古代中国呪術大全
第2章 16 その他猛獣害虫の祓除
(1)
小は蚊や蝿から大は虎や狼まで、人間にとって有害な自然界の生き物はどれも巫師(シャーマン)の取り組む相手だといえる。これに関した呪術のなかでもっともよく用いられる方法は気禁と呪符である。
<辟虎狼>
漢代の方士(呪術師)は、ヒキガエルの血が虎や狼などの猛獣を制御する特殊能力を持つと認識していた。五月十五日、一匹のヒキガエルの皮をはぎ、血を取る。その血を一尺の新しい布に塗り、それで頭を覆い、東の方向に向く。すると予想もしない効果を得ることができる。
「百鬼よ、牛、羊、虎、狼よ、みなこちらに来て坐してこれを見よ」。
呪術を行う者は動かず、静かに座るだけでいい。召喚された鬼魅や動物は「みな須臾(しゅゆ)に去る」のである。虎狼を召喚する術はもともと虎狼を辟除する力を持っている。呪術師が荒野で呪術をおこない、無人の場所に虎狼を集めれば、村人は猛獣の害を受けずにすむ。予定地点で待ち伏せし、虎狼を集めて撲滅するのである。
(2)辟虎狼(つづき)
道教が形成されたあと、各種の巫術は急速に発展し、辟除虎狼法は日増しに見られるようになった。東晋の頃、ある人が葛洪にたずねた。「道士は修練のために山林に入ることがあります。しかし山に入るとたやすく虎狼の害に遭ってしまいます。どうしたら災難に遭わずにすむでしょうか」。
葛氏は『抱朴子』「登渉」のなかで全面的に回答している。彼が言及した法術はつぎの3つに分類される。
第一、印を用いる。魏晋の道士が常用した神印は、「黄神越章の印」であり、前の章で紹介した。葛洪はまた辟除百鬼および蛇腹、虎狼の神印、図(別図)のごとき印文に言及している。この印を棗心木に二寸四方に刻み、再び拝し、これを身につけるとはなはだしい神効がある。葛氏が言うには、この種の神印はもともと太上老君が身につけていたもので、のちに仙人陳安世が印文を取ってきたが、印章を用いなかったため、変成して一種の符(おふだ)になったという。葛洪はまた、「中黄華蓋印文」を用いれば辟除虎狼ができると述べるが、いまだに印文の形状については記していない。
第二、禁呪。突然虎と遭遇したら、「三五禁法」を用いるといい。この法は異常といえるほど複雑で、「細かくすべてを書き記すことはできないので、口伝しかない」ということになる。虎に遭ったら自分が三丈の朱雀になったと想像するといい。そして虎の頭の上に飛び上がる。同時に気を閉じると、虎は離れて去っていく。もし夜、山中に野宿するなら、暗闇の中で釵(かんざし)を取り、気を閉じて「白虎」を刺す。大抵は地上に白虎七宿を描けば恐れを抱くこともなくなる。別の法では、左手に刀を持ち、気を閉じ、地上に四角い枠を描く。そして呪文を唱える。
「恒山之陰、太山之陽、盗賊不起、虎狼不行、城郭不完、閉以金関」。
呪文を唱え終わると、「旬日中白虎」に刀を横に置く。両側にそれぞれ五つの「日」が書かれ、中間に白虎星座の符をえがく。これで虎狼を畏れることはなくなる。このほかにも「大禁」の法がある。「三百六十口の気を呑み、左を向いて刀を得て、右を向いて虎を叱れば、虎が起きることはない。この法で入山すれば、虎を畏れることはない」」。
葛洪『肘後方』は別の禁虎法に言及している。ここにつけ足して悪くはないだろう。山中にやってきてまず二十五息の気を閉じる。そして山神が目の前に虎を連れてきたと想像する。また自分の肺の中に「白帝」が出現したと想像する。虎の二つの目を掻き出す。それで自分の下部を塞ぐ。そして呪文を唱える。
「李耳よ! 李耳よ! 汝は李耳ではあるまいか。汝は黄帝の犬を盗んだ。黄帝は汝に問うよう私に教示された。汝は何と答える?」
このあと山中に行ったとしても猛虎に遭うことはないだろう。
漢代には「虎本李氏公」という伝説があった。呪文の李耳とは虎の名前である。「汝は黄帝の犬を盗んだ」というのは、罪状をでっちあげて虎を震撼させたのである。
