ダライラマ六世、その愛と死

宮本神酒男訳

Photo:Mikio Miyamoto

4 極秘の決定

 七月のラサ、正午、露天の気温はまだ高い。日光城と呼ばれるだけあって、太陽光は銀の矢のごとく降ってきて、眩しく、熱い。人はチベットには太陽がふたつあるのではないかと思うかもしれない。

 雑多な成分が土にしみこみ、松の枝やバターが燃えて出た煙と入り混じり、一種なんともいえない空気になる。視力を失った人でも、この匂いをかげばラサだとわかるだろう。

 市の中心の大昭寺(ジョカン)の門前、ポタラ宮やジャグポリの下、街をめぐるリンコル、西のデプン寺、北のセラ寺、東のガンデン寺……いたるところに五体投地する人々のすがたがあった。かれらの身体は起きたり伸びたりし、あるときは川の奔流のように、あるときは海の波のように見えた。
 騒がしいことはなく、ただ黙々と動作を繰り返し、信仰心をいっそう深めていく。毎年、毎月、毎日、おなじ光景があった。さまざまな神仏、さまざまな男、女、さまざまな願い、さまざまな成就、そういったものが集まり、織り成し、ラサ特有の生活を醸し出していた。

 人が密集する八廓街を東西に貫く道に瑠璃橋があり、その傍らは刑罰を受けたり疾病にかかった人々や乞食がずらりと並び、通行人に向かって手を叩いたり、「おじいさん、グチグチ(お願い)、おばあさん、グチグチ」と叫んだりした。

 高地の天気はあっという間に変わる。風もやわらかく日も暖かかった正午、突然突風が起き、山の背後から黒雲が押し寄せ、雷の閃光が目に刺さると、雷鳴が炸裂、するとどっと雨が落ちてきた。古城に侵攻するかのごとくであった。
 ラサの谷全体が音の筒だった。西も東も、村のすみずみまで、壁という壁、岩という岩、すべてが振動音に揺れていた。リンカ(公園)の柳は発狂した魔女のように髪を振り乱し、風雨で梳いて洗っていた。外にいた人々もみな避難し、野犬も姿を消していた。それでも敬虔な仏教徒のなかにはその場を動かず、地面に伏せている者もあった。

 空に閃光が走るたび、ポタラ宮十三階の大窓の窓に平たい頭の輪郭が映った。デシ・サンギェ・ギャツォだった。彼はずっと煙雨のなかの連山を、物思いにふけりながら、また待ちながら、眺めていた。

 サンギェ・ギャツォは、清朝の順治十年、チベット暦の水の蛇の年、ラサ北郊の貴族ドンメ家に生まれた。父はアスク、母はブティ・ギャルモといった。叔父は有名な第二代デシ、ドンメパ・ティンレー・ギャツォである。
 サンギェ・ギャツォは幼いときからこの叔父の寵愛を受け、教養を授かった。八歳になってポタラ宮に入り、幸運なことにダライラマ五世から直接育てられることになった。彼は優遇され、仏教学、文学、詩学、天文学、暦算、医薬、歴史、地理、はてはサンスクリットまで、学ばないものがなく、若くして学者となった。
 二十三歳のとき第三代デシ、ロサン・トゥドルが辞職した。五世はつぎのデシにサンギェを任じようと考えたが、政治宗教各方面の信任を得ることはできず、とくに皇帝の代わりにチベットを管理するモンゴル人ダライ汗の同意が得られなかった。
 サンギェ・ギャツォ自身は「若くて経験不足」という理由から申し出を断った。結局ほかに推挙されていたロサン・ジンパという寺院の住持が第四代デシに就いた。
 三年後、ロサン・ジンパが辞職すると、五世は三大寺の僧侶らに向かってサンギェ・ギャツォがいかに学識と能力を持っているかについて説いた告知文を書き、支持をとりつけた。五世は自ら手印を押し、筆で書いた告知文をポタラ宮正門の塀の上に掛けた。ダライ汗は疑いと警戒の気持ちを緩め、承認した。26歳のとき、すなわち康煕十八年、サンギェ・ギャツォはデシに就任した。

