古代中国呪術大全 

3章 17 孝行を促し、いざこざを除く呪術 

 

(1)

 人を孝行にし、いざこざを除去する巫術は古代の家族の需要に適応する。中国の伝統文化の基本的な特徴は、宗族・家族の組織が厳格かつ頑強で、長期にわたって関係がつづくことといえる。中国人がとくに評価し、重視するのは孝道である。それは家族制度の産物といえるだろう。秦以前の宗族、君主に統一されていた時代、「孝」は社会倫理であるだけでなく、政治規範でもあった。戦国、秦、漢代以来、個人と小家庭の独立性は強まったけれど、かえって家族の抑制から逃れることはできなかった。家族組織を強固にし、孝道は自然ともっとも影響力のある道徳の概念となった。

古代中国の社会は家族に対して、とくにとくに女性に対し愚弄、口論、言いがかり、邪推などをすれば厳しく批判され、制裁を受けた。しゃべりすぎることと父母に従わないことは、ともに「七出」の一つとされた。父母に従わないと、家長の威厳を損ね、家族の求心力と凝集力を削減した。しゃべりすぎもまた紛糾をもたらし、口舌(いざこざ)と同様家族を分裂させ、家族の生活の大敵となった。孝道を維持し、口舌(いざこざ)を消滅させることは社会の通念であり、文化の伝統だった。巫術はそういったことを実践したのである。そこから中国の特色のある新しい巫術(呪術)が生まれてきたといえるだろう。

 

(2)

 古代に比較的行きわたっていた致孝術(孝行させる法術)に、ブタの肝や犬の肝を泥土と混ぜて炉や竈(かまど)に塗るというのがある。

 『雑五行書』に言う。「竈神の名を禅という。字(あざな)は子郭。黄衣を着て、夜、髪を振り乱してかまどから出てくると、その名を知るとこれを呼び、凶悪を除いた。ブタの肝を買って泥と混ぜてかまどに塗り、婦女に孝順ならしめよ」。

 非常に早くから人は「圏養」という方式でブタを飼っていた。もともと養豚を表す文字は「(かん)」だったが、「圏」にとって代わった。臥圏(がけん)と順従は、妾や婦女が孝行でないことを恐れる人からすると、貴いすぐれた点だった[臥圏も服従を表す言葉]。

古代医学の解釈によれば、肝(肝臓)と心臓はともに情感を調節することができる。豚肝泥竈術(ブタの肝を泥と混ぜてかまどに塗る術)とは、家神(家庭の主神)の竈君(そうくん)の威厳によってブタ肝が産出する品性を婦女の体に伝達しようというのである。

 これと似たものとして、家犬は六畜[牛、馬、羊、豚、犬、鶏]のなかでも忠臣と見られているが、それゆえ犬の肝と泥を混ぜたものとかまどは孝行をもたらすのである。

 張華は言う。「犬の肝と土泥竈は妻、側室を孝順にさせる」[土泥竈は泥土から造るかまどで数千年前からある最古のタイプ]。

 清代の張宗法は言う、犬の肝はブタの肝より効果があると。「ブタの肝と泥をよく混ぜる。犬の肝を用いるならさらによい。賢い嫁(息子の嫁)を呼んで(かまどの手直しを)させるといい」。

 

 伝説中の職人がひそかに厭鎮物を置いて凶をもたらすことができるように、吉をもたらすこともできるはずだ。巫術霊物の性質と作用は、施術者の意志があってはじめて念じて移転できるもの。施術者はしばしばただ一点に着眼して霊物の効能だけ選んで取り出し、しばらくの間霊物のその他の効能を排除する、あるいはおろそかにしがちだ。