(3)辟虎狼(つづき)
第三、符を用いる。「玉神符」「八威五勝符」「李耳太平符」「西岳公禁山符」「入山辟虎狼符」「入山佩帯符」「「老君入山符」などどれも辟除虎狼として用いられる符(おふだ)である。最初の四つの符は残念ながら伝わっていない。「入山辟虎狼符」は仙人陳安世によって伝えられたもので、符文はつぎの通り(省略)。
二枚の符は絹の上に朱書きされたもの。どれも四枚が準備され、身につけるか、住んでいるところに貼りつける。引っ越すときは符をはがす。なぜなら神符は外部の人に見られてはならないからである。
「入山佩帯符」には三符(符文略)ある。それらは牛馬小屋の前後左右に、また豚小屋上部に貼られ、虎狼を避ける。
「老君入山符」の符文には何種類かあり、多くは山中のすべての精怪悪鬼を駆除する。葛洪の意味するところを推し量るに、その中の五枚の符は虎狼専用である(符文略)。どう使用するかといえば、「甲寅の日、白い絹の上に朱書きした符を夜、机の中に置き、北斗に向かって祭り、酒と肉を少しばかり捧げ、自分の姓名を名乗り、ふたたび拝して(符を)受け取ると、それを衣服の内側に入れる」「屋内の梁の柱の上にこれ(符)を捧げる」。もちろん山の中に長くいたあと、ふたたび山中に入るとき、この符を持っていれば、身を守ることができる。
孫思邈(そんしばく)『千金翼方』巻三十「禁経下」には「禁悪獣虎狼」専用の箇所があり、禁虎法についてたびたび簡潔に触れられている。そのなかでも比較的簡単ですばやい方法というのは、つぎのとおり。
荒野や山林の中を進んでいるとき、虎狼など「悪虫」と遭遇したら、右目を閉じ、「左目を三度ぐるぐる回す」。つまり左目で悪虫を三周見回す、あるいは左眼球を三回転する。これによって悪虫と鬼神は完全に制圧される。
明人陳継儒が書いた『虎薈』は、虎に関する物語や珍しい話を収録している。この書の巻三にいう、「ある神巫(巫師)が神壇を作り、虎を呼んだ。罪の疑いのある人は神壇に登らされた。罪があれば(虎に咬まれて)傷を負い、なければなにもなかった。これを虎巫と呼んだ」。
また上官昶(じょうかんちょう)という名(上官は姓)の人がいた。彼は神術を有し、虎を捕まえることができた。あるとき一人で山に入り、髪を解いて虎と対峙し、衣の袖で虎の頭を払うと、虎は腹ばいになり、動かなくなった。上官昶は虎にまたがって京城に入っていった。
彼が城門に到ったとき、誰かが「上官先生が虎に乗ってやってきたぞ!」と叫んだ。すると虎が目覚め、頭を回して上官昶の脚をがぶりと咬んだ。群衆の助けを借りてなんとか虎を殺すことができたという。古代の術士が催眠術を用いて猛虎を従順にさせた可能性は大いにあるだろう。しかしこういう手(催眠術)を使ったのだとしても、術士が「制虎神術」を用いたと嘘をついたと非難することはできないだろう。
(4)禁悪犬
古代の禁犬法術には、犬に咬まれる、犬に吠えられるのを防ぐほか、犬に咬まれた傷を治療する法術が含まれる。
唐代以前は多くの「禁犬令不咬人法術」が流布していた。たとえば、某家を訪ねたとき、門を入る前に正門の右側を踏んで、呪文を唱えた。
主人某甲家門丞戸尉、籬落諸神、主人有狗、黃白不分、師来莫驚、師来莫瞋。(某家の門には門神、すなわち左の門丞と右の戸尉が守っている。籬には諸神が守っている。主人は犬が守っている。黄色と白色に分かれていない。師が来ても驚かない。師が去っても目を見張らない)
急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)
禁狗噛人法術と関連があるのは「禁狗不吠人法術」である。おもな用途は悪犬が激しく吠え立てるのを防ぐことである。[悪犬とは、ピット・ブルやカナリ―犬、土佐犬など気性の荒い、獰猛な種類の犬のこと。もちろん古代においてはそこまで厳密ではなかったろう]
呪文は以下の通り。
黄狗子!(黄色い犬よ!)
