1 タントラを基盤として 

米国での最初の3年間、チューギャム・トゥルンパはヴァジュラヤーナ(金剛乗)と関連する修行を教える前から、進歩的な三種のアプローチ(身口意の三業)を採用し、仏教の教え全体を伝えるための基盤としてタントラの観点を提示した。

精神的な旅の根底は、輪廻と涅槃、悟りと混乱、聖と俗、仏教徒と非仏教徒といった区別を超えたところにある。

「中道など存在しない。完全な道がある。これは物事のありのままに対する、極めて強引なアプローチです」

チューギャム・トゥルンパはこのように、私たち自身の人生みおいて、充実と混乱のすべてが頼るべき唯一の基盤であることを示した。

 

相対的真実を評価する 

この点で覚醒は特別な静寂や安らぎの瞬間とは何の関係もない。むしろごく普通の日常的な経験を積み重ねることで、不自然で自発性に欠ける理解に挑戦できるようになる。

タントラは毒を薬と見なし、混乱したエネルギーの中に覚醒のエネルギーを見出す能力と結びついている。言い換えれば、この教えは特定の目的のために用いることなく、自分自身と向き合うことを可能にする。だからこそチューギャム・トゥルンパは弟子たちに、強い人間関係を築くこと、子供を持つこと、社会で積極的に活動すること、瞑想センターで他者に教える責任を果たすこと、混沌とした状況で困難な人々と向き合うことなどを奨励した。彼はこうした献身の必要性を強調した。この世から逃れることはできないのである。

覚醒はこの世でのみ可能だ。私たちの神経症(つまり、心の力)と現象世界の力は等しい。タントラは究極の道を歩むための前提条件ではなく、それを真に私たちの生活に統合する方法である。

「タントラレベルでの経験は、到達可能な究極かつもっとも複雑な存在の境地に相当します。一方タントラは到達の問題ではなく、むしろ状況に適切に対処するための実践的な作業なのです」

ビジネスパーソン、ウェイター、原子物理学の教授、コンピューター科学者などどんな職業であろうと、日々の中で教えを実践することが重要だ。教えを理解するという点では、どの職業も他の職業より優れているということはない。これこそが、道徳規範や社会通念に縛られたり制限されたりすることのない、ヴァジュラヤーナの根本的な道である。

本質的に混乱は問題ではなく、修行という文脈においては覚醒への可能性さえも秘めている。しかしながら彼は言う。

「タントラはある種の絶望から生まれた、つまり混乱に対処できないからタントラを救いの恩恵として受け入れる、という誤解があるようです。私たちの混乱という汚物は絵画的な、ポップアートのようなものになってしまうのです……。もしタントラが、輪廻の絶対的な純粋さと清浄さを見ずに、ただ耐え忍ばなければならないことを認めるだけなら、タントラは単なる鬱の一形態に過ぎず、慈悲のかけらもないものになってしまいます」

これは重要な点だ。自我への執着の結果として混乱が生じる前に、私たちの神経症は(確かに歪んだ形ではあるが)覚醒のあらわれである。神経症の開かれた性質を理解するには、あらゆる野心、あらゆる希望を捨て去らなければならない。少しもためらうことなく、あるがままの現実に身を委ねなければならない。タントラは、完全な開放性の視点を私たちに与えてくれる。