ブタ肝泥竈術の目的は「婦女に孝行をさせる」ことである。しかし施術者は、婦女が終日なにもせず、ただ飽食に明け暮れる女になるかもしれないことを考慮しようとしない。

 犬肝泥竈術の目的は、妻や側室を忠誠心がある孝行の女に仕立てることである。しかし施術者は、犬肝が犬の尾のように夫婦仲を悪くし、婦女を役立たずのガミガミ女にすることもあるのを考慮しようとしない[この犬の尾のたとえはわかりにくい。「狗尾続貂」(すぐれた者につまらない者が続くたとえ)を踏まえているのか]。施術の効果は施術者の心理状態に依拠しているのである。これはまさに巫術の特質である。

 

 『雑五行書』に言う。住宅の西側に五株の梓樹、あるいは五株の(キササギ)を植える。これによって「子孫は孝行者になり、口舌(いさかい)はなくなる」。五行学説によれば、西方は金に属す。金は凄涼粛殺(非常に寒いこと)の気を代表する。家の西側に梓楸(ししゅう)を植える。金気を圧伏すればほとんどの場合、家族生活の調和が保障される。

この種の法術とは、一点だけ取って他のことは考えない法術のことである。五行の式から推し量ると、西方の金行の地に梓楸を当てるのは、金に対して木を当てるに等しい。それは卵で石を打つようなものである。

 

(3)

 『物理小識』巻十二は先人の言葉を引用して言う。「思螺(しら)、鶴草、これを着ければ孝順になる。松に似た小草は寝室に置いてはいけない」。思螺は師螺(しら)、俗名蝸螺(から)、螺螄(らし)など。南方でよく見かける。形はカタツムリに似る。「指の先ほどの大きさで、その殻は田螺のように厚い」。思螺を着けて人を孝行にさせる。あるいはその殻から離れない蝸螺(から)の義を取る。

鶴草が何を指すかわからないが、「致愛」のところで述べた鶴草あるいは鶴子草とおなじかもしれない。鶴子草と鶴子草に生まれた媚蝶[鶴子草に生まれたとされる蝶]は、どちらも致愛霊物(愛の縁起物)である。

愛と孝は相通じるものがある。ゆえに転化して孝に至るものとされた。「松に似た小草、寝室に置くな」と強調するが、このような鋭利な針のような棘をもつ草は、互いに譲らないとげとげしい緊張した気分を伝えるものである。

 張宗法は言った。「井華水あるいは香草と泥を混ぜてかまどに塗る」。そうすれば「子を孝順にさせる」。張氏はこの香草が何か説明していないが、おそらく鶴草の一種だろう。

 

(4)

方以智が引用する別の致孝(孝順にさせる)法術は、致愛(愛させる)法術が転化して致孝術になったことを明示している。この法術は、「生理布(今でいうナプキン)にカエルを包み、それを厠(かわや)の前の地面を一尺ほど掘った穴に入れ、埋める。すると(婦人は)孝行になる」というものである。

 この法術と上述の『淮南万畢術』に記載される赤布致愛法(赤い布、すなわち生理布を用いて愛させる法術)と、『博物誌』に記載される止妬法(嫉妬を止める法術)は完全に一致する。伝統的な法術を応用し変化したものであることは疑いない。しかしその変化はまっとうされたわけでなく、法術の本体自体は何も変わっていない。

その法術の論理によって、女は立ち去るのをやめ、嫉妬の気持ちも消えるだろう。彼女は夫に絶対服従するだけでなく、夫の両親にも服従することになる。この法術は愛させるだけでなく、ほかの行ない(孝行)にも適用されるのである。

 

(5)

 古代の仏教徒は仏教専門の致孝呪法を生み出した。孫思邈が記録しているのは、「禁家令和」の呪文である。

 

南無伽帝膩、伽帝収溜避。

南無阿乾陀羅呵、弥陀羅灌陀沙婆呵。

 

