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術士から見ると、それぞれの動物に忌日や凶日がある。ネズミの忌日は辰日である。この日を選んでネズミに打撃を与えると効果が大きい。正月辰日にネズミ穴をふさぐ。すると「ネズミ自ら死ぬ」。正月の辰日に、柴草のなかにネズミの骨がはさまれたまま、ネズミ穴を燃やし、あぶり出す。そうすれば「永遠にネズミに患わされることはない」。
段成式『酉陽雑俎』「怪術」に厭鼠法が記録されている。某月七日、九匹のネズミを九つの篭に入れる。二尺五寸の深さの穴を掘る。このとき九百斤の土を掘ったことを秤でたしかめる。そしてそれぞれの穴にネズミ篭を入れ、上から土をかける。こうしてネズミの害を厭伏する(制圧する)ことができる。
術士たちは、盗賊を捕える官吏たちがネズミに対して震え上がらせる特殊な能力を持っていることを認識している。『酉陽雑俎』「怪術」が引用する古い方術書『雑五行書』に言う、「亭の役人が土を竈(かまど)に塗れば、水火盗賊[水害、火害、盗賊、窃盗]には遭わない。家の四隅を塗れば、ネズミは蚕を食べない。倉を塗れば、ネズミは稲を食べない。ネズミの穴をふさげば、百種のネズミが絶える」。
亭部とは、亭卒のことであり、亭長の部下である。盗賊を捕まえることを専門とした役人だった。秦漢の時代、亭部には別名が多かった。[亭は道行く人のために各地の路傍に建てられた建物]
『史記』「高祖本紀」には「令求盗之薛(せつ)治之」(高祖劉邦が求盗を薛県に送ったときに作らせた帽子)とあり、司馬貞『索陰』が引用する応劭が言う。「かつて亭卒は弩父といった。陳楚では亭父あるいは亭部といい、淮泗では求盗といったのである」。
『雑五行書』の「亭部の地面の土」とは、亭卒の執務室の土か、亭卒の足元の乾燥した土のことだろう。亭部の土によって盗賊やネズミを駆逐する厭勝術をおこなうのである。
これはネズミと盗賊を同類とみなし、治安の官吏の権威を使ってネズミを取り締まろうというのである。
李時珍『本草綱目』巻七「太陽土」の章に付せられた「神后土」に言う。「月を駆逐して旦日に家の四隅の泥(神后土)を取り、ネズミの穴を塞ぐ。これで一年ネズミは姿を見せない。これが李処士の断鼠法である」。
李時珍の解釈によると、「神后土」とは「正月、申から始まり、十二辰の順番通りに進む」ことを意味する。つまり正月はじめ申時に土を取り、二月一日酉時に土を取り、三月一日戌時に土を取り……と進む。それが神后土である。
清代張宗法『三農紀』巻二十一にこの種の法術が載っている。「亭部土」を用いるということは、亭卒の力を借りるということである。「神后土」を用いるということは、特定の日時の力を借りるということである。この二つの方術は用途においてよく似ているが、その原理はまったく異なる。