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青蚨還銭(せいふかんせん)法術には独特な考え方が反映されているので、注意が必要だ。青蚨還銭の原理でいえば、母銭と子銭は相互に、双方向に引き合う。ただ法術をおこなう者は、自分に有利な面だけを考えればいい。
彼らは母銭か子銭で支払いをする。これらの銭が(渡った相手から)、自分の持っている子銭や母銭に引き寄せられて戻ってくればいいのである。逆に、自分の持っている銭が飛んで相手方のところへ行くなどとは夢にも思わない。自分の持っている八十一枚の銅貨が吸い寄せる力を持っていることのみ考え、相手方の八十一枚の銅貨にも吸い寄せる能力があることを忘れている。
もし青蚨の特長が、母虫が子虫を探し求めることなら、青蚨銭の特長もまた、母銭が子銭に飛んで戻ってくることである。そんなにも合理的にできているなら、母銭でだけ払い、子銭は手元にキープすればいい。しかしあらゆる方術書が例外なく母銭でも子銭でも払っていいと書いている。どんなことがあっても、どんなお金で払おうとも、結局は術士の手に戻ってきて、元通りになるのである。
もし青蚨銭と血を塗った者が一方向に飛んで吸い付く関係を持っているなら、その意味するところは、青蚨の血ではなく、血を塗った者が、銅貨を吸い寄せる特異な力を持っているということである。これは青蚨の血が互いに吸い寄せるという特長を否定するに等しい。
本質的には、お金もちになることと破産することの両方の可能性がある法術である。一方的にお金持ちになる法術としているだけである。術をおこなう者が勝手に(破産する法術でなく)お金持ちになる法術と決め込んでいるに過ぎない。これと、豚肝塗竈致孝術(ブタ肝と泥をかまどに塗って孝行させる法術)は、類似した巫術の手法を用いることで、相通じるものがある。
唐宋時代、『初学記』や『太平御覧』など少なからぬ同様の書が青蚨還銭の物語を収録している。編集者らがこの伝説を収めたのは、面白いと感じただけでなく、人に青蚨の言葉の縁起を知らせる意味もあった。これらの法術はすべてが幻に過ぎないというわけではないのだ。当然、実際の応用している面から言えば、青蚨還銭術はほかの流行した巫術と異なり、伝説本体が変化し 発展してきた。
『太平広記』巻四七七が引用する『窮神秘苑』が言うには、青蚨銭で金銀珍宝の類を買うことはできないと。「もし金銀珍宝を買えば、銭は戻ってこない」。おそらくこの書の作者は青蚨還銭法術をおこなう者が貪欲すぎるのを恐れ、捕捉するかたちで戒律をつけ足したのだろう。