(5)

 厭勝銭のもう一つの重要な用途は、駆邪治病である。清の人が言うには、手に「周元通宝」を持つだけで瘧疾を完治することができるという。当時金陵一帯に、難産の女性が「周元通宝」を持ったところ分娩がうまくいったという話が流布していた。

 清代はじめ周亮工[16121672]は解釈して言った。周元通宝は、周世宗が天下の銅の仏像を壊して鋳造し、作った銭幣である。それは瘧鬼を駆逐する。なぜならそのなかに仏祖釈迦牟尼の神の力が含まれるからである。

 じつは清の人が瘧疾と難産の治療のために用いた「周元通宝」は一般に流布している同名の古銭ではなく、とくに厭勝のために作られた古銭だという。

 世に伝わる「周元通宝」の中で、裏面に日月、七星、竜風の図案が鋳られているものは、疑いなく厭勝にものであり、一般の貨幣とは異なる。

 この種の「周元通宝」はその他の厭勝銭と同じく辟邪のために鋳たものである。当時は巫術霊物とみなされていた。清の人はそれを用いて瘧疾と難産を治療した。それが継承され、拡大したのは、その巫術的効能によるところが大きい。いわんや周世宗が仏像を壊して鋳造した銭なんて話は関係ない。

 

 歴代の医家は、古銭は治療することができると信じていた。彼らの治療法は、古銭を水に入れてよく煮て服用するというものである。

李時珍『本草綱目』にも「古文銭」という項目が立っている。それによれば「古文銭は五百年の月日が経ってはじめて(薬として)使用されるようになる。

また唐高祖が鋳造したのが開元通宝である。重さも大きさも中くらいである。昔も今も思い部類に入るだろう」

 五百年以上前の古銭であることを強調する。また開元通宝であることを強調する。どちらも巫術的観点から述べていて、医学の道理とは関係がない。