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 明清の頃、娼家が奉った職業神は白眉神、あるいは祆(けん)神といった。白眉神像の「髯が長くて偉そうな顔貌で、馬に乗り刀を持つ」さまは関羽神像とよく似ていた。異なるのは「眉白く目が赤い」ことだった。

 明代の京師(都)の風俗で、もし人を「白眉赤眼」と罵ったら、相手の顔色が突然変わるというのがあった。娼家内部でも直接白眉神と呼ぶのをタブーとし、表向きはそれを「関侯」あるいは「関壮穆」(かんそうぼく 唐代以降の関羽の封号)と呼んだ。「坊曲(色街)の遊女、はじめて客の相手をするとき、艾豭(あいか なれなれしい客)とこの神を拝すれば、しかるのちいい仲になる。南北のどちらの都[北京と南京]もおなじである。

 娼家は白眉神を職業保護神とし、なれなれしい客に対してその神力を借りて法術をおこなうことがあった。毎月の一、十五日に、遊女はハンカチを白眉神像頭部にかぶせた。そして針をハンカチに刺し、あとでそのハンカチを大事にしまった。愛情に無頓着な者に会ったら、怒っているふうを装い、その人の顔に手拭いを投げつける。彼に地上からそれを拾わせると、彼の魂魄を鎮めることができ、それは生まれることはなく、去っていく。

 明人沈周は『白眉神詞』の中で述べる。「眉神に祈る。神面を(ハンカチで)覆い、金針でハンカチを刺す。針の目に心の願いを通す」。最後の文は巫術意識を含む法術を了解したものを啓示する。針を刺し、ハンカチと神像を縫い合わせ、ハンカチ上に遊女の意志を集めるだけでなく、白眉神の神力を注ぎ込む。

 まさに何某の顔の上にハンカチを投げつける。すなわちこの種の意志と神力を用いてこの人の霊魂を震えさせる。娼家には客を追いやる法術がある。

 「遊女が人と接したくないとき、塩を入れた水を火中に投じる。するとその人はあせって急に立ち去る」。

 このほかなれなれしい客は、自ら遊女が人を魘(えん)し、魅するのを防ぐ方法をおこなう。彼らはそれを「制雌魘法」、すなわち雌が魘(えん)するのを制する法と呼ぶ。

 娼家が好んで魅術を用いると知っているので、まず雄精(雄黄)を身に帯び、呪文の「婆珊婆演底」(バサンバエンティ)を唱え、魘(えん)をさせないようにする。段成式『酉陽雑俎』によると、「婆珊婆演底」とはもともと悪夢を駆除する神呪だという。おそらく呪文は最初、「塩を水に撒き、火に投げ入れる」といった娼家を守るための排他的な法術に用いられたのだろう。呪文を唱える目的は「眠花宿柳」(遊女のこと)の楽しい夢が砕け散らないよう守ることだった。これによって長い間、娼家の魔力は保たれてきた。

 古代には愛と関連したものにもうひとつ、致夢術(夢まじない)があった。唐代の人馮贅がだれかの言葉を引用している。「両耳元で金属音を鳴らし、桂心丸を服用し、金輪呪を念じる。すなわち心を寄せる人が、生きていようと死んでいようと、夜、夢の中に現れる」。

 方以智『物理小識』は言う、人の思念を取り、平時、もっとも喜ぶもの、たとえば自ら書いた書画の上面に朱砂で相手方の名を記す。ふたたび狐脳(薬材)、商陸(薬材)、香煙を用いて、満月の夜、「離趾持唵嚂悉怛吽」[最後の5文字はオーンナモシッダフーンに対応している]という呪文を唱える。四十九日がたち、相手の名前が記された物の下に相手の絵を置いておくと、願ったままに相手の夢を見ることができる。相手が座った椅子を用いれば、より早く愛慕する人の夢が見られる。