夢見る者の死者の書 

ロバート・モス 宮本神酒男編訳 

 

序 死のパイオニア 

私は行って戻ってきた者である。

        ピラミッド・テキスト ウナス王 260 

 

 われわれ生きている者のなかに、先にあの世へ行ってそちら側の世界がどのようなものであったかを話し、示すために戻ってきた人々がいる。またいつもはそちら側に住んでいながらわれわれとコミュニケーションすることを選んだ人々がいる。私はこういった人々を「死のパイオニア」と呼んでいる。

 われわれともっとも必死に話したがっている、あるいは教えようとしている死のパイオニアは、多くの場合、先だった家族や友人たちである。もしかすると彼らはわれわれと暮らした動物たちかもしれない。わが愛犬、黒犬のキプリングも、1986年に路上で車にはねられて死んで以来、あの世との「境界」を旅するとき、ガイドとしてよく姿を現した。私がおとなになってからも、私と人生を分かち合った人々が、他界から戻ってくることがあり、私を呼びよせようとした。この死のパイオニアには、両親やオーストラリアで私が学生だった頃ひいきにしていた教授も含まれていた。

 私やあなたがたの人生のなかで、たまたま通りかかったか、呼び掛けた古代の人々が死のパイオニアかもしれない。というのもわれわれは彼らの根城の近くで生活し、旅をしていたかもしれないのだ。彼らは先祖かもしれないし、アイルランド人がシー(Sidhe)と呼ぶ他界の存在かもしれないし、神々や地、水、火、風の元素の精霊、あるいはそういったもののすべてかもしれない。私は古代ヒューロン族、あるいはモホーク族の「力の女」について考える。『イロコイ族の夢の方法』のなかで私が祝福した「力の女」は、彼女の先祖の地の「境界」へ移動したとき、そちら側に私を呼び寄せた。いまもなお彼女は時間と次元を超えて、私とコミュニケーションを取ろうとしている。

 われわれの死のパイオニアははるか遠く、血統のなかのどこか遠くからやってくるのかもしれない。

 彼らは偉大なる宗教の師かもしれないし、信仰や瞑想、夢、研究のなかで出会った神の化身かもしれない。

 彼らはわれわれが関心を寄せることによって引き寄せられてきた師かもしれない。親近感を覚えるだけでなく、なんといってもわれわれは彼らの作品が大好きなのである。ダンテが地獄を遍歴する間、ウェルギリウスがやってきてずっと案内役を務めた。それというのもローマ帝国時代の詩人の作品をダンテは愛し、長期間学んできたからなのだ。それに彼らは両者とも詩人だった。あなたがたはこの本の中核が私自身の想像的関係であることに気付くだろう。すなわちもうひとりの偉大な詩人ウィリアム・バトラー・イェイツとの関係である。イェイツのたっての望みは西欧の死者の書を書くことだった。

 死のパイオニアには、物理的肉体に限定されない、それゆえ肉体の死のあと人が住む場所を我が家とする、そして理解を深めるためにさまざまな学派のところへ行き、たくさんの転生の形態のなかからあったものを選びだすという拡張された自我(セルフ)の仲介役や側面が含まれている。

「私自身の顔を着けた死がほしい」と詩に生きた学生時代に親しんだメキシコの偉大な詩人オクタビオ・パスはうたう。私も同様の死の天使がほしいものだ。しかし彼が着ける顔は日常的な自我の顔ではなく、高次の自我の側面である輝かしい生き写しの顔であってほしい。

 死のパイオニアは、私たちの生活のなかでは物理的な身体を持っているかもしれない。彼らは臨死体験(NDE)をへて、つまり肉体を超えた深奥な旅をして、あちら側の世界で出会ったものを語るために戻ってきた。西欧社会ではこの臨死体験がおおいに興味を持たれているが、それは健全なことである。というのもわれわれはふたたび徐々にだが、死後の世界について学び始めているので、ファーストハンドの体験を知ることがより重要なのだ。最新の信頼できるトラベル・レポートによってわれわれは、地理や旅行計画をいつでもアップデートすることができる。

(つづく)