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漢墓帛書『五十二病方』に記される漆瘡(うるしのかぶれ)治療の呪文のなかに「我はあなたに豚矢を塗らなければならない」という一節がある。呪文を念じ終えると靴底で患部を摩擦する。原文の文意から考えるに、施術者は靴底で豚糞を患部に塗るのである。
この書が言及している「熬彘矢(ごうていし)」とは、燙傷[高温の液体による火傷]治療の方法である。両者とも豚矢を塗って治療している。これは偶然の一致とは思えない。すなわちのちの医術と以前の唾呪法とは同類なのである。後代の医家においては、豚零(豚屎)はさらに広範囲に応用されるようになる。
『千金方』巻五に言う、子供が神霊を怒らせてしまったとき[罰当たりなことをした時]、雄豚屎二升を煮て、子供に湯あみさせる。
子供の陰嚢が腫れたとき、「豚屎五升を水とともに煮て、布に含んで腫れた患部の上に載せる」。豚零(豚屎)を解毒薬として用いているのである。
霧瘴(瘴気)にあたったときは、新豚矢二升半に好酒一升を加える。布に矢を含んで絞った汁を服用すれば、発汗はすぐ治る。
豚肉を食べて食中毒になったとき、「豚屎を焼いて粉末にしたものを方寸匕(計量スプーン)で服用する」。
「母豚屎水を服用すれば、すべての毒を解くことができる」。
このほか豚零で口唇結核、白禿髪落、十年悪瘡などを治すことができる。
刀剣の刃によってケガをしたときは、羊矢を焼いて灰にし、それを傷口に塗る。痢疾を患い、死にそうになったとき、新しい羊矢一升に水一升を加え、(布を)一夜浸しておく。それを絞った汁を服用する。三回服用すれば、治っている。
青羊矢をよく煮て粉にする。それを妊婦のヘソに塗り込む。すると胎気(妊娠期間中の諸症状)が安定する。
白羊矢を子供の口に納めると、よだれが止まる。陰嚢と陰茎が熱く腫れたとき、羊矢を用い、黄糪(おうばく)の煮汁でこれを洗う。子供の頭にできた長瘡は羊糞を細かく砕いで粉末にしたものを塗る。このほか羊矢によって嘔吐、疔瘡、木刺鏃(やじり)入肉を治療する。
『五十二病方』は言う、瘋癲(精神錯乱)の治療には、一羽の白鶏と若干の犬矢。病人が発作を起こしたとき、鶏の首を切り、犬矢で湿らせ、そのあと鶏の胴体を開く。犬矢で鶏頭の上部を湿らしておく。三日後、よく焼いた鶏身を病人に食べさせると、病は癒えている。
医家はまた言う、白犬の矢は薬効があり、子供の霍乱(コレラ)、激痛の心臓痛、生理不順、各種瘧疾、各種悪瘡などを治す。
これだけでなく、医家は犬矢の中から発見される剰余物にも注意を払わねばならない。たとえば犬矢の中の粟(あわ)は、食べ物がのどに詰まったり、おくび(しゃっくり)が止まらなかったりしたときに効果があるという。また犬矢の中の小骨は子供の癲癇(てんかん)の発作に効く。
『五十二病方』中に鶏矢を焼いて、[とくに打撲の]傷口を燻す療法が記されている。また鶏矢を用いて漆鬼に塗布する方法について言及している。たとえば漆瘡の治療には呪文が使われる。「ペーイ!(呸!)漆王よ、おまえは兵器に漆を塗ることもできまい。かわりに人を傷つけている。今、鶏矢と鼠穴の土をおまえ、漆王に塗ろう」。鶏矢の中の白くなった部分は「鶏矢白」と呼ばれ、古代の医家がもっとも重視するものである。
『肘後方』巻三に言う、鶏矢白一升を取り、清酒五升を加え、搗き砕いてふるいにかけ、細かくし、これを飲んで「四肢麻痺、情緒不安」を治療する。
ナツメほどの大きさの鶏矢白を一つ取り、盃半杯の酒を加え、首をくくった者の口や鼻にそそぐ。これで命を救うことができる。
『千金方』巻五に言う、子供が驚いて泣くのを治すには、「鶏屎白を粉末もまるまでじっくり煮込み、乳(母乳)といっしょに服用するのがいい。
子供がひきつけを起こしたとき、ナツメの大きさの鶏矢白を取り、綿にくるんで、「水一合を二度煮沸する」。二度に分けて服用すれば、よくなる。
このほか鶏矢、鶏矢白を用いて歯痛、鼻血、耳聾、頭瘡などの疾病を治療する。
医術には二つの注意点がある。
まず、家畜の糞は、夜泣きや客忤『客忤(きゃくご)とは、嬰児が突然泣き出したり、顔面蒼白で泡を吹いたり、喘いだり、腹痛を起こしたりする症状』など小児の疾病に効く。この類の疾病は、巫医から見れば、多くは邪があたったもの(鬼神によって起こされたもの)である。したがって治療法は、「濊」でもって邪を駆逐する方法が中心となる。まさにそれは戦国時代の人が犬矢や五牲の矢を用いて、「白日見鬼者」(昼間に幽霊を見る者)のためにしたように、犬矢を用いて、鬼と交わる患者のために邪を駆逐する。医療の対象が子供からおとなに代わっても、治療法そのものは巫術的性質を帯びている。
つぎに、牲矢(家畜の糞)はどれも皮膚廟に効く。これと古代巫術の伝統とは密接な関係がある。前漢の巫医はすでに豕(ぶた)矢や鶏矢、鼠壌(鼠の穴の土)を漆瘡(うるしのかぶれ)に塗っていた。彼らが呪文を唱えるのは巫術意識の表れだった。漆鬼は人と同様、臓物臭を恐がった。濊物を用いることで漆鬼を追い払うことができたのである。漆鬼が逃走することで、漆瘡は完全に治ったのである。
後代の医家は、五牲矢を塗る(外敷)療法を迷信とみなしたが、まさにこれが巫術観念の残党なのである。もし五牲矢療法が経験的に有効な 成分を含むなら、経験と療法中の考え方、すなわち巫術意識とを比較するのは、あまり意味のないことである。