 このとき以来、五世が崩御する三年前まで、サンギェ・ギャツォは実質上政治宗教の全権を握った。ひとつには五世が老け、身体が自由に動かせなかったこと、第二に、五世はサンギェに鍛錬期間を与えたかったこと、そういったことが若くして就任した理由である。

 現在、ダライラマ五世が崩御してから三年。この三年というもの、ちくちくする棘を触っているようで、頭痛は治まらなかった。しかし同時に奮い立ち、自らに誇りを持った時期でもあった。五世がこの世を去ってから政治の気候が変わり、
 目下、ラサでは雷雨が降っていた。彼は人生に新しい季節がやってきたことを自覚していた。彼はいわば時期はずれの種まき人で、果断に自分で選んだ種を播いていた。当然、彼の播く手はふるえていたが、ほかに手立てはなかった。彼は将来の収穫を期待しただけなのである。
 彼が播いたのはもちろん大麦や豌豆、大根ではなく、自分の将来とチベットの運命の種だった。自分の才能と能力に関しては絶対的な自信を持っていた。ヒマラヤのような大きな両肩に乗るわが平たい頭の中には超人的な智慧がつまっていると考えていた。しかし同時にふたつの巨大な影を拭い去ることができなかった。康煕帝とモンゴルの汗(ハーン)である。またふたつの別の影が消えようとしなかった。ダライラマ五世と彼自身の影だった。

 ダライラマ五世が崩御した当日、サンギェはすぐさまポタラ宮の外の情勢について考えざるを得なかった。政治家特有の冷静さから、時間と空間の交差する点に立ち、分析を試みた。五世が最後にサンギェに語ったことが頭に残っていた。まず思いめぐらすべきは、モンゴル人のことだった。

 当時チベットは西方のラダックと戦争中で、まだ終わっていなかった。ダライ汗の弟ガルダン・ツェワン率いるチベット軍が出兵していた。もしダライラマ五世崩御の知らせが入ったら、戦局に少なからぬ影響を与えるだろう。
 このチベット兵を率いるモンゴル人はチベットの将来について、またサンギェ・ギャツォについて、どういうふうに考えているのだろうか。また広大な地域に広がるモンゴル諸勢力間の複雑な関係はどうなるのか。ダライラマは彼らの共通した教主であり、そのことが首領間の争いに影を落とし、形勢を変えるだろう。
 またもしサンギェ・ギャツォの頭上に輝いていた五世の威光が失われたら、後ろ盾であるダライ汗を失ってしまうだろう。その他のモンゴル勢力にたいする有力な牌もなくなることを意味する。

 彼は現実を直視しなければならなかった。モンゴルの汗(ハーン)は皇帝自らに封じられたものだ。サンギェ・ギャツォよりはるかに権威を持っている。汗(ハーン)に比することができるのは五世ただひとりだった。
 さらにはゲルク派が勢力を維持するためにも、五世の存在は欠かせなかった。また貴族たちはダライラマの転生を自分の一族から出そうと躍起になり、それはチベットに大混乱を巻き起こすだろう。

 サンギェ・ギャツォは考えをめぐらすうち、幻覚をみていた。無数の荒々しい大きな手が四方八方から伸びてきて彼の頭をおさえ、目をえぐり、坐っていた椅子を奪い、彼をポタラ宮の頂上から突き落とした。死んだ雀のように彼は地面に叩きつけられた。そこではっとわれに返った。全身冷や汗でびっしょり濡れていた。胸腔はからっぽだった。草が生長するより前に氷塊が堆積した、死滅した谷間のようだった。

 幻覚から醒めるとき、彼はひとつの結論に達した。もし真正直に五世が崩御したことを発表したなら、彼の権力は弱まり、安定せず、よって失われてしまうだろうか。至高なる皇帝も尊敬すべき仏様も近くに降臨して彼を助けるということはないだろう。
 そうなれば彼は羽のない鳥、蹄のない馬、水のない魚、仏のない寺、指のない手、刃のない刀、といったところだろう。どんな貴族家が、どんなデシ(宰相)の叔父・甥が、どんなダライラマの近親が、どんな学識ある者が、死んだ虎の爪となるだろうか。それにそもそも命にはどんな意味があるだろうか。

