即出。(横から入り、順に出ていく)

急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)

 

 喉に小骨が刺さったとき、清水の入った碗を準備し、指で空中に「天上金鶏叫、地下草鶏啼、両鶏并一鶏。九竜下海、喉嚨化如滄海」(天上の金鶏は鳴く、地下の鶏は鳴く。二羽、あるいは一羽の鶏。九竜は海に降りる。喉は滄海のようだ)と書く。この一節を七度唱え、水を飲むと、喉に刺さった小骨はたちどころに消える。

 もう一つの法術はもっと簡単で、「鳥飛竜下、魚化丹丘」(鳥は飛び、竜は降りる。魚は丹丘になる)の八文字を書き、唱えるだけでいい。

 

<禁目痛法>

 目の痛みを治すのを専門とする禁目痛法がある。『千金翼方』巻二十九に呪文が載っている。

 

日出東方、赤如紫陽、児子目痛、父母心傷。

吾口一唾、明見四方。百薬千治、不如吾湯。

若唾唾汝、汝眼毒消亡。

急急如律令!

 

 呪文以外にも、道士は各病気を治すのに符籙を用いてきた。『太上洞玄霊宝素霊真符』の中からいくつか紹介しよう。(図a

 第一符は、治疼痛。第二符は、治腹痛。第三符は、治心(心臓)痛。第四符は、治腹膨。第五符は、治腰痛。第六符は、治背痛。第七符は、治胸痛。第八符は、治痢疾。第九符は、治霍乱。第十符は、治大便不通。第十一符は、小便不通。第十二符は、可治百病。これらはどれも呑用符の符だ。

 

 これら医方の符は『千金翼方』巻二十九、三十「禁経」上下に集中的に論述されている。比較的明晰に、古代の祝由術の面貌を反映しているといえる。

 1925年、魯迅は歯痛の治療を例に出して、中国人の科学に対する無関心ぶりを批判した。「二千年もの間、歯痛に対して適当にお茶を濁してきて、何一つ方策を思いつかなかったのである……」。

 列挙した「禁牙歯法」およびその他の祝由術に、魯迅の話から注釈を付けることができるだろう。祝由術が代表するのは、事物の真相を探求することに気力をそそぐのを願わない意識であり、真実をなおざりにする学風である。それは非功利的な研究を扼殺し、中国医学や科学、中国人の精神生活に甚大な損害を与えてきたのである。