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唐代医士陳蔵器の『本草拾遺』には大量に灰土治病の医方が収録されている。名目は雑多で内容は怪異だが、巫術的灰土医方の集大成といえるだろう。陳は以下のように灰土の名目を列挙している。


<甘土>

 陳氏は言う、「甘土は安西および東京(洛陽)竜門から出る[安西は安西都護府のこと。現在の甘粛省酒泉市]。「熱湯に入れてよく混ぜ、服用する」。「草薬や諸菌毒」を解毒することができる。


<黄土>

 「土気[泥土の中の上昇する気体]に長く触れると、顔が黄色くなる。土を掘って地脈を犯すと、人は上気し[呼吸が速くなる症状]、全身に浮腫が出る。土を掘って神を殺すと、人は腫毒を生み出す」。

 この一節は、黄土には霊性があり、冒涜することはできないと強調する。ゆえに黄土は病を治す力があるとする。たとえば「下痢をして、熱いものと冷たいものが混じり、赤と白の斑になるとき、腹の中は熱い毒のため絞るような痛みが走り、下血する。乾いた土を取り、水に入れてそれを三五十五回沸騰させ、絞った滓を一、二升、服用する。また諸薬毒、中肉毒、合口椒毒、野菌毒を解毒する」。

 巫術の側から見ると、これらの方法は充分に徹底されているとは言い難い。一部の医士から見ると、黄土には疫病も対応する不思議な力があるという。

 たとえば『医心方』巻十四が引用する「霊奇方」が言うには、正月一日寅時に「黄土を門扉に、二寸四方ほど塗る」。これで疫病を避けることができる。


<東壁土>

 陽に向かって長らく干すことによって、下痢や霍乱(激しい胃腸疾患、コレラ)、煩悶を止めることができる。


天子藉田(せきでん)三推犁に着いた土>

 古代の天子は毎年春に百官を率いて自ら耕す「藉田」(公田)儀式を挙行した。親耕(自ら耕す)といっても、それは象徴的なものであり、天子はただ耒耜(るいし)と呼ばれる(鋤や鍬など)農具を持って形式的に三推(耕しながら三往復すること)するだけでよかった。天子は竜種だったので、それらしくふるまえばよく、自ら掘った泥土は医家に渡され、宝物となった。

 陳蔵器が言うには、この土を水とともに服用すれば、動悸、精神錯乱を治すことができる。また安神(精神の安定)、定魄(心の落ち着き、神智の回復)、強志(意志を強く持った状態)を得ることができる。

 土によって役人になることを恐れなくなり、高官に会うことができるようになり、よい結婚もできて、市での売買もうまくいくようになる。

 陳氏はまた言う。王者は封禅大礼を挙行するとき、五色土を用いるが、治病効果はわずかの差しかない。これと関連するものとして、社稷壇の土があるが、これは百官を保護するだけの力を持っている。「牧宰(州長官)は勢力を広げるとき、自ら門に(社稷の土を)塗り、盗賊に侵入させない」。[封禅の封は祭天、禅は祭地を意味する。太平隆盛のとき、あるいは瑞祥が見られたとき、古代帝王は、天地祭祀の典礼を開いた。泰山で挙行することが多かった]


<道中熱土>

 夏に熱射病になって倒れた者があると、病人のみぞおちにこの「道の真ん中の熱い土」を積み上げる。だんだんと土が冷却したあと、土を払い落し、また積み上げる。病人は気息が通じ、死んでいたとしても蘇る。


<車輦(しゃれん)土>

 これは車輪上に附着した塵土を指す。病人の「悪瘡(できもの)から黄色い汁が出るとき、塩車(塩を運ぶ車)の側面の脂角上の土を(悪瘡に)塗る。そうするとすぐに癒える」。


<市門土>

市場の門の柵付近の塵土のこと。女性がお産のとき、この土を持ち、酒といっしょに服用すると、難産の心配はない。


<戸限下土>

 門檻の下の塵土のこと。女性がお産のあと腹痛を覚えたとき、熱い酒といっしょにこの土を服用する。産婦が吹乳(乳腺炎)になったとき、戸限下土と雄雀の糞を混ぜ合わせ、暖酒とともに計量さじ一杯ほど服用する。