 ここにおいて彼は迅速に、かつ果断に決定を下した。五世崩御のことは絶対秘密厳守にすると。主がいなくなったことを隠すために、彼は声明を発表した。「ダライラマ五世猊下はこれより無期限の修行にお入りになる。高閣に蟄居され、訪問人があろうともお会いになることはない。一切の事務はデシ(宰相)が責任をとる」と。

 この極秘事項は、サンギェ・ギャツォを除くと、ゼショ・ドゥンコル(侍従)の何人かが知っているだけだった。いうまでもなく、身を捨ててまで、また死後地獄に堕ちることを厭わず機密を暴露しようという者はいなかった。

 サンギェ・ギャツォの先を見通す力と綿密に事を運ぶ能力によって、つぎの極秘工作に移ることができた。それは人を遣って五世の替わり、すなわち転生を探すことだった。もし皇帝やチベット、モンゴルの人民が五世崩御のことを知ったら、彼はすかさず新しいダライラマを推戴する。その駒はわが手中にあるのだ。その他ことの顛末などはそのときになっていろいろと説明すればよろしい。

 転生を探す地域をどこにするかが彼の尽力した最大の点だった。最終的に選び出したのは、モンユル地方だった。というのもこの南方の地方は比較的僻地であるが、情勢は安定し、もし予期せぬ事態が発生しても、敏感な問題の機密は保たれそうだった。ほかにもこの地がニンマ派のさかんな土地だったということもある。
 ここにゲルク派の最高活仏が誕生することは、ゲルク派の勢力拡大にもつながるだろう。こうしたことは彼がすべて掌握しているのであった。

 

 大雨が突然上った。天を埋め尽くした押し合う馬の群のような黒雲は、無数のさまざまな形の鞭に打たれ、狂乱し、四散する。翡翠色の天空は洗い流され、塵ひとつないガラスのようだ。遠雷がかすかに鳴っていたが、彼にはそれが激しい轟きのように思えた。
 ポタラ宮の上空にあざやかな色彩の橋が現れ、だれもがこれは吉祥の虹であり吉祥の生活をもたらすだろうと口々に言った。このときダライラマの仏堂には鈴と太鼓の音が響き渡り、ポタラ宮の下には数々の善男善女が集まってきた。彼らはその音を聞いたり、拝んだりして、五世の福を賜りたいと願った。

 

 一頭の馬が風を切ってポタラ宮に駆けてきた。騎乗の人はあの旅客、ソナム・ドルジェ、ポタラ宮のダツァン(僧院)のラマである。馬も人もびっしょり濡れ、雨の水滴なのか汗なのかわからなかった。

 窓辺に立っていたサンギェ・ギャツォはその姿を見るや笑みを浮かべ、ほっとして腰を下ろした。ソナム・ドルジェが戻ってきた瞬間、胸のうちの雷雨がやみ、晴れ渡ったかのようだった。

 ソナム・ドルジェはサンギェ・ギャツォに向かって五世の輪廻転生探しの経過について説明した。銅鈴をもとにあった場所に収め、両手の指すべてを地面に着き、誓って奏上した。

「デシ(摂政)閣下、絶対にまちがいありません。一目見ただけで自分が使っていたものを選び、手にとって振ったのです。尊者はしかも三十二の吉相、八十の好所を持っておられます。人は見ただけで福をいただけます」

「よくやった。疑う余地はない」とサンギェは両手を合掌した。

「しかし大金を置いたのは愚かな行為だったかもしれない」

「思うにその子は金銭的にも守られるべきではないでしょうか」と言うソナム・ドルジェの転生の子供に対する愛情は本物だった。

 サンギェ・ギャツォは眉をひそめ、冷徹に言い放った。

「守るのにもっともいい方法はその子を気に留めないことだ。現地の人、父母を含めてだが、ガワン・ギャツォという子とラサとの間に何の関係もないように見せることが大事なのだ」

 サンギェ・ギャツォは相手が理解していないと見て、説明を加えた。

「田舎の人というのは何も知らないし、愚鈍なものさ。何だってすぐ信じてしまう。裏を返せば疑いやすいっていうことでもあるのだ。その地方に住むメンパ族も単純な頭脳の持ち主だ。噂はすぐ広まるかもしれない」