養你遣防賊捕鼠、你何以噛他東家童男、西家童女?(おまえを養い、盗賊を防ぎ、ネズミを捕えるために派遣した。それなのになぜ東の家の男児を、西の家の女児を噛むのか)
吾請黄帝、竈君、震宮、社土付与南山黄斑、北山黒虎、左脚踏汝頭、右脚踏汝肚、向暮必来咬殺食汝。(我は黄帝に、竈君に、請願する。震宮の祭祀用の土を南山の黄斑[虎]、北山の黒虎に付与することを。左脚で汝の頭を踏み。右脚で汝の腹を踏もう。夕方にはかならずやってきて汝を食い殺そう)
狼在汝前、虎在汝後、三家井底黄土塞汝口。(汝の前にはオオカミがいる。汝の後ろには虎がいる。三家の井戸の底の黄土で汝の口を塞ぐ)
吾禁你四脚踡不得走、右擲不得、左擲搦草。(我はおまえが四つの脚を縮こまらせて走るのを禁じる。右に身を投げ出すことも、左の草をつかむことも禁じる)
吾来上床、汝亦莫驚。(我が床の上に来ても、驚くことはない)
吾出十里、汝亦莫起。(我は十里離れても行くだろう。汝は起き上がってはいけない)
急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)
この呪文の第一句の反問と漢墓帛書『五十二病方』のつぎの治漆瘡(漆によってできたできものの治療)の呪文はきわめてよく似ている。
天啻(帝)下若(汝)、以桼(漆)弓矢、今若為下民疕(瘡)。(天帝は漆を塗った弓矢を汝に射るだろう。民衆は瘡(できもの)に苛まれるだろう)
どちらも、なすべきことをしていないとして、あるいは常ならず人を害したとして、呪詛の対象を非難している。その口ぶりは、祝由術でおなじみのものである。
犬に咬まれたあとの解毒駆痛呪法というのがある。
施術前、吸気吹気(気を吸い、吐く)し、犬の目を圧し、左に向かって眼球を回転させ、本季の「旺」の方向に向かって呪文を唱える。
犬牙狗歯、天父李子、教我唾汝、毒出乃止。(犬の歯よ、牙よ。天の父よ、李の子よ。汝への唾のかけ方を教えよ。出した毒の止め方を教えよ)
皇帝之神、食汝脳髄。(皇帝の神は汝の脳髄を食べる)
白虎之精、食汝之形。(白虎の精は汝の体を食べる)
唾汝二七、狗毒便出。(唾を二七十四回吐き、犬の毒を出す)
急急如律令!(急いで律令のごとくおこなえ)
呪文の内容からすると、施術者は呪文を唱えたあと、十四回唾を吐かなければならない。
泥丸(泥の丸薬)で傷口を擦るのは、治狗咬法術の常套である。擦るとき、しばしば呪文と唾法を組み合わせる。たとえば家の西側の建物の櫓の下の土を取って、よく搗いて粉末にし、それを絹の包みに入れ、大苦酒と混ぜて、鶏卵大の泥丸を作る。それを瘡(できもの)に擦り、呪文を唱える。三回唱えたら、泥丸を割り、真ん中に色の変わった犬の毛が出てきたら、施術は成功したとみなされる。
(5)攻悪鳥
春秋時代、禳殺梟鳥(じょうさつきょうちょう)の法術をおこなう巫師がいた。『周礼』に記された王官のなかには妖鳥の駆除を専門とする硩族(てきぞく)氏と庭氏の両官があった。硩族氏は「夭鳥」の巣の破壊を専門としていた。「夭鳥」とは、とくに鴞(よう)、鵩(ふく)などの「悪鳴の鳥」を指す。[鴞はフクロウ、鵩はミミズクと考えられる]
