ウィリアム・ダルリンプル「英雄叙事詩の歌い手」からの抜粋 (宮本訳)


 インドでもっとも人気のある叙事詩といえば「マハーバーラタ」だが、もともと無数にあった叙事詩のひとつにすぎなかった。ムガール朝の時代にもっとも人気を博したのは、偉大なるイスラム教徒の叙事詩「ダスタン・イ・アミール・ハムザ」、すなわち「ハムザ物語」だった。

預言者の義父である勇敢で義侠心があふれるハムザは、ナウシェルヴァン皇帝の命を受けて、不規則にイラクからメッカ、タンジェ、ビザンチンを通ってスリランカへ旅をした。旅の途上、残酷な悪党であるバフタックや魔術師で魔王のズムッルド・シャーなどの敵に仕掛けられた罠をのがれながら、彼はペルシアやギリシアの美しい王妃たちと恋に落ちた。

 何世紀ものあいだ、イスラム世界のいたるところで「ハムザ物語」は語られた。その物語の人気を支えていたのは、層を成す脇道のエピソードであり、ドラゴンや巨人、呪術師などの登場するキャラクターだった。

インドでは、ハムザの叙事詩はそれそのものが命を得たかのようだった。インドのあらゆる口承の神話や伝説を吸収しながら、前例がないほどの巨体に成長した。

このような存在になった「ハムザ物語」は、ムガール朝インドの大きな都市の群衆が集まる場所で語られるようになった。交易市や祭りで、デリーのジャマ・マスジッドの階段で、キッサ・カワニで、ペシャワールの語り部通りで、ダスタン・ゴス、すなわち職業的語り部が記憶をもとに、夜の間中物語を吟唱した。わずかな休息をはさむだけで、7時間も8時間も演じつづける者もいた。またムガール朝のエリートのあいだでは、プライベートでハムザの叙事詩を吟唱するという伝統があった。たとえば偉大なるウルドゥー語の愛の詩人ガリブは、彼自身のダスタン・パーティで物語を吟唱し、喝采を得た。

 完全な形のハムザ物語は360ものストーリーを含み、一晩中吟唱したとしても終えるまで数週間を要したという。印刷されたバージョンのなかでも最後の巻は1905年に刊行されたのだが、それは46巻以上に及び、1巻あたり平均して1000ページだったという。このウルドゥー語バージョンは、亜大陸で何年間も語られることによって叙事詩がどれだけインド亜大陸向けに再生されたかを示している。

オリジナルのメソポタミアの地名は残っているものの、描かれている世界は、誌的な言葉遊びや庭園、極端なほどの洗練された食べ物やファッション、マナーなどにとりつかれた、ムガール朝インドの世界である。登場人物の多くはヒンドゥーの名前を持つ。たとえば「ラーマがわが証人である」として宣誓する。そして宝石で飾ったハウダーをつけた象に乗る。

これを読むということは、ムガールのキャンプファイアーの世界に近づくということである。兵士、スーフィー、演奏家、キャンプ好き、彼らの夜の集まりはムガール朝の細密画に描かれる世界だった。語り部が話をはじめるとき、森のなかの広くなった場所で、薪は赤々と燃え、話を聞こうと集まった群衆の顔を照りだした。

 今日、ペルシアやパキスタン、インド各地の子供たちはいくつかのエピソードには慣れ親しんでいるものの、ダスタン・イ・アミル・ハムザ全体は、口承の叙事詩としてはもはや存在しない。

インドでは、心から叙事詩を知っている最後のダスタン・ゴスのミル・バカル・アリが1928年に死んだ。それは創成期のインド映画産業が音響革命を起こすわずか数年前のことである。映画はその形式や筋立てを、口承芸能から借りていた。いま恐れられているのは、マハーバーラタやその他のヒンドゥーの叙事詩もまた、21世紀、記録されたものだけが残るおなじ運命をたどるのではないかということである。