「しかしこのお方は生き仏であらせます。特別に世話をする必要があるかと思われます」とソナム・ドルジェは立ち上がった。

「将来私がかならず面倒を見る」と言いながらサンギェはソナムを坐らせた。「いまはおまえのことについて考えたい」と、おまえという語を強調した。

「え、わたくしですって?」とソナムは何ともいえない恐怖を覚え、不吉な予感にみまわれた。

「偉大なる五世が崩御されてから世間ではこれといった噂も流言も出ていない。人々はいまだに五世が健在であると信じている。しかしもし長い間姿を現さなかったら、どんな恐ろしいことになるだろう」

 サンギェ・ギャツォは落ち着いた口調で話しながら、考えに考えたもうひとつの機密事項をあきらかにした。

「私はもうひとつの密命をおまえに与える。大きな行事、そう、たとえば位の高い人物が出席するような宗教儀式などで、おまえに扮してもらいたい。つまり、おまえがダライラマ五世なのだ」

 その声を聞きながら、顔を伏せたまま、ソナムは恐怖にふるえ、一言も発することができなかった。

「おまえはただ遠くにいて、高いところに坐っていればいいのだ。何もしゃべる必要はない。もちろん、ときにはだれもが知っているような、重々しい、親しみのある五世の動作や仕草をしなければならないだろう。だがおまえは長年にわたって五世の随行をつとめてきたわけだから、それほどむつかしいことでもなかろう」と言いながらサンギェはダライラマ五世の衣装箱を指し、「袈裟やこまごましたものはみなここにあるぞ」と言った。

 それでもなかなか顔を上げなかった。彼にとってこの使命は想像を絶するものだった。それにこれは仏陀の教えに反するものだった。とてつもない難題ではなかろうか。五世を演じるなど、望まないし、そもそもできるわけがなかった。彼は蔵劇(チベット・オペラ)で国王を演じたことがあったが、そのときは仮面を着けていたわけだし、それが演技であることはだれもが知っていた。
 いま、実際はすでに死んでいるのに、人々の心の中ではまだ生きている偉大な人物を演じるというのだ。もちろんこの人物は劇中に取り入れられたわけではないので、演出が必要である。筋もまた必要だが、どのようなものが必要だろうか。仮面もなく、銅鑼や太鼓もなく、劇を見る観客もいない。できるだろうか。五世に見えるだろうか。馬脚をあらわすという事態には至らないだろうか。緊張して気を失ったらどうしようか。仏教の教えに反していないだろうか。こんなこと到底できそうにない……。
 険しい崖の上に立たされたようなものではないか。あるいは底なしの深淵に投げ込まれたようなものではないか。俗諺にも言う、ロバが行くのは、棒で追っているからと。馬が行くのは、轡(くつわ)で蹴るからと。この棒、この轡はだれなのか? デシ(宰相)サンギェ・ギャツォだろうか。そうだろう、いや、そうでないだろう……。

 サンギェ・ギャツォは屈んで彼のからだを起こし、同情を見せて「このようなことになったのはなぜなのか、わかってもらえるだろう。やむをえないのだ。このことは仏陀の教えに反していないだろうか。しかしパドマサンバヴァもおっしゃった。われらの一生のありさまは前世の業の結果である、どんなに変えようと思っても、変えることはできないのだ、と」

 サンギェ・ギャツォがこれらのパドマサンバヴァのことばを引用したとき、それらはゆっくりと発せられ、釘のように彼の心臓に刺さるように感じられた。言い返すことなどもちろんできなかった。

 サンギェ・ギャツォはつづけた。

「おまえは幼い頃に受戒して僧になった。ということは来世の準備はできているんじゃないか。ダライラマの転生、ガワン・ギャツォをおまえは探し当てた。仏陀はおまえを弟子として、つねに守ってくださるよ。仏教のために、転生のために、チベットのために、衆生のために、おまえは大いに役に立っている。歴史上稀有な存在だといえるぞ。ほかにいったいだれがそんなことができるだろう。もしそれを断るなら……」