 呪文と組み合わせる儀方はつぎのとおり。

「ひとつかみの土を取って、呪文を三七回唱え、家の正門の下に置く。また呪文を唱え、土を取って、中門の下に置く。また呪文を唱え、土を取って、堂門の下に置く。また呪文を唱え、土を取って井戸の中に撒く。また呪文を唱え、土を取ってかまどの額の上に置く。かくのごとく七月、内外の自然は和順する」

 

 孫氏はまた強調する。

「この法によって家の中の不孝な男子、不順な婦女はみな孝行者になる」。

 

(6)

『雑五行書』中の梓・(し・しゅう)の種を植えることによって「子孫に孝行を求め、口舌(いさかい)をなくす」という話は、あきらかに、孝行と消口舌(いさかいをなくすこと)が密接に関連した行為であることを反映している。術士は致孝術と同時に多くの厭鎮口舌法(いさかいを収める法術)を創案している。

 漢墓から出土した『雑禁方』には「姑婦(嫁と姑)よく戦い、戸に五尺四方(の泥を)塗る」という一節がある。門の上に五尺四方の泥土を塗り、婦姑の争いを取り除く。閫(こん)、すなわち女性の部屋でいさかいの禍が発生し、家族全体の問題になったとき、不鎮宅、すなわち家の禍を鎮めることができないとき、古代において、消口舌法術のために、鎮宅霊物や鎮宅霊府を使用したである。

 『雑五行書』に言う。「婦姑(嫁姑)の言い争いには、重さ60斤の石を取り、門外に埋める。たちまちやむ」。これは黄石鎮宅法術が完成前に変化したものである。

 『太上秘法鎮宅霊符』に四道と厭鎮口舌に関係のある符が列挙されているが、その四道符が用途別に示されている。すなわち、つぎのとおり。

「厭盗賊口舌無瑞之鬼」

「厭除口舌悪事侵害」

「厭除口舌疾病之災」

「厭百怪口舌之鬼」

 まさに厭鎮口舌と鎮鬼魅、除疾病、厭百怪を並べると、符を作った者が口舌のことを重視していたことがわかる。

 

 古代民間に流布していたのは、より簡単な消除口舌符である。唐宋の頃の書『陳氏手記』につぎのように記されている。当時の習慣で端午節に「赤口」の二文字を家の壁に貼った。この「口」字の真ん中に竹釘を打った。これによって口舌の災いを断除できると考えられた。

 閩(びん)地方(福建地方)に、端午節がやって来るたびに二枚の紙符を作る習俗があった。一枚には「官符上天」、もう一枚には「口舌入地」と書かれ、壁間にさかさまに貼られた。

いわゆる「顛倒(てんとう)貼于壁間」とは、「官符上天」をそのまま、「口舌入地」をさかさまに貼ることを指す。そのまま貼れば字は上に向かい、官符上天を象徴する。さかさまに貼れば字は下に向かい、口舌入地を代表する。

この二枚の符で一節の言葉になっている。すなわち官符は上天(昇天)したあと、神力を借りて、「非打(ののしり)」を地中に埋めるという意味である。

口舌は「赤口白舌」ともいう。意味はおなじ。言い争いのことである。ただ感情的色彩は強くなり、おとしめる度合いが増す。

 南宋時代、端午節になると、都臨安のすべての正門に「赤口白舌」と書かれた書付が掛けられた。そのさまはなんと壮観だったろう。

 呉自牧『夢梁録』巻三によると、端午の日、杭州の人は艾草(よもぎ)やその他の草を用いて張天師像を作り、門の横木に掛けた。

 役人の家ではこの日の正午に、朱砂で書付に「五月五日天中節、赤口白舌尽消滅」と書いた。

 周密『武林旧事』は言う、杭州の人は端午の日、「青羅(青い衣)で赤口白舌の書付を作り、艾人(よもぎの人形)とともに門の横木に掛け、厄払い(消災除病)とした」。

 赤口白舌の書付の文字は通常の字体で書かれた。この点は上述の厭鎮口舌と異なっている。ただ巫術的意味合いを含む点では違いはない。