硩族(てきぞく)氏は非常に特殊な駆鳥法を用いている。木板上に十の天干、十二の地支、陬(すう)や如など十二の月、摂提格や単閼(ぜんえつ)など十二の歳陰、また二十八宿などを書く。
これらの木板のうち五方向と関連したものを鳥の巣の上に掛ける。すると妖鳥は自ら飛び去って行く。
鄭玄は言う。「夭鳥はこの五つの木板を見ると去っていく。しかし詳しいことはいまだ聞かない」。この法術は漢代にはほとんど用いられなくなっていたのである。
一方庭氏は国中の夭鳥を射る官(役人)である。同時に一切の怪声を発する妖物を射る役目を担う。夜間に鳥や獣の鳴き声が聞こえ、その姿が見えないとき、救日の弓で救月の矢を夜空に向けて発射する。もし声が鳥の鳴き声、獣の吼え声でなければ、それは怪なるものに違いないので、救月の弓で救日の矢を、声の発するところに射ち込む。
後漢の術士は「甑瓦止梟鳴」(そうがしきょうめい)法術を有していた。甑(こしき)とはごはんを蒸すための瓦器である。宋人は『物類相感志』のなかでこの法術について説明している。「瓦甑の契を梟に投げつければ止む」と。その注が言うには、「甑(こしき)から瓦(かわら)を取り、契という字を書き、壁の上に置く。フクロウの声が聞こえたら、それを投げつければ自ずと止む」。
古代の民間には、フクロウの鳴き声を聞いたら不吉を祓うために唾を吐き、塗布する習慣があった。それについては唾吐き法術の章で詳しく述べた。
(6)辟蚊蝿
宋代の人は辟蛇蝿法術を伝授していて、五月五日に実施した。「五月五日に風煙の二文字を書き、窓の下の壁に貼った。これで蜒蝣蚊蚋(えんゆうぶんずい)を避けることができる。[蜒蝣はカゲロウを指すが、ここではナメクジやゲジゲジのことを言っているようである。蚋はブヨのこと]
「滑」の字を貼れば効果があると主張する人もいる。また、端五日(五月五日)にたくさん白の字を書き、さかさまにして柱に貼れば、四方向で蝿を避けることができるとも謂われる。
別の法術では、五月五日の正午に太陽をじかに見て、太陽の気を吸いながら、呪文を唱える。
天上金鶏吃蚊子(てんじょうきんけいきつぶんし)!
唱え終わると、凝神運気し(神経を集中し)、ロウソクの芯に向かってつづけて七回吹く。夜になって、灯心に火を着けると、蚊の類はいなくなっている。
『物類相感志』(蘇軾撰)は書く。日食のとき、紙を撚って縄を作る。そのとき外から内へ撚る。月食のときは、内から外へ撚って、縄を作る。それぞれの紙縄は五丈以上の長さがある。二本の縄を合わせて一本にし、日食の縄を左股、月蝕の縄を右股とする。この紙縄を寝台の周囲に渡すと、蚊は入ってこない。
すでに述べたように、秦代以前には救日の弓矢と救月の弓矢によって妖物を射撃する法術があった。これ(怪異の声がする方向に向かって矢を放つ)も弓矢の力を利用したものである。宋人が言う辟蚊法術もまた、日食月食のとき作った辟蚊霊物を使う。紙縄が純粋な陰、純粋な陽の気を吸い取ると考えられたのである。両者はよく似ているが、依拠する原理はじつは異なっていた。