 サンギェ・ギャツォは間をおき、平たい頭を上げ、為政者になくてはならない威厳に満ちた声でつづけた。

「もし拒むなら、道理というものがわかっていないということになるだろう。(魔物を駆逐する)二十九日が必要となる」

 ソナム・ドルジェは呆けたようにサンギェを見ていた。その両目はぴくりとも動かなかった。彫像師が造った泥人形のようだった。彼の頭からは蒸気が立ち昇り、鼻先からは汗のしずくがぽたぽたと落ちた。宮中は陰で涼しく、夏は永遠にやってこなかったのだが。彼はこの摂政は遮ることのできない強い日差しのようだと思った。近づきすぎると、焼き焦げてしまうだろう。

 

 不幸なラマが去ったあと、サンギェ・ギャツォは一糸の乱れもなく髪を整え、顔を洗い、花模様の入った黄色の緞子の着物に着替え、政務の仕事に出た。
 このときポタラ宮の赤い宮殿の経費に関して話し合いがもたれていた。これほど巨大な建築物でありながら、工程は複雑をきわめていた。チベットの歴史において空前絶後の建築物であった。

 もともとポタラ山の上にはツェチ・マルポという宮殿の廃墟があった。これは吐蕃のソンツェンガムポ王が西暦636年、ネパールの王女を迎えたときに建てられたものだ。
 641年、文成公主を迎えて増築したとき、九百九十九もの部屋があったというが、その後の落雷や火災、兵乱中の焼失などで失われてしまった。ダライラマ五世はここに巨大な宮殿を築こうという壮大なプランを立てた。サンギェ・ギャツォは五世の思いを達成するためにも完成させたいと考えた。

 ポタラは仏教用語の補陀洛(ほだらく)であり、観音菩薩がいます場所である。五世の指揮のもと毎日七千人以上もの農民や牧民の労働者が働いていた。その血、汗、筋、骨、そして木、石、土、泥、それらが混ざって造られていくさまは恐ろしくもあり、ただチョンゲのチベット王の墳墓群だけが比較されうるのである。
 建築開始から八年、五世はデプン寺からこちらに移動した。十二年目、白宮殿が落成。いま、赤宮殿の完成はサンギェ・ギャツォの双肩にかかっているといえる。人力や財力をケチっている場合ではないのだ。

 

 ゲタンが門から入ってきて促すように言った。

「デシ(摂政)閣下、雨は上りました。お急ぎを。馬の準備はできております。お乗りください」

「わかっておる」とサンギェは書類を懐に入れながら、出て行こうとするゲタンを呼び止め、小声で「妙に静かなのはなぜか」と問うた。

「おっしゃるのは……」

「五世のことが……」

「いえ、そんなことはありえません」

 ゲタンがにこりと笑うと、サンギェも安心した。

「ダライラマのお食事はいつもどおりに運ばれています。すべてが以前とまったくおなじです。何度か官吏たちが会議に集まりましたが、五世の仏堂から鈴や太鼓の音が聞こえるだけでみなこの上ない幸福に浸るのです」

「くれぐれも注意を怠らないように。できるだけ情報を集めるように」

 サンギェ・ギャツォはそう言うと敷居を跨いで外を覗いたあと、また戻り、ガチャっと特製の重い鎖を閉めた。

 

リンカ(林園)にたくさんの刀剣が立ち、歌声が流れていた。モンゴルの王子が羊毛の敷物の上に座り、酒を飲みながらチベット人の歌舞を鑑賞していた。

 草は雨水で光っていた。踊っていた娘が足を滑らせて転倒し、痛みのあまり起き上がることができなかった。王子はそれを見て膝を叩き、大笑いした。大臣や将軍、衛兵らもそれにあわせて大笑いした。娘は傷を負い、痛さのあまり涙を流しているのに彼らは笑いすぎて涙を流していた。歌声はその間も絶えることはなかった。

 遠くの大路を人馬の隊列が過ぎていったが、だれにもリンカの笑い声や歌声が聞こえない、あるいはあえてリンカのほうを見ようとはしないかのようだった。彼らは速度を上げたり、足並みを乱したりということはなく、いささかも動ぜず、傲慢とさえ見える態度で走っていった。礫石を踏む馬の蹄の音が「考慮に値せず」と繰り返し言っているようだった。

