まがいものに騙されない 

 この時期チョギャム・トゥルンパは、彼と会いたい人々、彼から学びたい人々にたいし、驚くほどの寛容な心を見せる一方で、傲慢な人々、偽善的な人々に接したときは、妥協しなかった。ある日彼はある催し物(ダルマ・アート・フェスティバル)のレセプション・パーティに数人のVIPとともに招待された。そこで彼はチベット芸術のコレクションを誇るあるアート・コレクターと会った。トゥルンパは彼自身が企画している展覧会のために作品を借りたいと考えていた。コレクターはチョギャム・トゥルンパのところへやってきて、ぞんざいな口調で言った。

「それで人生はあなたをどう扱っていますか(それで調子はどうですかな So, how is life treating you?)」

 チョギャム・トゥルンパは彼を無視し、急いで部屋をぐるりと回ると、もと立っていた場所に戻ってきた。そしてコレクターの目をじっとみつめると、言った。

「人生は私を扱ってくれません。私が人生を扱うのです。私は人生をうまく扱っていると思いますよ(Life doesn’t treat me, I treat her, and I’d say that I treat her quite well)」
*訳注 「人生はあなたをどう扱っているか」はたんなる慣用的なあいさつ言葉だが、チョギャム・トゥルンパは過敏に反応してしまっている。コレクターの態度に好感を持てなかったのかもしれない。彼は運命に翻弄された半生を送ってきたわけだが、亡命したあと、自分の力で道を切り開いているという自負をもっていた。彼にとってコレクターは「まがいもの」の典型だったのかもしれない。

 そう言うと彼は部屋から出ていった。チョギャム・トゥルンパは自分のヴィジョンを堕落させたくはなかった。もしこうした態度をとることによって彼を助けてくれたかもしれない知識人や富裕な人々を遠ざけることになっても、彼は自分を曲げなかった。

 1970年遅く、彼はニューヨークの名声あるアジア協会で「チベットの芸術とイコノグラフィー」というテーマで講演をするよう要請された。何人かの彼の生徒は、これは富裕な人々と知り合ういい機会だと言った。彼らは仏教が好きでなくとも、少なくともチベットの文化には興味を持っているはずだと付け加えた。

 たくさんのインビテーション・カードが発送された。開始時間が近くなると、ホールは身なりがきちんとした、富裕な、中年のニューヨーカーでいっぱいになった。あきらかに彼らは、すばらしい英語を話すこの輝かしい若い仏教のグルが、このエキゾチックな芸術について何と言うか興味津々だった。

 講演の時間がやってきた。しかしリンポチェの姿はそこになかった。時間ばかりが過ぎていった。聴衆は落ち着きをなくし、会場をあとにする人々も出始めた。

 チョギャム・トゥルンパは階段の下にいた。彼は時間通りに来ていたが、車から出なかったのだ。彼は生徒に車を運転してブロックのまわりを走り回るよう頼んだ。階段の上から群衆が降りてきた。彼が笑みをいっぱいに浮かべながら姿を現したのは、予定より1時間たってからだった。

 彼は腰を下ろすと、告知されていたテーマについては触れず、瞑想の実践について話し始めた。最前列に坐っていた聴衆の一部は、いらだってプログラムをあけ、告知されたテーマを大声でよみあげた。人々は帰り始めた。ついにはほんの一握りの人々だけが残った。その大半は彼の生徒だった。リンポチェはほほえみながら言った。

「まあ、そうだね。ここにいるきみたちのうち何人かはチベットの芸術やイコノグラフィーに興味をもっているかもしれない。そして仏像の意味にね。でもたしかなことは、もし瞑想を実践していないなら、無意味ということだ。もし目的がアンティークの収集だというのなら、きみたちもそのひとりになればいい」

 どのような状況になろうとも、チョギャム・トゥルンパは妥協しようとしなかった。彼は人にこびへつらうのが嫌いだった。彼は人をだますことはなく、約束するということもしなかった。本物のダルマ(仏法)は、異国情緒の包装紙に包んで贈ることはできなかった。

 彼はもしそれが聴衆を怒らせることがあったとしても、真実を述べることに躊躇はしなかった。1970年秋、サンフランシスコで講演をしたとき、冒頭でこう言った。

「ここに来るとは、なんとあわれなことか。あなたがたはとても攻撃的だ」

 チョギャム・トゥルンパが西海岸を訪れるときのオーガナイザーだったジェリー・グレイネリによると、聴衆が席につきはじめると、彼はすぐに切符売り場の箱を持って自分の車へ行き、それを隠した。聴衆のなかには怒りだす人たちがいて、払い戻しを要求してくるからだ。チョギャム・トゥルンパはしばしば遅れて到着することがあったし、1974年のダルマ・アート・フェスティバルでのレクチャーのようにわずかしかしゃべらないこともあった。そのとき1500人の聴衆はそれぞれ5ドル払っていた。聴衆は回答を欲しがった。しかしチョギャム・トゥルンパは彼らの期待にこたえるのを拒んだ。彼の目的は、聴衆が自分自身を罠にかけていると信じていることのもつれをあきらかにすることだった。彼はこのように、ほとんどの人が体験のもととしている隠された拠り所が純粋に偽りであることをあらわにした。

 講義をしているとき、彼はしばしば人々に安心感を与えるかわりに警告を発した。

「心したほうがいい。もし実践修行をはじめたら、戻る場所はないのだから」

 彼はスピリチュアルな旅というのは楽しい散歩とは違うと強調した。それは痛みを伴った晒しなのである。

「仏教徒の道は無慈悲だ。絶対的な無慈悲。ほとんど一分の憐みもないのだ。われわれが言うことができるのは、われわれは悦楽を探しているのではないということだ。旅は楽しみを見つけるために計画されたのではない。悦楽の旅などではない」

 彼の自由に、集中的に交流したいという欲望と偽善を突破したいという努力は、ひとつのコインの両面だった。なぜなら偽善がいかなるリアルな心と心の関係を作り出すことは不可能だったからである。米国で教えた17年の間、教え方に変化はあったものの、チョギャム・トゥルンパはリスクをとることに躊躇はなかったし、もし理解の助けになるのなら伝統をひっくりかえすことも厭わなかった。彼はこのように彼らに彼の世界をダイレクトに、完全に体験することを許した。彼はけっして洗練されたふうに自分を見せることはなかった。ただショッキングで、信じがたくて、奇妙で、予想外で、かき乱すような教え方をした。

 離れていく人もいたが、多くは彼に魅了された。チョギャム・トゥルンパが怒りやすいというイメージができあがると、彼らは彼と開かれた、ダイレクトな接触をすることによっていっそう惹きつけられた。そしてより熱心に彼とともに学びたいと思い、心のなかの威厳をあきらかにし、発展させたいと願うようになるのである。