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 周代の貴族の服飾は等級によって厳格に区分されていた。天子、諸侯、大夫によって礼服が異なったのである。もちろん死者はどの階級の貴族であろうと、招魂時はつぎの原則を遵守する必要があった。「死者の祭服の再利用」あるいは「死者の上服をみなふたたび用いる」。祭服とは祭祀のときに着ていた礼服を、上服とは最上等の服を指す。ほとんどの場合、両者はおなじものを言う。死者が着たもっとも高貴な服装が求められるのは、それが招魂復魄(魂魄を招く)するからである。この類の服装は死者にとっても尊いものだった。それは亡魂を引き寄せた。浮遊している魂を召喚することができたのである。

 北に向かって服を振って魂を招く。基本的に「肉体を離れた魂魄は北に向かってゆらゆらと漂っていく」という概念がある。周人から見ると北方は幽暗の地である。これは陰間がある場所であり、鬼魂の大本営である。のちに霊魂が帰宿する極楽世界は西方ということになったが、これは仏教の概念が入ってきたためである。

 『礼記』「檀弓下」に言う、「北方北首に葬る。三代の達礼である。幽の故である」。夏、商、周の頃、墓葬区は城北(都の北部)に置かれていた。葬式のとき遺体は「頭北足南」に安置された。これは死者の霊魂が順調に北方の幽暗の地へと帰っていってもらうためである。発見された西周の墓葬の大多数は「頭北足南」を採用していた。『檀弓』に述べられていることは確認され、周人に北を幽の地とする概念があったことを示している。戦国時代の陰陽家は北方に黒色を配したが、それは西周以来の伝統を踏襲したにすぎなかった。

 『礼記』「檀弓下」はまた言う、招魂のとき北に向かって立ち、「諸幽を求めるという意味である」「諸幽に対し、魂魄を望み、諸鬼神の道を求める」。亡魂は北方に集っているが、招魂者は北方に向かって呼び、迎え入れなければならない。