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(D)竜の召役
この法術は術士の個人の法力に依拠している。『晋書』「仏図澄伝」に言う、十六国時代、名僧仏図澄は「勅竜取水」を行なったことがあると。ある年、後趙の都城、襄国(河北省邢台)の護城河の水源が枯渇した。仏図澄と弟子たちは都城北西五里の源泉近くにやってきた。香を焚き、座し、数百の呪文を唱えた。施術をはじめて三日、泉から水があふれだしてきた。すると五、六寸の小竜が水といっしょに流れ出したのである。しばらくすると水はとめどなく出てきて、護城河は満ち足りていた。
唐玄宗のとき、洛陽和尚無畏三蔵[善無畏のこと]は召竜致雨術を得意としていた。李徳裕『次柳氏旧聞』によると、ある年、干ばつがあり、無畏は唐玄宗や高力士からのたっての頼みを断り切れなかった、彼は小刀を取り出すと、水鉢をかき回しはじめた。呪文を唱えながらかきまぜていると、親指の太さほどの赤い竜が鉢から白い煙とともに姿を現した。それは鉢から上昇すると、堂からも広がり、ついには全城を覆うほどの大きさになった。矯枉過正(きょうおうかしょう。是正しようとして行き過ぎてしまうこと)という結果になり、暴風雨によって道路や樹木が破損してしまった。
興味深いことに、『尚書故実』によると、李徳裕の政敵牛僧孺もまた似た故事を述べているという。牛僧孺が嚢州に赴任したとき、あらゆる干ばつ対策がうまくいかず、「竜を飼う者(豢竜者)」と呼ばれる処士に求雨の法術をおこなってもらうよりほかなかった。
処士は言う。
「江漢の間[長江と漢水の間]に竜はおりませぬ。ただあるところの湖沼に黒竜が棲んでおります。それがひとたび動き出すと、手が付けられません。漢水があふれると、数えきれない民が命を落としてしまいます」
一部の僧人は湖泊の竜を遠くからでもコントロールできると称している。それら(竜)を驚かせて雨を降らせるという。
五代の時代、蜀国梁州が大旱に見舞われたとき、外来の和尚である子朗は雨をもたらすことができると称した。子朗は大甕の中に坐り、頭のてっぺんまで浸るよう水を入れた。三日後、十分に雨が降った。のちにある人が興州で子朗に出会った。そして上述の求雨に関することを聞くと、子朗は言った。
「あれは閉気の術だ。一か月で修練が完成する。この法術は湖潭(湖の深み)に建造する楼台で竜と相結びつくものだ。人が(閉気によって)力を出すと、竜は驚いて雨を降らすことになる。だがこのやりかたでは、竜によってケガをすることもある。甕の中で術をかけるのは、そうならないためのいわば保険である」
道教の経典中少なからぬ経典が祈雨経であり、竜王の召喚が主な内容となっている。たとえば『太上元始天尊説大雨竜王経』では、六十種以上の竜王を召喚する。そのなかでも多くの竜王の名称の意味が重なっている。
たとえば大雨竜王、降雨竜王、雨水竜王がそうだ。あるいは有徳竜王、威徳竜王、道徳竜王もよく似る。また無上竜王、太上竜王もそうだ。天降竜王、地降竜王(地からどう降りるのかわからないが)も。
雨を求める者にとって、竜王の名称が増えれば増えるほど、竜を呼ぶ方法も増えるということである。
『竜王経』が説く雨を求める方法は、伝統的な召竜致雨術と密接に関連している。しかし明確に異なるのは、『竜王経』が雨を求める者の心の修練と善行を強調している点である。竜王の恵みを願うことに重きを置いているものの、雨を求める者はすでに竜王を使う方法を放棄してしまっている。ちなみに想像するかぎり、この種の権力を与えることができる最高の神仙は元始天尊である。