(2)

 隠身術の記述は後漢代に始まる。『淮南万畢術』に言う、「螳螂(カマキリ)が蝉(セミ)を捕えようと待ち構えるとき、木の葉で身を隠す」。セミを捕える機会を伺うカマキリは木の葉で身を隠すという特殊能力を持っている。人もある種の木の葉によって自分の体を隠すことができる。これはまさに坐在立亡[端座して念仏を唱えながら遷化すること。あるいは立ったまま合掌して往生すること]の術について述べているのである。

 『淮南万畢術』にまた言う、「牛胆(胆汁)を目に塗ればそれがだれであるかわからない」と。この一節は移形易貌術について語ったものだ。

『太平御覧』はこの一節に注釈を付けている。「八歳の黃牛から胆を取り、二寸の桂を胆に入れると、百日で薬となる。巧みに刻んで丈夫の人像を作り、目の下に触れさせる。女性の像を作って頭の上に載せる。子供の姿に彫って、あごの下に置く。そして五色の袋の中にそれらを詰め込む。まず斎戒をおこなう。このことは人に知られてはいけない」。

 考えるに、注釈の「巧みに」以下の文ははなはだ不明瞭だ。しかも文全体が「目に塗る」とかかわりがない。注釈の後半で「丈夫の人の像を作り」「女性を作り」「子供を作る」と述べているが、二重の意味を含んでいる。すなわち巧みに牛胆を浸した二寸の桂木を刻んで男、女、子供の形を作る。また顔を変えるのは、男、女、子供に変身するためである。男に変身するには、木を刻んで男の人形を作り、目の下を桂木で触れる。女に変身するには、木を刻んで女の人形を作り、頭の上にその桂木を載せる。子供に変身するには、刻んで子供の人形を作り、あごの下に置く。姿形を好きなように変えられるので、人には「それが誰であるかわからない」。

 隠身法術をおこなうには、術士個人は並々ならぬ巫術能力の素質が要求される。その難度も当然きわめて高い。前漢以前はこの法術はほとんど見られなかった。術士が関心を寄せる真正の隠形術は道教が形成されたあとのことである。古代の道士は隠身術の研究を重視し、彼らはすでにこの種の秘法を身に着けていた。

三国時代の伝説的道士介象は「姿を隠し、沿う草木鳥獣に変身することができた」。呉王孫権は介象を武昌に招き、礼を尽くし、辟兵術を伝授してもらったほか、自ら隠形の術を学んだ。孫権は一定の期間学んだあと、霊験を得ることができた。「試しに後宮に戻り、殿門を出入りしたが、誰にも姿が見られなかった」。