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 止嫉妬術は、止淫法術のいわば副産物である。法術の目的は男性の性的特権を維持することである。妾を持つこと、芸者遊びが公認されていた時代、女性が自分を表現し、力を発揮するのは、性愛を通じて、つまり排他的な嫉妬の情を通じるしかなかった。それゆえ古代において「よい嫉妬」は婦女特有の天性のものとされた。

嫉妬深い女は男の意思に背き、円満な家庭を破壊し、家を廃絶に追い込む危険を作りかねなかった。そのため歴代統治者はみな嫉妬が悪徳をなすとして厳しく封じ込めた。戦国時代以来、嫉妬は「七出」の理由の一つに数えられた。漢元帝皇后の母は、後漢大臣馮衍(ふうえん)の妻だったが、嫉妬が原因で放逐された。

南宋の明帝は、当朝廷の公主は「嫉妬するな」と、側近の大臣虞通に『妬婦記』を書かせ、公主の反面教材として用いた。男性の立場から、嫉妬深い女を嘲笑し、排斥する話は珍しくない。「嫉妬しないのは、婦女の道徳の基本」。歴代の文人の著作にはこういった言葉の枚挙にいとまがない。

こうしたことが叫ばれる中、兪正変らは「嫉妬は女性の悪徳にあらず」という論を提唱したが、その声は大きくなかった。道徳や法律でみだらな行為を禁ずることができないように、嫉妬の感情をなくすのは不可能だった。

嫉妬深い婦女はあとを絶たないどころか、社会の中で捻じ曲げられた残忍な恐ろしい悍女がたくさん登場することになった。嫉妬深い女や悍女の被害を受けた者たちのために、方術家は治嫉止妬法術を提供していた。