2章 22 銅鏡の霊異と照妖鏡信仰 

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 古代中国の小説には「照妖鏡」が珍しくない。それを使って妖怪のあとを追跡していけば逃げ隠れできないという宝鏡である。古代の巫師(シャーマン)は明鏡の巫術(呪術)的力をよく理解していた。狭義の照妖鏡よりもはるかに多くの力を持っていた。「晋、唐代の俗説にいう、およそ鏡はみな照妖しうる、と」「唐代から明代まで鏡はひとしく悪鬼のたぐいを駆除することができた」と言われた。古鏡や宝鏡はさらに霊異を増すばかりである。


 中国は世界でもっとも早くから銅鏡を鋳造してきた国である。甘粛、青海省の斉家文化遺跡からは紀元前二千年頃の二枚の銅鏡が出土している。これらの年代を照らし合わせ、古書を読むと、「黄帝大鏡十二面を鋳造し、月ごとにこれを用いる」「黄帝十五鏡を鋳造する……月が満ちるまでの数にならう」などの伝説も滑稽な話とは言えなくなる。

斉家文化時代から西周時代にかけて、銅鏡製作技術はかなり高くなったが、まだまだ小さく、粗削りで、数量も限られていた。春秋戦国以降、銅鏡製作工芸はますますさかんになり、のちには鉄鏡が出現した。このようではあったが、先秦(秦代以前)、秦漢代には、銅鏡はまだ十分に広がっていなかった。銅鏡を持つことができず、水を鏡代わりにせざるを得なかった一般民からすれば、銅鏡は耳にすることがあるだけの極めて少ない奢侈品であり、神秘的なものだった。少人数が使えるだけの技術を要する器物だった。

 その効用と効力は誇大にみなされるようになり、しだいに神聖化されていった。人々は想像した。帝王や貴族が使用する銅鏡は人の外形を映し出すだけでなく、人の内臓をも映し出すことができると。人を映し出すだけでなく、妖怪を映し出すと。妖怪を映し出すだけでなく、妖怪を駆除することができると。この種の想像は累積し、発展し、ついには一切の明鏡が妖怪を駆除できるという観念ができあがった。