急速な拡張 

 ロッキー・マウンテン・ダルマ・センターを購入した直後、仏教徒コミュニティは、もうひとつ土地を譲ってもらった。ロジャー・ランドルフとルイズ・ランドルフ夫婦はチョギャム・トゥルンパにコロラド南部の山中の土地を贈った。彼らはこの土地がそのままで保たれることを望んだ。ごちゃごちゃと建物を建ててほしくなかったのだ。そこはドルジェ・キュン・ゾン(金剛ガルダ要塞)と呼ばれた。小さな小屋がそれぞれのリトリート(隠棲)のために建てられた。

 ワイオミングのジャクソン・ホールでも別の信者グループがスノー・ライオン・インというホテルを建てた。1972年から74年のオフシーズンのあいだ、チョギャム・トゥルンパはそこで教えた。1972年、彼はセミナーで「狂気の智慧」について教えた。そして1973年、そこで第1回のヴァジュラダートゥ・セミナーが開催された。

 このようにコミュニティの活動はさまざまな方向性をもっていた。チョギャム・トゥルンパは彼自身の健康や恩恵をすこしもかえりみることなく、継続的に終わりのないグループ・ディスカッションやセミナーを指揮した。休みをとることはほとんどなく、常識を侮っているようにも見えた。彼は通常の人間の限界を超えた存在のようだった。

 研究センターと瞑想センターが全米とカナダの大きな都市に建てられた。ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、それから少しあとにシカゴ、バークレー、ロサンジェルス、デンバー、モントリオール、トロントなどで、チョギャム・トゥルンパはそれらの都市で教えた。

 人々は1970年の時点ではあまり実践をしていなかった。彼らが感じたことを多かれ少なかれやっていたのだ。新しく来たものを受け入れる、あるいは指導するためのフォーマットもなければ手順もなかった。チョギャム・トゥルンパは生徒を個別に受け入れた。サンフランシスコの禅の実践グループを「虎の尾」に招待し、ニントゥン(丸一日の瞑想)のプログラムを組んだとき、週末のあいだずっと座ることができるということを知り、だれもが驚いた。

 1971年、トゥルンパは各生徒に一日に1時間はかならず瞑想すること、ロッキー・マウンテン・ダルマ・センターでは鹿などの動物を殺さないようにすることなどを要請した。ゆっくりと、それと知らずに、生徒たちは仏教徒になっていった。

 1972年の終わりまでには修行はより正確になっていった。彼がおこなっていることのほかの面と同様、ゆっくりと物事が進められた。どの状況においても彼は面倒をみたので、時間をとられることになった。たとえばある日、「虎の尾」でコミュニティ全体の会議が開かれているとき、夜の討論のときに時間制限を設けるべきだと主張した。ときおりそれが翌朝までつづくことがあったからである。チョギャム・トゥルンパは同意した。酒を飲むのは一日の終わりにかぎるべきだと提案されたときも、彼は同意した。

 別の場合には、だれかが一日のスケジュールを短くして実践に宛てるべきだと提案した。トゥルンパはこうした提案は純粋な仏教コミュニティを作るのに必要な努力であるとして評価した。彼は生徒たちに自分の考えを押し付けることはなかった。

しかしときには、彼は生徒たちの先を行き、彼らを驚かせることがあった。ある日だれかが音楽を聴く時間を制限すべきではないかとたずねた。チョギャム・トゥルンパはこたえた。

「一週間で一晩だけにしましょうか」