<靴底下土>

 住まいを換えて、「水」や「土」に適応しないとき、靴底から泥をえぐって取り出し、水といっしょに服用する。すると平静を回復する。


<柱下土>

 「ひどい腹痛に襲われたとき、柱下土を方寸匕(計量さじ一杯)、水といっしょに服用する」。孫思邈『千金方』に言う、これで胞衣が降りてこないのを治すことができると。


<床脚下土>

 狂犬に咬まれたとき、この寝台の下の土と水を(咬まれた傷に)塗る。そしてお灸を七壮据える。一灼を一壮とする。すなわち七壮はお灸七度ということ。これで完全に治る。


<塚上土>

 主に疫病、流行伝染病を治療する。毎年五月一日、墳墓の上の土、あるいはレンガ、石を瓦器に入れる。そして門の外の階段の下に埋める。家族全員が時気病(季節ごとの病気)を患うことがない。


<桑根下土>

 悪い風気、悪い水気にあたったため、筋肉が腫れたとき、(桑根下の土を)水と混ぜて塗る。お灸を二三十回据えて熱気を体内に入れる。するとたちまち平静になる。


<胡燕巣土>

 湿疹悪瘡(できもの)が全身を覆ったとき、ツバメの巣の土と水を塗ると、二三日のうちに完全に癒える。陳蔵器自身がこの説の情報源である。

 陶弘景『名医別録』に言う。燕巣土と燕屎煮湯を用いて子供を沐浴し、驚邪を除去する。陳氏はまた言う。百舌鳥(もず)の巣の土を「蚯蚓(ミミズ)や諸悪虫が咬んでできたできもの」に塗って治すことができる。


蜣螂転丸(フンコロガシ)>

 「この蜣螂(クソムシ)は丸いもの(糞)を押す。土の中に隠れ、地を掘ってこれを得る。人がこねて作ったかのように丸く、満ち足りたかのようである」「絞り汁を濾過したものを服用する。傷寒、時気、黄疸、煩熱、霍乱、吐瀉を治療するのに用いられる」

 ほかにも項癭を治すことができる。すべての瘘瘡にこれを塗る、これらの方法と濊物駆邪術とは共通するものがある。


<鼠壌土>

 これはネズミが咬んで砕いた細土である。これを取ったあと、日干しにし、熱で蒸して、袋の中に入れ、「中風による体の麻痺から冷痺骨節疼、手足痙攣、神経痛、半身不随壊死」などを熨療法で治す[熨療法とは熨燙のことで、熱した薬材を入れた袋を患部にあてがう療法]。この方法は起源をさかのぼるとかなり古く、前漢の『五十二病方』にはすでに「鼠壌」が漆鬼を脅かした方法として記されている。


<屋内(らん)下虫塵土>

 堧(らん)は川辺や壁の隅などの湿った場所を指す。この種の土が悪瘡(できもの)を治す。ほかにも蟻の巣の上の土は「蟻(てつ)土」と呼ばれた。この土を狐尿瘡に塗って治した。また難産を治した。

「腹の中の死胎や胞衣が下りてこないとき、この土を三升ほど炒り、袋に入れ、心臓の下に置くと、自ら出てくる」。

 蚯蚓(ミミズ)が引き出された泥土は痢疾に効く。


<豬槽上垢土>(ブタ小屋の桶の上の汚れた土)

 主に難産を治療する。この土を一合取り、面(小麦粉)半升、烏豆二十個と混ぜ、煮汁を服用する。


<寡婦床頭塵土>(未亡人の寝床の傍らの土)

 外耳炎には、この土を油といっしょに塗る。寡婦(未亡人)と外耳炎の間に関係があるとするのは突拍子がなく、稀少な考え方だ。


 陳蔵器は、「弾丸土」が難産を治すとも述べている。瓷瓯(しおう 磁器の酒器)の中の白灰が腫れを抑えるという奇異な療法である。その他の医家も陳氏が記す基本的な情報を補充している。李時珍の『本草綱目』巻七「土部」は、陳氏の医方の拡充版である。


 これらの医方は薬典にも記載されているが、すでに存在している基礎的なものと比較し、つけ足したり、連想したり、巫術的なものであったり、灰土で鬼を駆逐する巫術の変種である。医方の創造者の本意を歪曲したものではない。