 モンゴルの王子にはかえってこの隊列が気になった。威張っている武人の習慣か、本能的に威張っている人が好きではなかった。馬鹿笑いが顔から消える前に怒りが表情に現れた。彼は隣の大臣に聞かずにはいられなかった。

「あれはだれだ?」

 大臣は手をかざして見て、はっきりとこたえた。

「王子閣下、あれは摂政のサンギェ・ギャツォです」

「ああやって威張りくさってわれらの面前を通り過ぎるのは、意図的なものなのか」と彼はからの酒杯を地面に投げつけた。

「そんなことはないでしょう。会議に出席するところだと思われます」と別の大臣が助け舟を出した。「摂政は多忙な人です。有能な方なのです。チベットのあらゆることは摂政がなさっているのです。その政治は妥当なものであり、責められるべきものはなにもございません」

「たいしたもんだ!」と言いながら王子はこのような紹介のしかたが気に食わなかった。「あいつらはおれが汗位についていないからって侮っておるな。もしいまここに祖父のグシ汗、叔父のダヤン汗、父のダライ汗がいたら、そのサンギェ・ギャツォとやら、無礼な態度などできぬわ。いつかおれが汗(ハーン)になったとき、あいつは身をかがめて挨拶にくるだろうよ」

「王子閣下、そのように思われますな。摂政殿はわれらのことにきづかなかったのでございましょう」と将軍が言った。

「よかろう。おまえの作り話を鑑賞しよう。やつらはずっとおれを尊重するだろうよ。せいぜいこれからも演出するがいいさ」

 王子は表面上、いつもの落ち着きを取り戻していたが、内面は不快な気持ちでいっぱいだった。それはサンギェ・ギャツォへの敵意といってもよかった。このような敵意は消そうとしても消えるものではなかった。

 この王子こそ、のちのラザン汗だった。汗位をついだあと、はたしてサンギェへの敵意は激しくなり、大きな摩擦となっていく。

 事の次第を述べたい。何年か前、ツェワン・ギャモという貴族の娘がいた。彼女はサンギェ・ギャツォと相思相愛の間柄であったが、正式に婚礼の時期について話し合う段になって、サンギェのほうから延期の申し出をしたのである。摂政に就任したあとに婚礼を挙行したいと考えたのだ。
 サンギェはすぐ摂政になれると過信していた。というのはダライラマ五世自身が保証していたからだ。しかし当時はまだそのことを公にすることはできなかった。娘のほうの家族からすれば拒絶されたことは屈辱であり、憤ったのも、もっともなことだった。
 そんな折にダライ汗からツェワン・ギャモの家に結婚の申し出があったのである。断る理由があろうか? モンゴルの王子に嫁ぐのは、摂政の甥に嫁ぐのと比べて体面上劣るだろうか。このようにしてツェワン・ギャモはモンゴルの王子の妻となったのである。
 しかし彼女の夫がひとりでないことがあきらかになってしまった。これは婿の両親からするとこのうえない屈辱だった。正式な婿と非正式の婿の両者が屈辱を覚えることになったのである。サンギェ・ギャツォからすると王子は自分の恋人を奪ったのであり、王子からすると妻はサンギェの使い古しだった。
 双方にとって耐え難く、傷つきあう結果になってしまった。愛情の恨みに、将来政治的な葛藤が加わると、摩擦はさらに何倍にも大きくなるのだった。このような悲劇は歴史上まれなのではなかろうか。

 

 サンギェ・ギャツォと侍従たちは遠くへ走り去り、影も見えなかったが、王子の目には馬上の摂政の姿が揺らいで見えた。

「ダライラマは歳七十か。パンチェンはまだ若いな、二十歳は年下だろう。しかしあの扁平な頭の摂政が最高実力者だと?見ているがいい……」

 王子は頭の中で考えながら、酒を飲んだ。彼は人々がなぜ大笑いしているのかわからなかったが、見ると、踊っていた娘のひとりがまた転倒して仰向けになっていたのだった。彼はまもなくサンギェ・ギャツォからの知らせを受け取るだろう。ダライラマ五世が健在であるという嘘の知らせである。




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